日本歴史地名大系 「得珍保」の解説
得珍保
とくちんほ
〔上四郷・下四郷〕
得珍保という名称は開発にあたった山門僧の得珍(徳鎮)の名にちなむといわれ、さまざまな伝承が存在するものの、いずれも信憑性は低い。ただ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
得珍保という名称は開発にあたった山門僧の得珍(徳鎮)の名にちなむといわれ、さまざまな伝承が存在するものの、いずれも信憑性は低い。ただ
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近江(おうみ)国蒲生(がもう)郡のうち、現滋賀県東近江市の南部に所在する荘園(しょうえん)。平安時代、比叡山(ひえいざん)の僧得珍の開いた地域で、保名はその名にちなむとする伝承がある。得珍保の史料上の初見は鎌倉時代後期で、延暦寺(えんりゃくじ)東塔東谷仏頂尾衆徒(しゅと)の支配を受けている。得珍保は保内ともいわれ、田方とよばれる上四郷7か村と、畑方・野々郷とよばれる下四郷7か村とから構成される。下四郷は畑作による農業生産性の低さを商業によって補完する。下四郷の保内商人は延暦寺や守護六角(ろっかく)氏の保護下に近在の商人の権利を侵害し、伊勢越(いせごえ)の八風(はっぷう)・千草(ちぐさ)両街道の木綿、紙などの輸送権を獲得し、得珍保近辺の市場専売権を奪取し、湖西の九里半街道の輸送権を併呑(へいどん)していった。保内商人は近江商人の原型と考えられている。保内商業と今堀郷の惣村(そうそん)活動史料は、今堀日吉(ひよし)神社文書に収められている。
[仲村 研]
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近江国蒲生郡(現,滋賀県東近江市八日市)にあった延暦寺東塔院領荘園。立保の時期は不明。鎌倉中期には史料にみえる。保内の今堀郷の日吉(ひえ)神社に残された惣村掟(そうむらおきて)などの文書によって,村人たちの活動が知られる。保内は上四郷・下四郷にわかれ,農業活動を軸に山野や用水の共同管理を行い,各郷の宮座(みやざ)を中心に惣結合を発達させた。日吉神社の神人と称し商業活動を積極的に行った。商業座を結成し,他地域の商人と商圏の争いをしつつ伊勢から美濃・尾張・若狭,近江から京都へと活動圏を拡大。彼らは保内(ほない)商人とよばれ,守護六角氏とも密接に結びついて力を伸ばした。統一政権の成立過程で各郷の結合は解体され,13カ村の近世村へと姿を変えた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…《今堀日吉神社文書》などによれば,近江の蒲生,神崎,甲賀の諸郡,湖北から若狭に至る九里半街道沿い,伊勢の北部地方には多数の足子が散在していたことがわかる。近江の蒲生郡得珍保(とくちんのほ)(現,八日市市)のいわゆる保内座商人は若狭,伊勢,京都地方との隔地間取引に従事していたが,行商に際しては周辺地域に居住する数十名の足子を動員した。また伊勢行商に際しては伊勢の桑名,四日市,梅戸,丹生川などに分布する20名近くの足子を駆使していた。…
…近江商人の起源については朝鮮からの渡来人説などの諸説があるが,多くは京都に近接し,東海・東山・北陸の3道の集中する蒲生(がもう)・神崎(かんざき)・愛知(えち)・坂田の4郡に出自し,その地域が京都への物資の集散に従事する地理的条件下にあることに共通性をもつ。鎌倉時代後半に姿を現し,室町時代初期から商業圏を確立してゆく延暦寺領近江国蒲生郡得珍保(とくちんのほ)の商人(保内(ほない)商人ともいう)は,荘園のなかでは農業生産に恵まれない農民が近江・伊勢の国境の鈴鹿山脈の八風(はつぷう)街道,千草街道の両街道での山越商業に従事したものである。保内商人は延暦寺や守護六角氏から排他的独占権(座権)を認定された。…
…また1358年(正平13∥延文3),近江国蒲生郡島村の憑子衆中9人が,共有財産の田地,山林を奥島社大座衆中へ売却しているのは,講中が財政的基盤の上に結成されていることを示している。1416年(応永23),同国同郡得珍保(とくちんのほ)蛇溝郷の憑支講は,讃岐公という聖(ひじり)僧が講親となっている。得珍保は比叡山延暦寺領荘園であるから,讃岐公は延暦寺から出た聖僧と考えられ,郷村内の宗教活動を主導するとともに,村人の相互扶助活動の一環である憑支講を主催していることは注目される。…
…横関にはこのほかに山門根本中堂の寄人身分をもつ呉服座があり,15~16世紀に保内呉服座と近江国内市町での呉服売買の特権をめぐって争っている。保内呉服座は野々川衆ともよばれ,得珍保(とくちんほ)内諸郷,すなわち蛇溝郷4人,今堀郷2人,破塚郷1人,今在家郷2人等の10余人が山門に御服年貢を納めているので,彼らはその代償として呉服座の結成をみとめられていたものであろう。なお呉服座とは称していないが,地方には絹織物の特権的取引を行っていた座があった。…
…近江国蒲生上郡得珍保(とくちんのほ)の下四郷の商人をさし,野々郷(ののごう)商人,野々川商人ともいわれる。得珍保は比叡山の僧得珍が開発したという伝承をもつ荘園で,滋賀県八日市市の南部に位置する。…
…この地には中世後期には商人集団がおり,市庭があって繁盛していたようである。《近江今堀日吉神社文書》によると,1463‐65年(寛正4‐6)に横関商人と得珍保商人が呉服の本座をめぐって相論しており,一時横関方に有利な裁決があったが,結局は得珍保商人の勝利となった。1502年(文亀2)にも争いが再燃したが,これも得珍保の勝利に終わっている。…
※「得珍保」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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