(読み)シ(英語表記)paper

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デジタル大辞泉 「紙」の意味・読み・例文・類語

し【紙】[漢字項目]

[音](呉)(漢) [訓]かみ
学習漢字]2年
〈シ〉
かみ。「紙質紙幅紙幣懐紙製紙台紙白紙半紙筆紙表紙別紙用紙和紙
新聞のこと。新聞紙。「紙上本紙機関紙
〈かみ(がみ)〉「厚紙油紙型紙手紙鼻紙
[難読]紙鳶いか・いかのぼり紙衣かみこ紙縒こよ紙魚しみ

かみ【紙】

《字を書くのに用いた竹のふだをいう「」の字音の変化という》
植物などの繊維を絡み合わせ、すきあげて薄い膜状に作り、乾燥させたもの。情報の記録や物の包装のほか、さまざまな用途に使用。製法により、手すき紙・機械すき紙・加工紙に分けられる。手すき紙は、105年に中国後漢蔡倫さいりんが発明したとされ、日本には推古天皇18年(610)に伝わり、和紙へと発達。機械すき紙は、18世紀末にフランスで成功し、パルプを用いる製造法が発明され、日本には明治期に洋紙板紙工業が興った。仕上げ寸法はJISジスの規格によりA列とB列とがある。→A判B判
じゃんけんで、指を全部開いて出すしぐさ。ぱあ。
書籍・雑誌・新聞・文書など、1を使って情報を記録したもの。特に、電子媒体に対する紙媒体のこと。「の辞書」「議事録をで管理する」
[類語]和紙洋紙

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精選版 日本国語大辞典 「紙」の意味・読み・例文・類語

かみ【紙】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 植物繊維を水中でからみ合わせ、薄くすきあげて乾燥したもの。大別して手すき紙(和紙)、機械ずき紙の二種とする。
    1. [初出の実例]「高麗(こま)の王(きし)、僧曇徴・法定を貢上(たてまつ)る。曇徴は五経を知れり。且(また)(よ)く彩色及び紙(かみ)墨を作り、并(あはせ)て碾磑(みづうす)造る」(出典:日本書紀(720)推古一八年三月)
  3. じゃんけんで、指を全部ひらくこと。ぱあ。
    1. [初出の実例]「ちいりこ(東京のジャンケン)できめ、ちいりこさいよ。合こでさいよ。と手を振り鋏や石や風呂敷(東京の児童のいふ紙)の形を出して決める」(出典:明治大正見聞史(1926)〈生方敏郎〉憲法発布と日清戦争)
  4. かみばな(紙花)」の略。
    1. [初出の実例]「もしへ紙を一枚おくんなんしょ」(出典:雑俳・川傍柳(1780‐83)四)
  5. 紙入れ、財布のこと。
    1. [初出の実例]「且つ其の隠語、紙を楂志と曰ひ〈略〉按に楂志とは、楂志発沙夢(さしはさむ)の略。之を懐抱に夾めばなり」(出典:江戸繁昌記(1832‐36)五)

紙の語誌

の手すき紙は一〇五年中国後漢の蔡倫がその製法を大成したといわれる。日本へは高句麗を経て六一〇年に製法が伝えられ、その後種々改良が施されて現在の和紙となり、最も丈夫で美術的な紙として知られている。機械ずき紙は一七九八年フランス人が初めて造ることに成功したが、普通、洋紙と板紙とに分けられる。また、石油を原料とする紙酷似品もある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「紙」の意味・わかりやすい解説


かみ
paper

植物の繊維を水に分散させたものを、薄く平らに漉(す)き上げて乾燥させたもの。植物から取り出した繊維の集合体であるパルプに水を加えて強力に攪拌(かくはん)すると単繊維状に離解し、さらにたたいたうえ、水を大量に加えた希釈液を金網、プラスチックの網または簾(すだれ)などで、繊維が絡み合った薄い膜状の湿紙として漉き上げ、次にこの湿紙の余分な水を絞り取り、乾燥させるとシート状になる。情報の記録、伝達、および物の包装の三つの大きな用途に大量に消費されるほか、非常に多種の用途に供される。その多彩な用途に対応して多種類の紙がつくりだされたが、なお新たな用途が広がり続けている。そのため製造に際して添加剤を用いたり、製品をさらに加工したりして、新製品が生み出されている。

 情報の記録や伝達に用いられた、羊皮をもんでつくった羊皮紙(パーチメントparchment)や、竹材を薄く削って得た竹片(竹簡)などは、前述の定義に該当せず、紙とはいわない。しかし、技術の進歩や他業種との交流によって多くの新素材が供給されるようになった今日、木材パルプと人造繊維や合成繊維、さらにはグラスファイバー(ガラス繊維)と混合抄紙(しょうし)した紙状のものや、合成繊維を紙状に抄(す)いた合成繊維紙なども生み出された。さらに、合成高分子(プラスチック)を薄くシート状に延ばし筆記や印刷を可能にした合成紙など、紙に似た新製品が少量ずつではあるが数多く現れて、これらも広義の紙として扱われる。また木材パルプや古紙の再生パルプでつくられた段ボール用の板紙や肥料袋、セメント袋などに用いられる包装紙も紙のなかに含まれる。なお、日本では統計上、このようにきわめて多種類の紙のうち、その一部を紙(洋紙)・板紙としてくくり、和紙と大別している。

[御田昭雄 2016年6月20日]

紙の歴史

紙の発明以前

古代から人類が情報を記録して後世に残そうとする欲望は大きく、石を並べたり、碑(いしぶみ)を建てたり、石で記念の塔などを建造したが、人知が進むにつれ、より多くの情報を残せるように、石塊に比べて薄い石板や粘土板をつくり、これに文字を刻んだりすることを覚えた。

 さらに下っては、動植物のなかから文字の書ける媒体を求め、種々の薄片をつくりだした。中国では木や竹を切って薄片をつくり、また牧畜の盛んな中近東地域では獣皮の薄片(パーチメントなど)をつくって文字を書くようになり、情報の記録と伝達とを可能にした。

 紀元前3700年ごろ、エジプトではナイル川の河岸に生えるパピルスpapyrus(カヤツリグサに似た植物。三角形で草丈1.5~2.0メートルに達する)を用いて新しい情報の記録と伝達の媒体の発明に成功した。パピルスの茎を収穫し縦に裂いて得た薄片を縦横に並べ、水を加えて打ちたたいて密着させ、乾燥させると、いわゆるパピルスが得られるが、これは強度が大きく、いまなお保存されているものがある。パピルスは英語のペーパーをはじめとするヨーロッパ各国語の「紙」の語源となっているが、前述の定義における紙ではない。

[御田昭雄 2016年6月20日]

紙の発明

今日の植物繊維紙は、『後漢書(ごかんじょ)』巻108「宦者(かんじゃ)列伝」によると、中国の後漢の和帝のときの元興1年(105)蔡倫(さいりん)が樹皮、布、魚網を利用し、今日の紙の定義に当てはまる紙を発明したとされているが、前漢の時代にはすでに紙が発明されていたともいわれる。この時代につくられたとみられる紙がシルク・ロードの敦煌(とんこう)で探検家のM・A・スタインによって発見されたが、純粋なぼろからつくられたものであることが確認されている。このように中国における紙の発明は古く、アサ、タケ、稲藁(いねわら)、ワタ、コウゾ(楮)などを原料として多くの人々によって改良されたものとみられている。

 紙の発明は一見素朴で、原料は麻布のぼろ、古い魚網などで、操作もきわめて単純であるが、約2000年以上経った今日でも、この手法で熟練した職人がつくれば、あらゆる紙のなかでももっとも大きな強度をもったすぐれた麻紙が得られることからみても、驚異的な発明であったといえる。

[御田昭雄 2016年6月20日]

製紙技術の伝播(でんぱ)

古来中国では優れた技術の国外流失にきわめて厳しかったので、世界中で渇望していたにもかかわらず、紙の技術も国外に伝わるのにきわめて長い時間がかかった。紙は植物繊維を原料とするパルプを中間原料としてつくられる。製紙工場は通常パルプの製造設備と一体化し、パルプ技術とともに製紙技術は移転した。植物原料によってパルプの繊維長が異なり、強度も性質も異なるので、国、地域によっては、中国とかなり違ったパルプと紙の製法が必要となり、さまざまなくふうがなされ、新しい紙パルプの技術と知識が加えられていった。19世紀中葉に欧米で木材のパルプが生まれ、その技術は急速に普及し世界中は木材紙の時代となったが、それまでの2000年近くの間、世界でつくられた紙はいずれも非木材紙ということになる。

[御田昭雄 2016年6月20日]

製紙技術の西への伝播

中国で1世紀ごろに発明された製紙技術は国外になかなか流出しなかったが、150年ごろには中国の辺境のトルキスタン地方まで技術の移転が行われていた。アラビア軍が唐軍と中央アジアで戦って唐軍を大破し(751)、トルキスタンの首府サマルカンドは陥落した。捕虜のなかに製紙技術をもつ中国人がいたため、その技術はアラビア人に習得されて移転を始め、順次西に工場が建てられるようになった。793年にアラビア人によってバグダードに建てられた製紙工場は、10世紀にはエジプトのカイロを中心にして多く建てられ、アマ(亜麻)を原料とする製紙が行われた。

 11世紀にアフリカ沿岸地方で盛んになった製紙技術は、スペインに侵入したムーア人によってスペインのバレンシア地方に伝えられ、当地に工場が建設(1151)されたのが、ヨーロッパにおける製紙工場の始まりといわれる。イタリア(1276)、フランス(1348)、ドイツ(1390)、イギリス(1494)、オランダ(1586)などに順次製紙工場が建てられたが、ついに1690年に大西洋を渡り、製紙工場はアメリカのフィラデルフィアに建設されるに至った。

 欧米に渡った製紙工業は、グーテンベルクの活字の発明による印刷工業の発展に伴う大量の紙の需要に支えられて隆盛を続けたが、技術的にも大きく発展した。オランダでは叩解(こうかい)装置ホレンダーが発明されたため、とくに良質の紙が製造されるようになり、また18世紀の末にフランスのロベールNicolas Louis Robert(1761―1828)が長網抄紙機(ながあみしょうしき)を発明して、紙の大量生産を可能とする糸口をつくったが、パルプの慢性的な不足に長い間悩まされ続けた。

[御田昭雄 2016年6月20日]

