成田(市)(読み)なりた

日本大百科全書(ニッポニカ) 「成田(市)」の意味・わかりやすい解説

成田(市)
なりた

千葉県北部にある市。下総(しもうさ)台地に広がり印旛沼(いんばぬま)、利根(とね)川の低地にまたがる。1954年(昭和29)成田町と公津(こうづ)、八生(はぶ)、中郷(なかごう)、久住(くずみ)、豊住(とよすみ)、遠山の6村が合併し市制施行。2006年(平成18)、香取(かとり)郡下総町(しもふさまち)、大栄町(たいえいまち)を編入。地名は豊作を期待した熟田(なるた)が転化したともいわれる。JR成田線と京成電鉄本線、同成田空港線のほか国道51号と295号・408号が交差し、296号、464号、東関東自動車道、新空港自動車道、首都圏中央連絡自動車道(圏央道)が通じる。中心街の成田は中世以来新勝寺門前町。中世、千葉氏一族によって支配され、江戸時代は佐倉藩領、幕府直轄地、旗本領地などとなった。低地に水田が開かれ、台地上では野菜栽培、養豚が行われていたにすぎなかった。1966年下総御料牧場のある三里塚を中心に新空港建設が閣議決定され、反対派の抵抗で開港までに10年以上の歳月を要したが、1978年新東京国際空港(現、成田国際空港)が開港した。以後、周辺地域にはホテルや機内食工場が立地し、空港関係従業者を収容する成田ニュータウンや新たな住宅地も開発され、門前町のにぎわいに国際空港の活気が加わり、国際観光都市として発展。成田国際空港は約40か国70社の航空便で約110都市と結ばれる世界有数の空港に成長した。野毛平(のげだいら)・豊住工業団地も誘致され、移転農家の代替地での農業も補助金を得て高度化している。JR成田駅から新勝寺に至る表参道は門前町の中心で、土蔵造りや古い木造建築を含むみやげ物店や旅館、飲食店が軒を連ね、名産羊かん鉄砲漬け、川魚佃煮(つくだに)、清酒ラッカセイウナギなどが商われている。成田山新勝寺には国指定重要文化財の仁王門、三重塔、釈迦堂、光明堂、額堂や、木造不動明王、二童子像のほか多数の文化財があり、2月の節分会(え)、7月の祇園会(ぎおんえ)などの年中行事には信者、観光客が集中する。市の南西部に義民佐倉惣五郎(そうごろう)(宗吾(そうご))を祀(まつ)った宗吾霊堂(東勝寺)があり、近くの印旛沼畔に惣五郎江戸越訴(おっそ)(直訴)ゆかりの甚兵衛(じんべえ)渡しの記念碑がある。麻賀多(まかた)神社の大杉は県天然記念物。面積213.84平方キロメートル、人口13万2906(2020)。

[山村順次]

『『成田市史』全18巻(1972~1986・成田市)』


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