文人が書斎で用いる道具のうち、筆、墨、硯(すずり)、紙の4種をいう。中国では古来、文人の書斎を文房とよび、教養を満たす室として尊重したが、やがて文房はそこで用いる道具類をさすようになった。文房具愛玩(あいがん)の歴史は漢(かん)・魏(ぎ)・晋(しん)代にまでさかのぼるが、五代(907~960)のころ書斎がはっきりした形をとるにつれて盛んになった。とくに南唐の李煜(りいく)(在位961~975)がつくらせた李廷珪(りていけい)墨、南唐官硯(かんけん)、澄心堂(ちょうしんどう)紙、呉伯玄の筆は「南唐四宝」(徽州(きしゅう)四宝)とよばれて珍重され、文房具の歴史の基礎を築いた。宋(そう)代になると文房具愛玩の風潮が強まり、葉夢得撰(せん)『避暑録話』(2巻)に「世言、歙州(きゅうしゅう)有文房四宝、謂(いう)筆墨紙硯也」とあるのが、文房四宝を筆、墨、紙、硯とした初出である。北宋の高官蘇易簡(そいかん)が『文房四譜』(5巻)で文房四宝を詳述し、愛好の気運は最高潮に達した。その後も元(げん)・明(みん)・清(しん)と文人の文房趣味は受け継がれ、文房具の種類も豊富となり、明末の屠隆(とりゅう)著『考槃余事(こうばんよじ)』には、硯山(けんざん)、筆床、筆洗、水注、鎮紙、印章など45種に及ぶ文房具があげられている。
わが国での文房具に関する記録は『日本書紀』の推古(すいこ)天皇18年(610)3月に、高麗(こうらい)の僧曇徴(どんちょう)が絵の具、紙、墨の製法を将来したという記載に始まるが、『正倉院文書』には写経用としておびただしい数の筆、墨、紙が請求された記録があり、文房具の生産・使用の歴史が奈良時代以前にさかのぼることがわかる。平安時代の『延喜式(えんぎしき)』『令義解(りょうのぎげ)』など、朝廷の儀式について記した文献にも筆、墨、硯、紙についての記述が多く、また『麒麟抄(きりんしょう)』『夜鶴庭訓(やかくていきん)抄』『才葉(さいよう)抄』などの書論書では詳細にその使用法を解説している。さらに当時の公卿(くぎょう)の日記や物語文学にも頻繁に登場し、その愛玩の実態を知ることができる。江戸時代に入ると、明の唐様(からよう)文化の影響で中国的文人趣味が盛行して、文具への関心がいっそう強まり、文房四宝(文宝四友)の語もみられるようになった。
[神崎充晴]
『相浦紫瑞著『書道文房概説』(1968・木耳社)』▽『宇野雪村著『文房四宝』(平凡社カラー新書)』
中国で,文人が書斎で使用する器具すなわち文房具のうちで,もっとも重要な紙,墨,筆,硯の4種をいう。文房四玩とか,文房四友あるいは文房四侯ともいう。中国で文房具に特に興味をもち出したのは漢代までさかのぼるようであるが,10世紀初期,五代の南唐の中主(李璟(りえい)),後主(李煜(りいく))という風流天子が出て,李廷珪(りていけい)の墨,澄心堂紙などの高級品をつくらせて,文房具は空前の発達をみ,中国人の文房具趣味を促した。さらに10世紀後半,北宋の高官蘇易簡(そいかん)は,《文房四譜》(《文房四宝譜》ともいう)5巻を著し,筆譜2巻,硯・墨・紙譜各1巻,それに筆格,水滴をつけ加えて解説をほどこした。これによって文房趣味が確立したとされる。その後,歴代に関係の著述も刊行され,趣味そのものも読書人社会に定着しつつ今日に至った。
→文房具
執筆者:外山 軍治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…硯面には無数の微細な鋒鋩(ほうぼう)があり,これに墨がひっかかってすりおろされる。中国をはじめ,朝鮮,日本などでは,硯を美術工芸品とみなして,その石質,石色,石紋,石眼などを賞美し,文房四宝(硯,墨,筆,紙)の第一に数え,尊んできた。
[中国の硯]
硯の起源については明らかでないが,天然の石墨や朱石をすりつぶしたり,これに媒材としての漆やにかわなどをまぜ合わせるための容器を想定することができる。…
※「文房四宝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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