製紙技術の東への伝播

一方、中国で発明された製紙技術は、日本には朝鮮を経て推古(すいこ)天皇の代(610)に僧曇徴(どんちょう)によってもたらされたと伝えられる。日本においては紙が神聖視されたせいか、ぼろを原料として使うことを避けたので、製紙技術は原料、助剤および抄紙技術に種々くふうが重ねられ、中国や朝鮮の紙に比べはるかに強靭(きょうじん)かつ優美な、いわゆる和紙が完成された。すなわち、原料としては中国が麻ぼろパルプ主体であったのを、おもにコウゾの皮、一部ではガンピ(雁皮)の皮も用い、これを木灰で蒸煮し、いったん長繊維のパルプにして使用した。また抄紙に際してはトロロアオイやノリウツギからとった粘液ねりを助剤として使用し、流し漉(ず)きの技術を生み出すことにより、コウゾパルプのような長繊維パルプからでも、薄くても均一で、ごみがなく美麗かつきわめてじょうぶな和紙を製造しうるようになった。その後、室町時代の後期から江戸時代の前期にはミツマタ(三椏)からも製紙用パルプが得られるようになって、さらに製造しうる紙の種類と量とは増加した。

[御田昭雄 2016年6月20日]

木材パルプの発明

中国では衣服に多く麻が使われていた。そして麻ぼろから得られる麻パルプに中国の製紙工業は頼った。それに対し、ヨーロッパでは衣服として綿製品が多く使われたので、綿ぼろから得られる綿パルプに製紙工業は頼らざるをえなかった。

[御田昭雄 2016年6月20日]

ヨーロッパにおける木材パルプの発明

ヨーロッパでは、原料パルプの供給は紙の大量需要にこたえられない状態が続いたため、19世紀中葉に、北ヨーロッパおよび北アメリカで、その地方の針葉樹を原料としてグラインダーを使って丸太を機械的にすりつぶす、砕木法(GP法)が発明された。このパルプは粗悪で、単独では抄紙が不能なほどであったが、増量材として綿パルプを混ぜて紙の増産が可能となった。これに刺激されて、綿パルプを使わなくてもじょうぶな紙が漉ける木材パルプの製造法が研究され、木材チップからじょうぶな木材パルプを化学的に製造する方法として、1853年にアルカリ法(AP法)、1867年に亜硫酸法(SP法)、さらに1885年にクラフト法(KP法)が次々と発明された。これらの方法で木材パルプを大量に生産するためには、大量の木材と水を使い、大量の排水と排気を出すことになるので、パルプ工場は木材と水を求めて僻地(へきち)に工場をつくり、一方、製紙工場は消費者の好みにあわせて各種の紙を生産するため、従来どおり消費地の近くに立地したので、パルプ工場と製紙工場の分離が始まった。

 ヨーロッパではすでに叩解機、抄紙機等の製紙機械の発明があり、さらに木材パルプだけで良質の紙がつくれるようになったので、安価な紙の大量生産が可能となった。このように長い間かかって中国から欧米に渡った非木材パルプと非木材紙の製造技術は、木材パルプと木材紙の製造技術に変身、発展し、短い間に世界中に普及した。産業としても、家内工業的な非木材紙工業は近代的な基幹産業ともいえる洋紙・板紙を製造する紙パルプ工業に変貌(へんぼう)を遂げた。

[御田昭雄 2016年6月20日]

日本における紙パルプ工業の展開
明治以後第二次世界大戦まで

明治政府は欧米のあらゆる技術の導入に積極的に努めたが、早い時期に洋紙の製造が、やや遅れて木材パルプの製造が始まり、安価にして優良な紙が大量に供給できるようになった。

 日本は国土の面積の約3分の2が山林で、広葉樹林と針葉樹林が約半分ずつを占めていたが、広葉樹材は北ヨーロッパの針葉樹を原料とするパルプ化技術では優れたパルプにはならず、ほとんど薪炭(しんたん)材として使われていた。また針葉樹材は建材、坑木その他の需要が多く、資源として不足するうえに、本土に多いマツの類は樹脂分が多くてパルプ化しにくかった。しかし北海道にはエゾマツ、トドマツなど比較的樹脂の少ない針葉樹が多く、紙パルプ工業はそれらを用いて亜硫酸パルプと砕木パルプをつくり、これを中間原料として新聞用紙をはじめ各種洋紙・板紙を製造して成長した。その後日本の紙パルプ工業はさらに発展し、北海道の木材資源では足りなくなり、樺太(からふと)(サハリン)、満州(現、中国東北部)に針葉樹を求めて工場を展開した。

[御田昭雄 2016年6月20日]

第二次世界大戦以降

第二次世界大戦で日本は樺太と満州の紙パルプ工場を失ったうえ、本土の工場の多くは戦災を受け、戦後2年目にはパルプの生産量は20万6000トンに、紙の生産量は21万トンにまで減少し、極端に紙が不足した(1人当り年間消費量3キログラム以下)。そのころ海外のパルプ工業では数々の画期的新技術が工業的に成功し、それが次々と日本に導入され、資源不足にあえいでいた日本の製紙工業は大きく発展した。そのなかで、界面活性剤による樹脂の除去技術は本土のマツ類のパルプ化を容易にした。また液体サイクロンによる夾雑物(きょうざつぶつ)の分離技術は、廃材などの低質のチップから得られたパルプの精選にきわめて有効であった。しかし、もっとも大きかったのは、クラフトパルプにおける連続蒸解(連続的に煮てパルプ化すること)技術や多段漂白技術などの画期的な技術改良であり、これによって、良質のパルプを安く大量生産することが可能となった。さらにパルプ廃液を濃縮・燃焼処理し、蒸解薬品を回収するとともに、蒸気、電力のエネルギーも同時に回収できるようになり、パルプのコストと排水による公害問題を当時の社会基準の範囲内に押さえることに成功した。

 1950年代の前半に、中近東で大量の石油が産出されるようになってエネルギー革命がおこり、世界の経済を活性化するとともに多くの産業は変貌を遂げた。日本では山村でも石油こんろを使うようになったために、本土の山林の半分を占めていた広葉樹は薪炭材としての用途がなくなり、その大半がパルプ原料にかわり、日本の製紙工業は大いに発展した。またそれまで世界中のほとんどのパルプ工場と製紙工場は別々に立地されていたのが、日本ではパルプ紙一貫生産体勢を目ざして、パルプ工場は敷地内に製紙工場を建設し、大きな製紙工場は隣接地にパルプ工場の建設を行った。そのため大都市のなかにセミケミカルパルプ(SCP)の工場が出現し、パルプ廃液をたれ流すという世界的にもまれな事態のなかで日本の紙パルプ産業は躍進を続けた。

 日本の紙パルプ産業は国内の木材資源には恵まれていなかったが、1964年(昭和39)には木材チップを海外から専用船で運ぶようになり、1億人の消費者と消費地のなかに紙パルプ一貫工場をもつという強みを生かし、世界の巨大企業と競争し、さらに発展し続けるかと期待された。

[御田昭雄 2016年6月20日]

紙パルプ工業の発展と公害問題

資源がない日本は、第二次世界大戦後さらに疲弊したが、生産第一主義で走り続け、いち早く戦後の復興をなし遂げ、奇跡ともいうべき繁栄を手にした。そのため多くのひずみもたまり、1971年の田子ノ浦事件をはじめ多くの公害事件がおこった。

 パルプ工業において、化学パルプ(CP)の収率は通常約50%かそれ以下であるので、パルプを製造する際、パルプと同量かそれ以上の木材成分がパルプ廃液をつくりだすことになる。当時クラフト法以外のパルプ工場は濃縮燃焼処理をしていなかったので、廃液は排水となって大量に河川や海に流れ出ていた。一方、クラフトパルプ工場では硫化水素やメチルメルカプタンなどの悪臭物質が発生し、そのまま大気に放散されていた。また古紙を集めて紙を再生する工場では、古紙に対する収率は約3分の2で、その再生パルプの約半量のスラッジ(ごみ)が発生し、当時はこれが捨てられていたのである。

 さまざまな公害問題が発生するなかで、それまでの生活を無視した産業推進が批判され、世界が注目するなかで人間と生活環境の抜本的見直しと、公害処理の研究、開発、さらに法の整備と実施が始まった。1973年当時国内の化学パルプ生産量624万トンのうち5.8%を占めていた製紙用の亜硫酸パルプの生産量は、現在では統計上からほとんど姿を消し、クラフトパルプがそれにとってかわるなど、徹底して廃棄物の少ない製法に切り換えられ、短期間に世界中から称賛されるほどの改善の効果が得られた。

[御田昭雄 2016年6月20日]

オイル・ショック後の紙パルプ工業

さらに1973年にオイル・ショックがおき、石油製品の高騰につれ、紙パルプを含むあらゆる産業は、エネルギー、資源、環境についてグローバルな見地で見直さなければならないことを知った。FAO(国連食糧農業機関)の統計によれば、その年、日本のパルプ生産量は1009万5000トンと初めて1000万トンを超え、紙の生産量は1597万5000トンと初めて1500万トンを超えたが、いずれも翌年から下降した。そして日本においては、もはやエネルギー多消費型の製品の製造および処理法は存続できなくなった。たとえば収率がきわめて高いが、電力消費量もきわめて大きい砕木パルプなどは、電力も木材も豊富で安いカナダなどで生産し、さらに現地で紙にして輸入するように変わるなど、国際分業が進んだ。1973年と2013年(平成25)時点を比較すれば、クラフトパルプは、パルプ廃液から薬品のほか蒸気、電力の形でエネルギーをほぼ完全に自給できる強味を生かし、その生産量は589万7000トンから807万6000トンに増加し、全パルプ生産量に対する割合も58.4%から91.3%へと圧倒的なものとなった。機械パルプ(MP)は137万6000トンから66万6000トンに減少し、全パルプ生産量に対する割合は13.6%から7.5%に減り、またセミケミカルパルプは198万8000トンから1万9000トンに、全パルプの生産量に対する割合も19.6%から0.2%に激減するなど、きわめて厳しい対応を迫られたことがわかる。

 しかし紙パルプ業界は資源、エネルギー、環境等の諸問題を克服しながら生産に励み、省エネルギー化では、洋紙・板紙のエネルギー原単位(製品1トン生産するのに要するエネルギー消費量)は1973年を100として1989年には57、2012年度には35.2にまで減らすことに成功している。このような努力の結果、1999年には国内のパルプの生産量は1105万6000トンとなり、紙の生産量に至っては初めて3104万トンと3000万トンの大台に乗った。これは第二次世界大戦直後の1946年の約150倍に成長したことを示すとともに、年間1人当りの紙の消費量は273キログラムと当時の100倍近くに増えたことも示している。2013年時点では、製紙用パルプの生産量は877万4000トン、紙・板紙の生産量は2624万トンとなっている。

