成道寺(読み)じようどうじ

日本歴史地名大系 「成道寺」の解説

成道寺
じようどうじ

[現在地名]金屋町糸野

有田川の北岸、河岸段丘の南斜面にあり、八部山と号する。浄土宗。本尊阿弥陀如来。平安後期からの由緒ある寺院であるが、隆盛を極めたのは鎌倉初期湯浅宗光によって中興され、南北朝の動乱に焼亡するまでの約一八〇年間である。現和歌山県清水しみず楠本くすもと法福ほうふく寺蔵の成道寺経(大般若経六〇〇巻)は、もと当寺にあったもので、第三二九巻の跋に「于時正平十七年三月十五日、於成道寺之側仏母院奉書写之」とある。また記年の上限は康和三年(一一〇一)であるが、この経巻は他所より当寺に移動してきた可能性がある。しかし当時の隆盛は別の史料や出土遺物によって確認される。


成道寺
じようどうじ

[現在地名]焼津市一色

栃山とちやま川の左岸にある。久遠山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦如来。文保元年(一三一七)臨済宗法鏡山光源こうげん寺として創建された。開山は鎌倉円覚寺開山の無学祖元(仏光国師)三世の法孫勉之肯旃。勉之は信濃国諏訪すわの生れで、郷里の諏訪大明神を勧請して鎮守としたと伝える。永禄八年(一五六五)武田氏の兵火にかかり全焼、同一〇年曹洞宗に改宗し興源こうげん寺として復興された。開山は高田たかだ(現藤枝市)常楽じようらく院四世月洲周隣とされるが(勧請開山)、実際に再興したのはその法子超翁禅越。


成道寺
じようどうじ

[現在地名]熊本市花園七丁目

熊本市と飽託ほうたく北部ほくぶ町をわかつ丘陵の山すそにあり、湧水を取入れた庭園が美しい。万歳山と号し、臨済宗南禅寺派、本尊釈迦牟尼仏。開山は菊池正観しようかん(現菊池市)の八世住職寰中元志で、応永三三年(一四二六)の草創(事蹟通考)。「国誌」によれば、永享六年(一四三四)菊池持朝の寺領寄進を受け栄えたが、戦国期同氏の衰退とともに荒廃、天正年中(一五七三―九二)加藤清正が高一〇石を寄進し再興したという。細川氏入国後も先規のごとく寄進を受け、また家老沢村家の菩提寺となり、天和元年(一六八一)より毎年米三〇俵が寄進されたという。慶長九年(一六〇四)九月の池亀いけがめ村の検地帳によれば、池亀村のうちに屋敷二〇歩と田畠合計三町四反余、二九石余をもつ。


成道寺
じようどうじ

[現在地名]津山市西寺町

浄土宗、山号は転法輪山、本尊は阿弥陀如来。宝永町絵図には来迎らいごう寺とみえ、江戸時代は藺田いだ川と吉井川を望み、備前往来に沿った西寺町東南の一角を占め、東は備前往来で限られていた。南は本覚ほんかく寺・成覚じようかく寺、北は道を隔てて松樹しようじゆ(宝永町絵図)。境内は東西二七間・南北二一間。森氏の旧領美濃国金山かねやま(現岐阜県可児郡兼山町)から忠政に従って来た報蓮社源誉が開祖。慶長九年(一六〇四)に建立、金山での旧号を用いて九品山来迎寺照源院と号した(津山誌)


成道寺
じようどうじ

[現在地名]田川市白鳥町

中伊田なかいた村の南方に位置する曹洞宗寺院。南西に白鳥しらとり神社がある。山号は白鳥山、本尊は阿弥陀如来。長門国大寧たいねい(現山口県長門市)末寺(年月日未詳「大寧寺末寺帳」萩藩閥閲録四)。弘仁五年(八一四)最澄が創建したと伝え、天台別院一八ヵ寺の一つという。初め浄土寺と称したようで、応永六年(一三九九)一月に大内盛見が千手興房の籠る香春岳かわらだけ(現香春町)を落城させた際、浄土寺は大内氏の支配下に入っており、近くの白鳥山にある白鳥大神の神領も安堵されたという(以上「太宰管内志」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典 日本の地域遺産 「成道寺」の解説

成道寺

(熊本県熊本市西区花園7)
熊本水遺産指定の地域遺産。
肥後藩家老・沢村大学の菩提寺。熊本の山水庭園の代表格で文人画人からも愛された

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

事典・日本の観光資源 「成道寺」の解説

成道寺

(熊本県熊本市)
熊本名水百選」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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