日本大百科全書(ニッポニカ) 「御所浦」の意味・わかりやすい解説
御所浦(ごしょうら)
ごしょうら
「ごしょのうら」ともいう。熊本県南西部、天草(あまくさ)郡にあった旧町名(御所浦町)。現在は、天草市の東部を占める。旧御所浦町は御所浦島、牧島(まきしま)、横浦島など、八代海(やつしろかい)に浮かぶ大小18の島からなっていた。1963年(昭和38)町制施行。2006年(平成18)本渡(ほんど)市、牛深(うしぶか)市、有明(ありあけ)町、倉岳(くらたけ)町、栖本(すもと)町、新和(しんわ)町、五和(いつわ)町、天草町、河浦(かわうら)町と合併し、天草市となった。御所浦の地名は景行天皇(けいこうてんのう)の軍船が嵐(あらし)を避けて仮泊したという伝承にちなむ。全域、低山性の山地を呈し、第三紀層からなる牧島の西半を除けば、すべて白亜紀層である。耕地率は県平均のほぼ半分で、田地は短小な河川に沿う谷間にしかなく、耕地に占める割合は5%ときわめて少ない。急傾斜の山腹に開かれた段々畑は久しく自給作物であるサツマイモ、麦の栽培にあてられてきたが、1960年代後半から甘夏ミカンの導入が盛んになり、温州(うんしゅう)ミカンをあわせるとその栽培面積は穀類のそれを超えている。しかし、産業の中心はなお漁業で、延縄(はえなわ)、一本釣り、巻網などの沿岸漁業が盛んであるが、1960年代前半に定着をみた真珠養殖に刺激され、マダイ、ハマチ、クルマエビの養殖も盛んである。本渡(ほんど)、水俣(みなまた)への海上交通の便はあるが、各集落を結ぶ道路網の整備が遅れている。御所浦島と牧島との間に中瀬戸橋が架かる。雲仙天草国立公園域の一部に含まれる。
[山口守人]