 和紙の分野でも、靭皮(じんぴ)パルプのほか、麻パルプや木材パルプを用い、ビーターやヤンキーマシンなどの洋式抄紙装置を利用して、いわゆる「機械抄き和紙」を比較的安価に製造しうるようになった。また和紙の製造技術も、伝統の流し漉きの技術のほかに欧米の溜(た)め漉き技術を加え、手漉きで、きわめて優美かつ高価な工芸品的な紙が、少量ながら生産されている。これらの工芸的和紙は、原料として高価、良品質で長繊維の非木材パルプを用いており、多くの開発途上国で製造されている、タケ、麦藁などを原料とする粗悪または安価な短繊維の非木材パルプを用いた洋紙・板紙とは大いに趣(おもむき)を異にしている。

[御田昭雄 2016年6月20日]

製紙工業の現状

「紙の消費量は一国の文化のバロメーターである」といわれてきた。2013年時点の生産量および消費量などを調べてみると、紙・板紙は世界で年間4億0261万トンが生産されている。これを世界の人口で割ると1人当りの消費量は約56.5キログラムとなるが、実際には全消費量4億0364万トンの25.1%にあたる1億0136万トンを中国、17.8%にあたる7181万トンをアメリカ、6.8%にあたる2731万トンを日本が消費しており、この3か国で約50%を占めていることになる。

 紙は当初情報の保存と伝達のために発明されたが、すぐれた多くの性質を有するため、それ以外の用途も生まれ、それに対応して数百種類の紙が生まれた。世界の紙の生産量が4億トンであることは前述のとおりであるが、その4億トンの紙を生産するのに直接必要な原料のパルプ生産量は2013年時点で約1億7936万トンにすぎない。紙の生産量に比べパルプの生産量がかなり小さいのは、抄紙の際に添加する填料(てんりょう)(不透明性を出すために使用する陶土など)の分もあるが、大部分は資源、環境に対する意識の高まりから古紙の回収率が向上し、製紙に使えるパルプが再生できるようになって、木材が節約されるためである。

 とくに日本では古紙の回収率が2013年に80%を超え、再生したパルプを配合して各種の紙の製造に供するなど、高度の再生技術は世界的な注目を浴びている。一方、農産廃棄物などから良品質の非木材パルプを製造し、さらに製紙しようとする研究も各国で行われている。なかでも、過酸化水素にアルカリを添加した溶液で処理する過酸化水素アルカリ法(PA法)は、非木材パルプの製法として大いに期待されている。

[御田昭雄 2016年6月20日]

紙の製法

パルプ

紙はパルプを中間原料とする。紙は一般に薄く、パルプは一般に厚紙状のものが取引される。木材パルプは数種しかないが、これから製造される紙は種類がきわめて多く、300~500種類にも分類されるほどである。薄い紙のなかには、パルプを構成する1本1本の繊維の太さの約30マイクロメートルよりも薄いものもあり、板紙のなかにはパルプのシートより厚く、水にも容易にぬれないものもある。このように性質の異なる多品種の紙を数種類のパルプを原料として製造可能とするため、叩解をはじめとするパルプの加工、異種のパルプの配合のほか、填料、色料、サイズ剤など各種助剤の配合や、抄紙に際しては抄き合わせ、さらには、いったんできた紙の塗工、加工などが行われる。

 紙の原料となるパルプには木材パルプと非木材パルプがあるが、日本では非木材パルプの使用量は1%以下ときわめて少なく、木材パルプの消費量が圧倒的に多い。木材パルプの種類は少なく、針葉樹パルプ、広葉樹パルプ、さらに製法によっていくつかに分類される。しかし木材パルプの原料となる樹木の種類は多く、種類、樹齢、部位によって組成、繊維長を異にするが、いずれも幹と枝の木質部を利用する。

[御田昭雄 2016年6月20日]

完全紙料の調製

1種または2種以上のパルプを離解して配合し、適宜に叩解を行って繊維の形状とコロイド性とを変え、さらに填料、サイズ剤、色料などの助剤を加えて抄紙可能な状態にしたものを完全紙料といい、これらの操作を完全紙料の調製という。

[御田昭雄 2016年6月20日]

離解

紙はパルプが均一に分散された懸濁液(けんだくえき)から抄かれなければならない。通常、製紙工場に搬入されるパルプは厚紙状なので、初めに攪拌機のつく水槽に投入し、単繊維状態になるよう分散させる。この操作を離解といい、離解専用につくられた装置を離解機という。小さな製紙工場ではビーターで離解と叩解とを続けて行う例も多い。

[御田昭雄 2016年6月20日]

叩解

パルプは水でぬらしてたたくと、繊維の構造が壊れてもとの繊維体より細い糸状体ができる。これをフィブリル化するといい、繊維の表面積が増え水和・膨潤が進んでコロイド性が変わる。この操作を叩解という。離解したパルプを叩解し、水中からフィブリル化した繊維を膜状物(湿紙)にして抄き上げると、互いの繊維の接着面積は増えるため、まったく接着剤を用いなくても、あとは乾かせば繊維間の距離はしだいに近づき、水素結合が急速に増すため、強度の大きい紙が得られる。

 パルプから紙を得るためには、通常、この叩解の作業が不可欠である。叩解の工程では、長すぎる繊維は切断して短くそろえ、太すぎる繊維は裂いて細くし、切断して、膨潤させ、一次膜を除去するばかりでなく、パルプの懸濁液中に残る離解不完全な繊維束を分散させる。これによって、均質で強度のある紙を製造することが可能となる。また求めに応じて原料パルプの単繊維1本の太さよりも薄い紙を抄造することも可能となる。

 叩解により得られる紙の強度は、引き裂き強さ以外の諸強度は著しく増加する。ただし、パルプは叩解の際に大量のエネルギーを必要とするうえ、保水性が著しく増加し、抄紙の際の水切れが悪くなるので、抄紙速度を落とす必要が生じるなどの制約を受ける。

 叩解に用いる装置を叩解装置といい、ビーター、エッジランナー、ディスクリファイナー、ジョルダンエンジンなど機種は多いが、かつてはビーターがもっとも多く使われた。ビーターは18世紀オランダで発明されたためホレンダーともよばれ、種々改良されたが、この型の叩解機は、パルプの叩解のほか離解の作業にも使え、さらにはサイズ剤、填料、その他の助剤との混合にも使えるため、日本では1950年代までは主力として活躍した。回分式(バッチ式)で始動に大量の電力を消費するなどの欠点が目だつので、大型工場ではビーターを使わず、その後開発された離解機とディスクリファイナーなどの連続運転が可能な叩解機を組み合わせて連続化、省力化、省エネルギー化が図られている。現在でも、多品種、少量生産を旨とする特殊紙や機械抄き和紙の製造の際には、離解から叩解、製紙用助剤の混合まで完全紙料の調製の全工程が1台の機械でこなせるので、ビーターが愛用されている。

 叩解機は内側に歯が植えられ、回転体(ローター)が収容しうる軸受をもつ外殻(ケーシング)と、外側に歯が植えられているローターとからなる。離解したパルプの懸濁液を入れて叩解機を回すことにより、パルプは叩解作用を受ける。パルプの濃度を下げてケーシングとローターとの間隙(かんげき)を狭めると繊維の切断がおこりやすくなり、これを抄紙した場合水はけがよく、さらさらした紙が得られる。このような叩解を遊離状叩解という。一方、パルプの懸濁液の濃度をあげ、ケーシングとローターとの間隙を広くすると、パルプのフィブリル化が進んで保水性があがり、得られる紙は諸強度が大きく、緻密(ちみつ)かつ表面平滑で、透明度が高くなりやすい。このような叩解を粘状叩解という。

 叩解工程はもっとも重要な前処理工程であるが、大量のエネルギーを必要とするため、省エネルギー叩解技術の必要性が論じられるようになった。

[御田昭雄 2016年6月20日]

サイズおよびサイズ剤

紙は親水性のセルロースの絡み合いでできていて、多孔質で液体を吸収する性質をもっているので、インクなどで過度ににじまないよう、また表面性を改善するために耐水性の薬品で処理する必要がある。この操作をサイジングsizingといい、用いる薬品をサイズ剤という。水などの液体を吸収するための吸取紙や、物を分離して純粋なものを取り出すために用いる濾紙(ろし)などの特殊な紙には当然サイズは行わないが、通常の紙には種々のサイズが施される。

 サイズには、抄紙に先だって行う内添サイズと、抄紙後に行う外面サイズとがある。内添サイズの代表的なものとして、微酸性で行うロジンサイズがあるが、このほかに中性で行うサイズもある。

 ロジンサイズは松脂(まつやに)とアルカリでロジンせっけんをつくり、定着剤として硫酸アルミニウムを加える。叩解したパルプは初めロジンせっけんで処理し、さらに硫酸アルミニウムを加えて液を微酸性にすることによって、繊維の表面に水に不溶性のロジンのアルミニウムせっけんを析出させて、紙の親水性と撥水(はっすい)性の調節を可能にする(酸性紙)。効果のあるサイズが簡易に行えるので、ロジンサイズは長らく主流の地位にあったが、紙を構成するセルロース繊維が酸性に弱いため、ロジンサイズを施した図書館などの貴重な蔵書が100年以上の長い年月の経過により劣化してぼろぼろになっていることがわかり、1980年代に社会的な問題となった。そのため、筆記用紙および印刷用紙など長期保存を要する紙の製造にはほとんど中性サイズが行われるようになった(中性紙)。中性サイズ剤としては、アルキルケテンダイマーおよびアルケニル無水コハク酸などが多く使われている。

 外面サイズは紙の表面にサイズ剤を塗布してにじみ止めを行うものであるが、その使用量は内添サイズの数分の1ですむほかに、表面の強度を増す効果や平滑性と印刷適性向上に効果がある。外面サイズ剤としてはデンプンやアクリルアミドの混合物などが多く使われる。

[御田昭雄 2016年6月20日]

填料

紙の不透明性と表面平滑性とを向上させるため、多くの印刷紙には、屈折率が高く白色度の高い微粉を抄紙に先だって填料として添加するが、一般に填料の添加に伴って抄紙機のワイヤの摩耗が進み、また紙力とサイズの効果が低下する。

 LBKP(広葉樹の晒(さらし)クラフトパルプ)が紙の主力原料となってからは、紙の裏抜け(印刷文字が紙の裏に透けて見えること)が激しくなり、それを防ぐため填料の添加量を増やす必要に迫られたが、さらにはパルプより安い填料を大量に用いれば、製品の増量とコストの引下げもできるとして必要以上に使われるようになった。しかし、必要以上に加えた填料は図書を重くし、持ち運びを困難にしたり、古紙からパルプを再生する際に填料は再生できないので、大量のスラッジが発生し、またごみとなった古紙を焼却するときに大量の灰が発生するので嫌われることも多い。

 填料として使用可能なものは多く、白土(カオリン)、タルク、沈降性炭酸カルシウム、ケイ酸カルシウム、酸化チタン(チタンホワイト)、バライタ(硫酸バリウム)などがある。

 白土はチャイナクレイともよばれ、填料としてもっとも代表的なものである。本来陶磁器の原料として使われていたもので、白色度の高い良質のものは品不足で高価なため、ほかの填料がかなり使われるようになった。

 沈降性炭酸カルシウムは、筆記用紙や印刷用紙のサイズが中性サイズにかわったため、一般に使われるようになった。酸性サイズに用いれば、両者は反応して二酸化炭素の気泡を発生しながら硫酸カルシウムに変わるため使用できなかった。原料の石灰石は炭酸カルシウムを主成分とし、鉄、マンガン、マグネシウムおよび珪酸(けいさん)など多数の不純物を含む鉱物で、日本では資源的にはきわめて豊富に存在する。これを加工精製することによって純度の高い良質の沈降性炭酸カルシウムを安価にかつ容易に製造できる。

 チタンホワイトは高価であるが高い屈折率と白色度を有するので、地図用紙や航空郵便用の便箋(びんせん)のように薄くて白い紙の製造に利用される。またバライタは写真の印画紙の原紙(バライタ紙)の製造に用いられる。

[御田昭雄 2016年6月20日]

色料

今日製造される紙の多くには、色料が加えられてなんらかの着色が施されている。色料のうち顔料は水に不溶性で、無機質のものと有機質のものとがある。顔料のうち群青(ぐんじょう)と紺青(こんじょう)は、かつてはパルプの黄色味を消し、白い紙を得るために用いられた。その後は高白色度のパルプが得られ、また蛍光染料があるので、有色のものは使わず、白い顔料がおもに塗工紙をつくるための塗布剤の主成分として用いられる。顔料の種類は填料とほぼ同様、白土、タルク、沈降性炭酸カルシウムおよびチタンホワイト等が使われるが、紙の表面をより白く、緻密に、平滑にするために、填料に使うものより白色度が高くて粒子が細かい高品質のものが用いられる。

 一方、染料は一般に水に可溶で以下のように分類され、種類が多い。(1)塩基性染料、(2)直接染料、(3)酸性染料、(4)建染(たてぞ)め染料、(5)蛍光染料、(6)その他の染料。第二次世界大戦後、分散染料のように水に溶けず界面活性剤とともに水に懸濁させて合成繊維を染色する特異な染料も現れた。しかし製紙工業で使われるものはいずれも繊維工業、とくに木綿の染色のためのものを使っており、おもに塩基性染料と直接染料で、蛍光染料も使うことがある。このうち塩基性染料は色は鮮やかで価格は安いが、着色した紙を水でぬらしただけで染料が溶け出しやすく、日光に対して堅牢(けんろう)ではない。直接染料は木綿の染料として多く用いられ、一般に塩基性染料に比べて色は地味であるが、着色した紙は水による溶出が少なく、パルプを容易に染色することができ、かつ日光にも堅牢である。蛍光染料は紫外線(波長300~400ナノメートル、1ナノメートルは10億分の1メートル)を吸収し可視の青紫光(波長430~450ナノメートル)を放射する染料で、白さの向上を感じさせるのに用いられるが、タングステンランプのように紫外線を出さない光の下では白く感じられない。

[御田昭雄 2016年6月20日]

その他の助剤

多くの助剤が種々の目的で用いられる。そのうち一般的なものはスライムコントロール剤で、そのほか広く用いられているものには紙力増強剤などがあげられる。

[御田昭雄 2016年6月20日]

スライムコントロール剤

製紙工場では抄紙の際に大量の水を使い、その大半は回収して循環利用するが、パルプがもち込む微量な可溶性の糖分などが蓄積し、とくに夏期はバクテリアやかびが繁殖して粘着性の泥状物(スライムslime)が発生する。スライムコントロール剤はこのスライムが製品を汚染し品質を損ねるのを防ぐために用いられる。かつては水銀、錫(すず)等を含む有機金属化合物も使われたが、その後毒性の弱い有機窒素硫黄(いおう)系、有機ブロム系化合物が多く使われる。また循環水をオゾン滅菌する試みなども行われている。

[御田昭雄 2016年6月20日]

紙力増強剤

紙は本来、パルプをぬらして、たたいただけで強度のある紙が得られていた。しかしかつては考えられなかったほど原料パルプが低質化したため、紙力増強剤を加えなければならなくなった。資源問題、公害問題、さらには地球環境に対する社会の関心の高まりに応じて、古紙からパルプを再生して、社会の要求にあった性能の紙を製造する必要が生じたのである。2013年時点で、新聞用紙に対する古紙利用率は78%を超えている。板紙の製造では、板紙の古紙のほかに印刷紙や包装紙等の古紙など、ほかの紙の製造に適さない低質な再生パルプの混合率が93%を超えるに至った。このように粗末な原料からつくった板紙に、重量物を梱包(こんぽう)できる段ボール用の板紙の性能が求められる状況にあり、そのため紙力の増強を可能とする薬剤が必要となったのである。紙力増強剤には乾燥紙力増強剤と湿紙強度増強剤がある。

 乾燥紙力増強剤は紙の軽量化と高速印刷とに耐えうるように用いるもので、トウモロコシ、小麦、タピオカ等の生デンプンおよび変性デンプンを加工処理したもの、植物ガム、ポリアクリルアミド等が用いられる。これらは、パルプのセルロースやヘミセルロースのヒドロキシ基と増強剤の分子がもつアミノ基やヒドロキシ基との間で水素結合が生じ、繊維間に作用する結合数を増加させることによって強度が上昇するのだと考えられている。

 湿紙強度増強剤は湿潤時に極端に強度が落ちる紙本来の欠点を補強するもので、エポキシ化ポリアミドポリアミン樹脂、尿素ホルムアルデヒド樹脂、ポリエチレンイミン等が使われる。これらの樹脂は完全紙料を調製する際にパルプのスラリー(懸濁液)に添加し、セルロース分子間で形成されている耐水性に乏しい水素結合領域を被覆保護したり、三次元化した網目構造をとることによって、繊維を固定して湿紙強度を出すとともに、乾燥強度も増加させるものである。

[御田昭雄 2016年6月20日]

抄紙

今日でも高級和紙の一部の製造には手漉きが行われているが、洋紙、板紙のすべてと大部分の和紙(機械抄き和紙)は抄紙機で抄造される。手漉きでは、パルプの懸濁液を簾または金網(ワイヤ)で膜状に漉き上げて湿紙を得、得られた紙を絞り乾燥して製品とするが、機械抄きでは以上三つの工程を連続的かつ機械的に行う。抄紙機は、(1)目の細かい金網またはプラスチックの網(ワイヤとよぶ)を無端ベルト状または円筒状の籠(かご)の表に張り付けてエンドレスのワイヤにし、同一方向に高速かつ連続的に動かすことによって網の上で完全紙料であるパルプの懸濁液から水を漉(こ)し取り、湿紙を形成させる部分、(2)湿紙に含まれる余分の水分を、回転ロールの間に挟んで連続的に絞る部分、(3)水を絞られ送られてくる湿紙をさらに回転する加熱ドラムに巻き付けながら水分を蒸発させて乾燥した紙にする部分、とからなる装置で、各部分を(1)ワイヤパートまたはウェットパート、(2)プレスパート、および(3)ドライヤーパートとよぶ。

 抄紙機の機種は非常に多いが、構成する三つのパートのうち、とくにワイヤパートとドライヤーパートとの違いにその特徴がみられ、ワイヤパートの様式の代表的なものとして、長網抄紙機、円網(まるあみ)抄紙機、ツインワイヤ抄紙機があり、ドライヤーパートの代表的なものとして長網抄紙機や円網抄紙機などに用いられる多筒式、ヤンキーマシンに用いられる単筒式などがある。さらにパートの組合せを変えたり重ねたりしたコンビネーションマシンなどがある。なお、各抄紙機の詳細については別項「抄紙機」を参照。

[御田昭雄 2016年6月20日]

紙の寸法規格と取引単位

紙の加工仕上げ寸法はJIS(ジス)(日本産業規格)により定められているが、これによるとA列とB列とがあり、A列0番は841ミリメートル×1189ミリメートル(面積は1平方メートル)、B列0番は1030ミリメートル×1456ミリメートル(面積は1.5平方メートル)である。いずれも縦横比が 1:であるので、長辺を二つに折れば番号は1番増えて(たとえばB列1番)面積が半分になるが、縦横比は変わらないようになっている。原紙は化粧裁ち(書物の製本に際して、小口と天地をきれいに断裁すること)の余裕をみるので、幾分大きめにできている。

 洋紙の取引単位は、大口では連(れん)(1連は1000枚)またはキログラム、小口取引では連または枚を用いる。板紙の取引単位は大口ではトン、小口では連(1連は100枚)を用いる。

[御田昭雄 2016年6月20日]

紙の種類

筆記用紙および図画用紙

筆記用紙はサイズのよく効いた筆記性のよい紙の総称である。一般には長く記録を保存するため、上質印刷用紙の原料と同様、化学パルプ100%を用いて抄造する。しかしメモ用紙として、下級印刷紙の原料に相当する砕木パルプを主体として、化学パルプ20~40%をつなぎとして用い、更紙(ざらがみ)も抄造される。用途に応じ仕上げや色合いなどが異なる。用途は多く、ノート用、便箋用、帳簿用、小切手用その他がある。

 図画用紙(画用紙)はペン書きのほか鉛筆画、水彩画、クレヨン画などが可能なように、表面を粗面仕上げした厚手の紙で、原料としては上質紙に相当する化学パルプを用い機械抄きでつくる。とくに高級な紙はコットンパルプを配合し、手漉きによるものもある。

[御田昭雄 2016年6月20日]

印刷用紙

印刷用に製造された紙。紙の発明の最大の目的が情報の保存および伝達であったが、印刷は今日でも情報の保存と伝達の有効な手段である。日本で製造される印刷・情報用紙は2014年時点で850万トンに達した。新聞用紙の313万トンを加えると1163万トンで、これは紙の生産量1512万トンの77%を占め、洋紙のほとんどは印刷のために製造されていることがわかる。板紙を含めたすべての紙の生産量の合計が2648万トンであるから、その44%にあたり、紙パルプ産業にあって大きな割合を占めている。

 印刷用紙の原料としては、従来は木材の晒パルプを主原料とするか、またはこれに砕木パルプを加えて主原料としていた。しかし、地球環境問題が厳しくなるにしたがって、その対策のための技術開発が進み、除塵(じょじん)、精選、脱墨、漂白等の技術が進歩したため、再生パルプの品質が向上し、印刷用紙原料として使われるようになった。かつては古紙の再生パルプは低品質で板紙にしか使えなかったが、2014年には年間消費される古紙1709万トンのうちの40.3%が印刷用紙などの紙の原料として利用され、とくに新聞用紙や下級印刷用紙などに大量に使われるようになった。詳細については別項目の「印刷用紙」を参照。

[御田昭雄 2016年6月20日]

ラミネーションと真空蒸着

ラミネーションは、上質紙、クラフト紙、板紙などの基盤の上に、デンプン、膠(にかわ)、CMC(セルロース系の糊(のり))など水溶性の接着剤を用いて、上質紙、色紙、コート紙あるいはフィルムや金属箔(はく)を貼(は)り合わせて複合素材とすることで、防湿性、保香性など紙になかった新しい機能をもった加工紙を製造するための技術である。貼り合せに用いる素材のうち紙以外のおもなものは、ポリエチレンフィルムポリプロピレンフィルムポリエステルフィルムや共重合体フィルムなど非常に種類が多く、金属箔としてはおもにアルミ箔が用いられる。

 加工法としてはドライラミネーションと押し出しラミネーションがある。ドライラミネーションは通常フィルムまたは箔に溶剤型の接着剤を溶かして塗り、乾燥機内で溶剤を蒸発させた後、加熱ロールの間に紙とともに挟んで加熱して貼り合わせる方法である。欠点としては有機溶剤を使うため、防火と安全衛生の設備が必要なことがあげられる。押し出しラミネーションは溶融した樹脂を、冷えて固まらないうちに紙と連続的に貼り合わせる方法である。製品の加工紙は用途が広く、重く吸湿性のある食糧、飼料および肥料などの包装用に、また軽く吸湿性のある食品やにおいの強い物品の包装用などにも使われる。

 金属を紙に真空蒸着させた加工紙も広く利用されている。真空蒸着に用いられる金属はおもにアルミニウムであるが、そのほかに金、銀、ニッケル、カドミウムなどがあり、通常40~60ナノメートル程度のきわめて薄い膜に蒸着される。製品の加工紙は装飾用のほか電子工業用にも利用される。

[御田昭雄 2016年6月20日]

板紙

厚い紙の総称でボール紙ともよばれる。板紙の種類は多く、段ボール原紙や紙箱の原紙に多く使われる。日本では第二次世界大戦後、あらゆる資源が不足したが、針葉樹材はとくに不足し、木箱ができず梱包と輸送に苦労した。しかし板紙を貼り合わせた段ボール箱が普及し始めて、包装と輸送が容易になった。空き箱は折り畳んで回収し、また箱として再利用できる。使えなくなった空き箱は古紙として回収し、再生パルプにして板紙を再生できるので、爆発的に生産と需要が増えた。2014年には板紙の生産量は年間1136万トンに達し、すべての紙(洋紙・板紙の合計)の生産量2648万トンの約43%に達する。詳細については別項目「板紙」を参照。

[御田昭雄 2016年6月20日]

土木建築材用紙

紙は土木建築の分野でも材料としてさまざまな用途で使われているが、特別に抄造され名前のついているものとして、ルーフィングペーパー、コンクリート養生紙、石膏(せっこう)ボード原紙などがある。

 ルーフィングペーパーは屋根葺(ふ)き材の下地に用いられる。コンクリート養生紙はコンクリートを打ったのち固まるまでの間、乾燥を防ぐためにコンクリートの上に張っておく加工紙である。クラフト紙のほかアスファルト加工紙、ポリエチレン加工紙などが使われる。

 ルーフィングペーパー、コンクリート養生紙などのうちアスファルトやタールを含浸させて使われる板紙は、とくに防水原紙とよばれる。

 石膏ボードは、おがくずその他軽量混和物と石膏とを練りあわせたものを2枚の石膏ボード原紙の間に挟んで成形したもので、家屋の内壁、天井などに仕上げ材の下地として使うが、同原紙は古紙の再生パルプを用いて坪量(つぼりょう)1平方メートル当り300グラム程度の厚い板紙として抄紙される(坪量は紙の単位当りの重量を表す。代表的なものとしてメートル坪量g/m2がある)。

[御田昭雄 2016年6月20日]

機械抄き和紙

明治政府は欧米の文化と技術の導入に努めたが、ミツマタなどの靭皮(じんぴ)(木の皮)の長繊維パルプを原料とした和紙を、紙幣用紙として抄紙機を用いて製造することに成功した。この技術はそれ以来民間にも広がり、アサなどの長繊維パルプを原料とし、短網ヤンキーマシンなどを用いて和紙が抄紙されるようになった。その後抄紙技術が進み、木材パルプのうちでも比較的繊維長の長い、針葉樹の晒パルプを混ぜて機械抄き和紙が抄造された。現在、製造コストを下げるために、機械抄き和紙の抄紙機と抄造技術を使って、木材パルプのみを原料とした安価な和紙風の書道半紙、便箋用紙等の製造が多く行われている。なお長繊維パルプを原料として用い、ごく薄くて抄きむらのない紙を機械で抄造する和紙の技術は、優れた絶縁紙、コンデンサーペーパーなどの製造に生かされ、製品はハイテクの分野に優れた素材として提供され世界的な評価を受けている。

[御田昭雄 2016年6月20日]

非木材紙

1995年時点の世界の非木材パルプ生産量は2530万トンであり、このうち中国は2221万トンで、当時の世界の非木材パルプ生産量の実に87.8%の実績を誇っていた。しかし、20世紀の末期には非木材パルプの生産に伴う深刻な公害問題を放置できなくなり、中国政府はついに規制を強化し、多数の非木材パルプ工場が閉鎖せざるを得なくなった。日本においても、1971年の田子ノ浦事件の前までは、板紙工場が日本各地にあった稲藁を原料として自家用に藁パルプを生産したり、零細な非木材パルプ工場が特殊紙用のアバカ(マニラアサ)パルプなどを生産していた。しかし公害問題が厳しくなると、適切な公害処理技術がなかったために、いくつかの藁パルプ工場は木材パルプ工場に変換し、アバカパルプは公害規制のゆるい海外の工場に生産をまかせ、残りの工場は閉鎖を余儀なくされたのであった。その後、公害処理技術を開発せずに非木材パルプの世界一を誇る生産をしてきた中国も、かつての日本と同じように工場閉鎖の止むなきに至ったことに世界の注目が集まった。

 非木材パルプの大半は、森林資源に乏しく、木材パルプがつくれない開発途上国によって、公害処理設備も十分でない零細工場で、竹、藁、バガス(サトウキビの絞りかす)などから粗悪な短繊維パルプが生産されてきた。それに比べ、ほとんどの先進国の非木材パルプ工場では、アバカなどのアサ類やコウゾ、ミツマタおよびガンピなどを用い、紙幣その他特殊高級紙の原料となる高価な長繊維パルプが製造されている。日本においても、国産の非木材パルプはコウゾやアサなど高価な原料を用い、割高な加工賃をかけ、製品の非木材パルプの価格も木材パルプの5~50倍ときわめて高く、和紙をはじめ紙幣用紙など特殊高級紙の原料として使われてきた。輸入される非木材パルプにはケナフやバガスなどが用いられているが、これらの原料は原産地では安いが、輸入に伴う諸経費をかけると木材パルプよりかなり高くつくため、木材パルプに10%前後混合して非木材紙とするしか方法がない状況にある。

[御田昭雄 2016年6月20日]

紙パルプの未来予測

ペーパーレスの時代はくるか

かつてはパソコンやソフトウェアの新型が発表されるたびに、ペーパーレス時代到来という予測がなされ、紙パルプメーカーが増設・増産を控えた時期があった。しかし、実際にはこれらの製品には紙に印刷された膨大な量の取扱説明書がついてくるなど、予期せぬ紙の消費が紙パルプの在庫を一掃させ、市場価格をつり上げ、紙パルプメーカーの増設・増産の動機づけになった。このような紙パルプの減産・増産の繰り返しは環境対策に大きな進歩を促し、国家・社会も紙およびその原料となる木材資源の節約とごみの削減を支援するようになった。いまや新型のパソコンやソフトウェアには取扱説明書がついておらず、消費者はパソコン画面からマニュアルを探し出して学ぶようになるなど、紙の消費と紙くずの発生は徐々に減少していった。

 紙の最大の役割であった情報の伝達や保存も、パソコンの急速な発達と普及により、その多くはとってかわられるようになった。新聞や雑誌の発行部数は減り続け廃刊するものもあり、さらにパソコンのなかに大きな百科事典や学協会の出す便覧等の膨大な情報が収録保存され、そのなかから必要なときに必要な情報が検索できる体制も進みつつある。

 このような状況のなか、近い将来、紙に対する常識が大きく変動し、紙のない社会がくるのではないかと感じる人々も増えている。確かに情報の伝達と保存については、急速な勢いでパソコンと新しい記録媒体に移っているのは事実である。しかし記録には、永久に保存したい、たいせつなものも少なくない。日本では1000年以上も前に和紙に墨書した多数の資料が、高温多湿の環境にも耐え、古文書としてきわめて良好な状態で保存されている。これは、紙と墨が情報保存の媒体としてきわめて優れていることの証明になろう。

 また今日でも、紙に印刷した本を好み、それを書店の書棚のなかから選んで買うことを楽しみにしている人や、筆記用紙にメモをとりながら覚え、その記憶を整理しなければ勉強や仕事が進められないという人はいるだろう。そのような人々の求めに支えられて、印刷用紙も筆記用紙も減ることはあってもなくなることはないと思われる。

[御田昭雄 2016年6月20日]

日本の公害処理の進化

パルプ廃液には大量の有機物や硫黄化合物が含まれているが、かつては莫大(ばくだい)な量の水で希釈し、軽度の公害処理をすれば川に放流することができた。しかしパルプ工場が巨大化するに伴って、希釈に用いる水は川の水では足りなくなった。希釈の足りない高濃度のパルプ廃液は夏季にはメタン発酵をおこし、メタンガスとともに猛毒性の硫化水素が発生したため死亡事故までおき、1970年代には紙パルプ産業の存亡にかかわる大きな公害問題にさらされた。しかし当時、これらの問題を抜本的に解決できる技術は欧米の先進諸国にもなかった。そのため日本は思いきった発想の転換を求められ、産官学の協力により研究開発を進めて、日本独自の公害の測定技術、処理技術ならびに法規制の三位(さんみ)一体の体制を確立するに至った。パルプ廃液は薄めず、捨てずに集めて濃縮・燃焼することにより水の使用量の節約を可能とするとともに、蒸解薬品と蒸気・電力のエネルギーを同時に回収できるようになり、コストダウンにも成功した。

 さらに日本では都市ごみのなかに20~30%もの紙類が存在することを突き止め、本や紙くず等の紙類を分別して製紙工場に送り再生パルプを得、この再生パルプを使って板紙を製造する技術を開発することで都市の一般ごみの発生量を激減させるとともに、木材資源の節約にも成功した。板紙は商品の梱包、貯蔵、在庫管理ならびに輸送に世界規模で広く使われ、今後ともその需要と供給はさらに拡大し続けるものと期待されている。また製紙工場では再生パルプをさらに精選除塵、脱墨および漂白などを行うことで良質で高白色度の再生パルプを得、これを主原料として中・下級の印刷用紙まで製造し、排煙、悪臭、廃液、排水およびスラッジなどのいっさいを処理処分できる技術をあわせて完成した。これにより日本は世界に先駆けて、紙パルプ産業を極低公害型の持続可能な基幹産業として再構築することに成功した。また周辺諸国への技術の指導普及にもつとめ、今後ともその進化が期待されている。

[御田昭雄 2016年6月20日]

『紙パルプ技術協会編『紙パルプ事典』(1990・金原出版)』『紙パルプ技術協会編・刊『紙パルプ技術便覧』(1992)』『小沢普照著『ザ・森林塾』(1996・森林塾)』『紙パルプ技術協会編・刊『紙パルプ製造技術シリーズ6 紙の抄造』(1998)』『森本正和著『環境の21世紀に生きる非木材資源』(1999・ユニ出版)』『日本製紙連合会編・刊『ケナフが森を救うというのは本当ですか?』『森林はパートナー』『紙パルプ産業の現状』(いずれも2000)』『古紙再生促進センター編・刊『古紙ハンドブック 2000』(2001)』『日本製紙連合会編・刊『紙・パルプ産業の現状』(月刊『紙・パルプ』2001年特集号・2001)』『ピエール・マルク・ドゥ・ビアシ著、丸尾敏雄監修、山田美明訳『紙の歴史――文明の礎の二千年』(2006・創元社)』『山内龍男著『紙とパルプの科学』(2006・京都大学学術出版会)』『紙業タイムス社編『紙パルプ 日本とアジア』各年版(テックタイムス)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「紙」の意味・わかりやすい解説

紙 (かみ)
paper

植物繊維を水で分散させ,無機または有機添加物を加えてシート状に作り,脱水乾燥させ,印刷,筆記,包装などの用途にあてるものを紙という。この定義によれば,ヨーロッパ各国の紙の語源となっている古代エジプトのパピルス紙は厳密にいえば紙ではない。パピルス紙はパピルスpapyrusの茎を薄くはぎ縦横に並べて強く圧縮してシートにしたもので,繊維分散液から作ったものではないからである。化学繊維やフィルムから作った紙も定義から外れるが,紙と同じ用途にあてる紙に類似したものは合成紙と呼ばれている。製紙工業では紙を紙(洋紙および和紙)と板紙に分けて規定しており,日本における両者の生産割合はほぼ55:45である。紙と板紙の区別は厳密ではないが,紙は薄く柔らかく,板紙は厚く硬いもので通常120~130g/m2以上の紙をいい,アメリカでは厚さ0.3mm以上,ドイツでは400g/m2以上の紙を板紙に分類している。この項目では洋紙,板紙を中心に述べる。和紙および合成紙については各項目を参照されたい。
執筆者:

紙が現代社会に果たしている役割の重要性はいまさら説く必要もない。紙のない生活はまったく考えられないことであるが,とくに印刷術と結びつき書籍,雑誌,新聞などに使用され,人類の知的水準を高めるうえに役立っていることが指摘されよう。

紙は英語でpaperというが,その語源はギリシア語のpapyros,ラテン語のpapyrusである。しかしこれらの言葉は現在の紙とは関係がない。パピルスは古代エジプトで使用された書写の材料であるが,水辺に生えるアシに似た水草である。この水草の茎の芯を薄くひろげ,それを適当に重ねあわせて接着した。パピルスの使用は古代エジプトに始まり,初期のギリシアやローマでも用いられた。ところがプトレマイオス王朝の時代になってエジプトはパピルスの輸出を禁止したため,小アジアを中心に羊皮紙が考案され,この羊皮紙がローマに伝えられ,ヨーロッパ中世を通じて唯一の書写の材料となった。これは羊皮をなめしたもので,現在の紙とはまったくちがう。

 周知のように紙は中国人の発明である。中国では殷の時代に亀甲や牛羊骨を焼いて未来の吉凶を占ったが,占った事項やその結果をしるす文章を甲骨に刻んだ。これが〈甲骨文〉であるが,しかし甲骨が書写の材料となったわけではない。殷・周時代には銅器に銘文を鋳造したが,この場合も同様である。ところが周代末期ごろから竹や木を短冊型に切りそろえたものを書写の材料として使用するようになった。これが〈竹簡〉であり〈木簡〉である。現在,漢代の竹簡,木簡が中国本土はもとより新疆ウイグル自治区などの辺境で多数発見されているが,漢代になると白絹を書写の材料とすることが盛行した。白絹に文字や絵を書いたものを〈帛書〉〈帛画〉と呼んでいる。竹簡,木簡類は1片に狭いものでは1行,広いものでも数行しか書けず,1冊の書物を写すことになると多数の簡を皮紐でしばったが,重くて携帯に不便であり,披閲も容易でなかった。一方また白絹は高価であり,庶民が自由に使用することはできない。こうした不便を取り除いたのが紙の発明である。

植物繊維を細かくくだいたものを漉(す)いてできる紙は,通説によると,後漢の蔡倫の発明とされてきた。蔡倫は宦官として宮廷に仕えたが,宮中の調度品を製作する役所の長官(尚方令)となった。彼は樹皮,麻,ぼろぎれ,漁網などを原料として紙を造り,105年(元興1)に和帝に献上したことが《後漢書》巻百八宦者列伝に記述されている。蔡倫はのちに竜亭侯に封ぜられたので,彼が造った紙はまた〈蔡侯紙〉と呼ばれた。しかし蔡倫は紙の発明者ではなかった。《後漢書》巻十上の鄧皇后伝によると,皇后になった102年(永元14)から地方からの献上品が〈紙墨のみ〉になったことが記されている。この記事からすると,蔡倫が紙を献上した年より以前に,すでに各地で紙の製造がかなり広く行われていたことになる。また遺物の面からも前漢時代の紙が発掘されており,中国の製紙術は蔡倫以前に始まり,彼はむしろすぐれた改良者というべきであろう。

 20世紀に入ってイギリスのオーレル・スタインやスウェーデンのスウェン・ヘディンなどが新疆ウイグル自治区でいくつかの古い紙を発見した。1933年には中国の考古学者黄文弼(こうぶんひつ)がロブ・ノールの堡塁で発見した1枚の紙が注意される。4cm×10cmの小さな粗末な紙であるが,同じ場所で黄竜1年(前49)の年紀のある木簡が併出しており,紙はほぼ同時代のものと推定された。また1957年に西安市の東郊に位置する灞橋(はきよう)のほとりで漢墓が発掘され,銅剣,銅鏡,半両銭などとともに紙の断片が出土した。この墓は,埋葬品からみて武帝(在位,前140-前87)の時代を下らないものであった。紙の大きさは10cm四方ほどの小片である。紙の研究者として有名な潘吉星によると,1965年に四川大学の協力を得て行った顕微鏡検査の結果,原料は大麻を主として少量の苧麻(ちよま)(カラムシ)が含まれていることが明らかにされた。この〈灞橋紙〉について,それが紙でなくて布ではないかと疑う学者も皆無ではないが,潘吉星の主張を信ずれば,前2世紀にすでに製紙が行われていたことになる。

 初期の製紙には麻が主要な原料であったが,蔡倫の改良によって多くの植物繊維が使用されるようになった。唐の欧陽詢の《芸文類聚》巻五十八に三国魏の董巴の文章を引用し,〈東京(洛陽)に蔡侯紙あり,故麻を用いるものを麻紙といい,木皮を榖紙と名づけ,故漁網を網紙と名づける〉とある。このうち,原料となった木皮は榖すなわち楮であった。日本では楮にコウゾをあてることがあるが,中国の楮はこれとは別なカジノキを指している。ともにクワ科の植物であるが,〈コウゾ〉は日本原産の植物である。〈カジノキ〉は〈コウゾ〉よりも丈が高く,樹皮は紡いで衣服の材料にもなった。楮紙はまた皮紙と呼ぶことがある。

後漢から三国魏にかけ蔡侯紙の名は有名であるが,後漢末には製紙の名手として左伯が知られる。後漢末の趙岐の《三輔決録》に韋誕(179-253)の上奏文を引いているが,すぐれた書家である以上,張芝の筆,左伯の紙,それに韋誕の墨を使用してはじめて立派な字が書けると述べている。左伯の紙はよほど優秀なものであったとみえる。これまで後漢時代の紙は新疆ウイグル自治区や内モンゴル自治区などの乾燥地帯で発見されてきたが,1974年には甘粛省の武威県旱灘坡からも出土した。やはり麻を原料とし,すぐれた紙質のものであった。

 六朝時代になると一段と製紙術は進歩し,紙の普及が進んだ。文人たちが紙を珍重したことは,晋の傅咸(ふかん)の〈紙譜〉や南朝梁の蕭繹の〈咏紙〉などによってうかがうことができる。王羲之や王献之などの書家が生まれたのもすぐれた紙の生産と結びつくのであろう。こうした紙の流行にもかかわらず,晋の時代にはまだ簡牘(かんとく)の使用が続いた。東晋末に安帝を廃して楚国を建てた桓玄(かんげん)は,公式の文書に簡牘を使用することをやめ,〈黄紙〉を採用することを命令した。黄紙は虫害を避けるため,紙の黄蘗(キハダ)で染めたものである。紙の普及により書物の抄写が年とともに盛んになったが,このことは《隋書》経籍志によっても知られる。それによると,三国魏の荀勗(じゆんきよく)が編集した官府の蔵書目録には2万9945巻を数え,劉宋の秘書監謝霊運の目録では6万4582巻に増えている。当時の書物は紙を長く張り合わせ,中に芯を入れて巻いた〈巻子本〉であった。書物ははじめ儒教経典を中心としたものであったが,仏教が盛んになるにつれ,仏教経典の抄写も盛んになり,抄写を職業とする〈経生〉が生まれた。紙の生産が進むにつれ,紙の値段はしだいに安くなった。《梁書》巻四十九文学伝上の袁峻伝によると,袁峻の家は貧しくて書物がなかったため,人から借りた書物は必ず抄写し,50枚抄写するのを日課とし,この数をこなすまでやめなかったという。もちろん紙は抄写だけでなく,各種の用途に使用された。中国の民芸品として有名な〈剪紙〉(切紙)はまた六朝時代から行われていた。

六朝時代の故紙はかなり多数発見されているが,その原料の90%は麻であり,しかも苧麻が多い。しかし原料には楮皮,桑皮,藤皮があり,前2者は古いが,藤皮紙はおそらく晋代になって造られた。3世紀の西晋時代に書かれた張華の《博物志》によると,浙江省の剡渓(せんけい)には藤の古木が多く,それで作った紙は〈剡紙〉と呼ばれた。この紙は良質で唐代の文人に推称された。

 粗末な紙の材料には麦や稲の茎を使用したが,これらは〈土紙〉とか〈火紙〉などと呼ばれた。中国では後世〈竹紙〉がかなり広く使用されたが,この製法がいつごろ始まったかにはかなり問題がある。南宋の趙希鵠(ちようきこく)の《洞天清録集》には,二王(王羲之,王献之)の真跡は多く会稽の竪紋竹紙に書かれているが,これは東晋の南渡後には北方の紙が得がたく,また2人は会稽にいることが多かったからだという。しかし唐以前の文献に竹紙に言及したものはなく,趙希鵠がみた二王の真跡の真偽を疑う学者もある。潘吉星は竹紙の起源は唐・五代のころで,浙江を中心に造られ,宋代になって盛んになったと述べている。このほか水苔で造った〈側理紙〉なるものがあった。宋の蘇易簡の《文房四譜》に後秦王嘉の《拾遺記》を引用した文があるが,その中に西晋の張華が《博物志》を書くにあたって武帝が側理紙を与えたとみえる。この紙は南方で造られ,青緑色で,縦横斜側の紋理があったという。しかし潘吉星はこうした紙の存在を否定しており,おそらくふつうの紙の材料に少量の水苔を混入したのであろうと論じている。

 六朝時代に考案された方法に〈サイズ〉がある。サイズとはセッコウの類を紙面に塗布し,紙質を変え吸墨性をよくする方法である。新疆出土の前涼建興36年(348)の紙にすでにこの方法が施されている。この方法はヨーロッパでは18世紀になって始まった。また上述したように黄蘗で紙を染め公文書に使用することが東晋末に行われたが,こうした染紙はすでに後漢時代に行われていた。2世紀に書かれた劉熙の《釈名》に,〈潢〉字を染紙の意に解している。北魏の賈思勰(かしきよう)の《斉民要術》には,黄蘗で紙を染める方法が説かれている。六朝の書家は黄紙を愛好したが,また仏教や道教の経典の抄写に広く使用された。この風習は隋・唐時代にも盛んであった。黄紙が愛好されたのは,第一に虫害を除き紙の寿命を長くしたことであり,また黄色は中央土に対応して中国人の好む色であり,さらに目を刺激しないことであった。また筆字の誤りがあると,その上に雌黄を塗って誤字を消し,容易に誤りを正すことができた。こうした黄紙のほか,各種の色に染めた紙が造られた。

 隋・唐時代になると製紙は一段と盛んとなり,この時代の故紙が多数知られている。それには楮皮や桑皮で造られたものが多い。唐の陸羽の《茶経》には藤皮紙で茶を包んだという記事があり,藤紙が唐代に盛んに使用されたことを物語っている。唐代に造られた美しい紙に〈薛濤牋(せつとうせん)〉が有名である。役人をしていた父が四川で亡くなったため,娘の薛濤は妓女となったが,すぐれた文才にめぐまれ,白居易や杜牧などの詩人と詩文の応酬をした。彼女が造らせた便牋は芙蓉の皮を原料とし,それに芙蓉の花汁を混入し,美しい桃花色のものであったという。

 9世紀の唐代に李肇(りちよう)が書いた《国史補》巻下に〈韶の竹牋〉という句があり,当時広東省韶州の竹紙が有名であった。すでに述べたように,やがて竹紙は浙江で盛んに造られた。また《国史補》によると,紙の生産地は9省18州邑に及んだということで,各地で良質の紙が造られた。とくに安徽省は造紙の中心であり,宣州から産出した〈宣紙〉は現在も書画用として珍重される。用途は多方面にわたり,窓紙などの室内装飾に使用され,紙衣,紙帽など布帛(ふはく)の代用品にもなった。中国では葬式に紙銭を焼いたが,こうした風習も唐代にはじまった。こうした用途の広がりとともに,紙の加工技術も進んだ。すき起こしたままの紙を〈生紙〉というのに対し,それに各種の加工を施した紙を〈熟紙〉と呼んだ。紙に透しを入れる手法もまた唐代に考案されたもので,一般に〈水紋紙〉と呼ばれ,また〈花簾紙〉〈砑花紙(がかし)〉という。この透しを造る方法には2法があって,一法は紙すき用のすだれ(またはすのこ)に模様が突出しており,この部分が薄くなって透しができる。いま一つは別に模様を彫った木板をできたばかりの紙に強く押しつけるのである。

 すぐれた紙には特有の名称があったが,唐に次ぐ〈五代〉の時代に造られた〈澄心堂紙〉について述べておこう。南唐の初代皇帝となった李昪(りべん)が金陵(南京)の節度使であったときに,その私室の名を〈澄心堂〉と呼んだ。第3代の後主李煜(りいく)(在位961-975)のときに製紙工場が設けられ剡道(えんどう)なる人物に命じて紙を造らせ,宮中の御用に供した。これが初代皇帝の私室の名によって呼ばれた〈澄心堂紙〉である。北宋の蘇易学の《文房四譜》によると,澄心堂紙は〈細薄光潤〉であるという。この紙は北宋時代に文人の関心を引いた。宋代になって書籍の出版が盛んとなり,時とともに紙の生産が増大したことと思われる。

中国の製紙術について,明末に宋応星が書いた《天工開物》より少しく引用しよう。これには主として竹紙と皮紙をとりあげている。竹紙について述べると,まず夏のころに竹を短く切って100日以上も水に漬けておき,そのあとつちで打って粗い表皮を洗い去ると苧麻の繊維のような〈竹麻〉ができる。これに石灰の液をまぜ8昼夜のあいだ煮立て,清水でよくそそぎ,再び灰汁とともに煮立てて10日あまり経つと繊維がふやけてくる。これを臼でつくと,どろどろの穀粉のようになる。水を張った抄紙槽に入れ,〈紙薬〉をまぜて抄紙簾(すき桁)ですき起こし,簾よりはがして乾燥させる。ここにいう紙薬が何であるかの明記はないが,黄蜀葵(トロロアオイ)などの粘剤を指すものと思われる。抄紙にあたって黄蜀葵を使用することは,明末に方以智が書いた《通雅》にみえている。トロロアオイは夏には使用不能となるので,製紙は多く冬の仕事であった。楮皮を主原料とする皮紙についても,竹紙と同じ方法が用いられたとみえ,その詳細は省かれている。楮皮は貴重なものであったとみえ,ふつう楮皮60斤に竹麻40斤を加えて使用したという。さらに材料を節約する場合は,楮皮と竹麻を7割とし,稲藁3割をまぜたと書かれている。楮皮で造った紙は良質なもので,〈縦にさくと木綿糸のようであり,それで〈綿紙〉という〉とみえる。以上の方法は現在の和紙の製法に類似している。和紙を造るには古く〈溜漉(ためすき)〉があり,後に〈流漉(ながしすき)〉が行われ,現在に至っている。《天工開物》に黄蜀葵を使用すること,さらにでき上がった紙を裂くと木綿紙のようだという記載があることからみて,おそらく〈流漉〉の手法によったものであろう。

中国で発明された製紙術は早く中国文化圏の国に伝わった。朝鮮に伝わった年次は明白でないが,4世紀ごろに始まるという説がある。日本には早くから朝鮮の写本が伝わり,紙の存在を知っていた。製紙術の伝来についての注目すべき記事は,《日本書紀》にみえる推古18年(610)の文である。この年3月に来朝した高句麗の僧曇徴(どんちよう)は〈五経を知り,またよく彩色及び紙墨を作り,そのうえ碾磑(てんがい)を造る〉という。製粉用の碾磑については,とくに〈碾磑を造ること,ここに始まる〉と書かれているが,紙などについてはこうした記載はない。この点からみて曇徴が製紙術を最初に伝えた人物であったかどうかは疑わしく,あるいはそれ以前に製紙術は伝わっていたのかもしれない。

 おそらく最初は朝鮮を通じて中国の製紙術が伝わったのであろうが,日本の製紙術は,その製品を〈和紙〉と呼ぶように,長い歴史のあいだに独特の発展を遂げた。和紙の研究家として有名な寿岳文章は〈世界の製紙において日本が誇ってよいのは,流漉の発明だと考える〉と論じており,そのうえこの〈流漉法は日本から中国に伝わったものと断言できないが,その可能性は大いにある〉とも述べている。上述のように《天工開物》の方法は流漉によるものであろうが,これがはたして日本から伝わった方法かどうかはなお検討を要する問題であろう。いずれにしても日本では早くから良質の和紙が生産されたことは事実である。特別な紙の原料としてガンピ,ミツマタがあり,比較的広く使用されるものに日本固有のコウゾがある。和紙は紙幣など特別な用途に使用され,また民芸品として多くの人々に愛用されている。
和紙

製紙術の東方への伝播に比べ,西方への伝播はややおくれた。もちろん紙自体は早くからシルクロード沿いに新疆の各地や西トルキスタンに伝わっていたことは,発掘品によって知られる。西トルキスタンには8世紀のころイスラムのアッバース王朝の勢力が及んでいた。この地に割拠していたトルコ系の2諸侯のあいだに戦争が起こり,一方はイスラムに他方は中国に援助を求めた。こうしてイスラムの軍隊と中国が争うようになったが,751年に高仙芝の率いる中国の軍隊はタラス河畔の戦争でイスラム軍に大敗し,多くの兵士が捕虜となった。この捕虜の中に各種の技術者がおり,のちにイスラムの技術に影響を与えたが,製紙術が伝わったのも捕虜となった中国人紙漉工に負うのである。まずサマルカンドに製紙工場が設けられ,ここがイスラムにおける製紙の一中心となった。11世紀のイスラムの著述家サアーリビーal-Tha`ālibīの《知識の冗言》には,サマルカンドの特産物として紙が挙げられている。しかしかなり以前からバグダードにも製紙工場ができていた。アッバース朝カリフ,ハールーン・アッラシードは8世紀末にサマルカンドから中国人紙漉工を呼びよせて紙を造らせたというが,サマルカンドの紙に匹敵するものはできなかったらしい。やがてまたシリアのダマスクスに製紙工場が設けられたが,ここは数世紀にわたりヨーロッパに紙を輸出し,ヨーロッパでは〈ダマスクス紙〉は有名であった。

 イスラムの勢力はエジプトから北アフリカを経てスペイン南部に及んでおり,このルートを通って製紙術は徐々にヨーロッパに伝わった。エジプトはパピルスの生産地であるが,9世紀ごろからしだいに紙が使用され,10世紀にもなると圧倒的に紙が多く使用された。1040年ごろのペルシアの旅行家の記録によると,エジプトでは野菜やスパイス商人が商品を紙に包んだという。モロッコを経て南部スペインで紙が造られるようになったのは12世紀半ばであり,このころにはまた北部スペインでヨーロッパ人が製紙を行うようになった。しかしまだこのころは〈ダマスクス紙〉が盛んに輸入されていた。13世紀に入ると南フランスやイタリアで製紙が行われた。イタリアのシチリアには早くからイスラムの勢力が及んでおり,イタリアの製紙術はこの地から伝わったのである。14世紀にもなるとイタリアはヨーロッパへの紙の供給地としてスペインやダマスクスと競争するようになった。14世紀末にはドイツのニュルンベルクにはじめて製紙工場が設けられたが,やがてヨーロッパ全土に広がった。
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紙の製法は中国から世界各地に広まったが,原料の面でヨーロッパと日本は違っていた。日本ではコウゾ,ミツマタなど靱皮繊維を使ったが,ヨーロッパでは麻くずが主体で,のちに綿ぼろ,わら,エスパルトなども使われた。これらの原料を粥(かゆ)状にときほぐす叩解(こうかい)beatingの操作は,製紙上たいせつな工程であるが,17世紀半ばにオランダでホランダーhollanderが発明され(発明者は不明で,国名にちなんで名付けられた),以後200年ばかり形式は変わっても同じ原理の叩解機(ビーターbeater)が使われた。現在ではパルプの離解,叩解,精製などを行うリファイナーrefinerが一般紙の製造に使われている。一方,紙をすくのは手で行っていたが,1798年フランスのロベールNicolas-Louis Robertは継目のない布製の網を使って連続的に紙をすく機械を発明した。これが今日の長網抄紙機の原型で,さらにイギリスのドンキンB.Donkinが改良し,ついでフアドリニアー兄弟Henry Fourdrinier,Sealy F.が特許を買って改良し,1807年現在の形に近い抄紙機を作った。そのため今日でも長網抄紙機はフアドリニアーマシンとも呼ばれている。09年にはイギリスのディッキンソンJohn Dickinsonが丸網抄紙機を発明し,これは厚紙,板紙をすくのに主として使われている。抄紙機は1827年にアメリカへ初輸入され,日本へは1870年代になって輸入された。また抄紙機の発明によって洋紙の大量生産が始まると原料の麻くず,綿ぼろが不足し,安価で大量に入手できる原料が求められ,1844年に砕木パルプ,62年に亜硫酸パルプ,84年にクラフトパルプの製法に対し特許が成立し,大量生産の体制が整った。

洋紙は機械的処理を行ったパルプに種々の薬品を添加して薄い懸濁液とし,抄紙機を用いてシート化し,脱水乾燥して作る。このような紙料調成工程,抄紙工程のほかに加工工程が加わる場合がある。日本ではパルプの原料はほとんど木材パルプであるが,麻や綿も少量使用されている。紙料調成工程の初めは叩解である。機械パルプは製造時に磨砕されているが,化学パルプの繊維は長さ1~4mmで,剛直であるので,叩解しない化学パルプで紙を作ると吸取紙のように空隙の多い表面も粗い嵩高(かさだか)な紙となる。リファイナーでパルプを叩解すると圧縮,せん断,引っ張りなどの力により繊維は切断したり表面がはげたり押しつぶされたりして柔軟性が増す。紙は密になり平滑さは増し強度も増加するが,透明度も上がる。叩解を終えた半成紙料は紙の用途に応じて種々の添加物を加える。紙の不透明性,白色度,印刷適性を向上させたり風合いを改善するなどの目的で塡料(てんりよう)と呼ばれる白色顔料を5~20%くらい加える。塡料にはクレー(白土),カオリン,酸化チタン,タルクなどが用いられるが,タバコの巻紙には炭酸カルシウムが30%近く加えられる。さらに紙への液体の浸透を調節するため紙の表面や内部の穴をサイズと呼ばれる耐水性膠質物(こうしつぶつ)でふさぐ操作(サイジング)を行う。にかわ,デンプンなどを表面に塗布する表面サイズと,松やになどから作るロジンサイズを少量加える内面サイズがあるが,内面サイズの方が簡単で安価なため一般に広く行われている。ただし新聞紙には普通は添加物は加えない。ロジンサイズはセルロースと反発し合うのでそのままでは紙層中にとどまらずに抄紙排水中に溶出してしまう。ロジンサイズや塡料をパルプに付着させるために礬土(ばんど)(またはアラム)と呼ばれる硫酸アルミニウムAl2(SO43を加える。洋紙が永年の間に変色したり劣化したりするのはこの礬土が分解して酸性化し,炭水化物を崩壊するからである。和紙は礬土を使用していないので劣化が少なく,正倉院の紙のように1200年以上も保存できる。礬土無しにはロジンサイズは使用できないのでセルロースと反応する性質をもった中性サイズを用い,陽イオン性ポリマーと組み合わせた紙(中性紙)も製造されている。その他,染料や紙力増強剤を加えると完成紙料になり抄紙工程へ送られる。抄紙機はマシンと呼ばれ,ウェットパート,プレスパート,ドライパートに分かれる。均一に混合した紙料を金網上に流してシートを作る長網抄紙機と紙料槽の中で金網を張ったロールが回転してパルプを吸いつけてシートを作る丸網抄紙機があり,厚い板紙を作るために何台もの抄紙機を組み合わせたものもある。ここで脱水してできたシートはプレスパートでロールの間で十分に脱水して水分が50%を切るようにする。次いでシートはドライパートに入り加熱したロールに押しつけられて乾燥する。乾燥するに従って紙は収縮するが,紙は進行方向に引っ張られるため,縦方向には縮まず横方向だけが収縮する。金網の進行につれて繊維がその方向に並ぶことと,乾燥時の力のかかり方の差があることから紙は縦と横で性質が異なる。ティッシュペーパーが一方向に破れ易いのはこの例である。高級印刷をするアート紙は紙の上に粒度の細かい顔料を結合剤と混ぜて塗って高い光沢と平滑性を持たせている。

森林資源に恵まれた北欧,北アメリカ,ロシア連邦,それに日本,中国,ドイツ,フランスが世界の主要な紙類の生産国であり,なかでもアメリカは他を引き離して多い生産量および消費量を有し世界総生産量のほぼ1/3を生産している。1人当りの紙類消費量は文化のバロメーターともいわれ,アメリカ,ヨーロッパ諸国が多く,日本,オーストラリアを含んで上位20ヵ国はすべてこれらの国々が占めている。

紙は発明されたときから主要目的は記録および情報の伝達であったし,現在もその重要性に変りはない。紙は軽くて適当な剛直性も有していることから生産量の増加とともに種々の用途がひらかれた。包装の目的に使う紙は包み紙ばかりでなく,袋用紙や紙器用の板紙まで含めれば紙製品の半分近くがこれに向けられる。包装は内容物を外界から遮断することであり,障子紙,ふすま紙,壁紙も広い意味で包装の役割を果たしている。紙のもつ重要な機能の一つは吸液性があることで,これはセルロース繊維自体が水に対し高い親和力をもつことと,紙が多孔性構造であることによっている。その機能を生かしてティッシュペーパー,トイレットペーパー,紙タオルなど各種加工原紙が製造されているが,この場合には紙の柔らかさが利用されている。孔あきテープや板紙の打抜きができるのは紙の剛直性を利用したものであり,これらの性質は原料パルプの性質のほかに製造条件によってかなり広範に変化させることができる。また紙は誘電性物質であることを利用してコピー用紙として用いられ,高い絶縁性と薄くてしかも均一な厚さにできることから絶縁紙として使用されてきた。

紙は日常生活のあらゆる分野で用いられており,用途に応じて特性の異なる紙が作られるので紙の種類はきわめて多い。これらの分類は細かに規定すれば数え切れないほどになるが,日本では通産省の紙パルプ統計による分類が一般に用いられている(表1参照)。

新聞用紙として使用する紙で,使用期間が短いこと,低価格が要求されることのために,機械パルプが用いられ,少量(約23%)の化学パルプを加えて高速輪転機に耐えうる強度に補強している。最近では新聞巻取紙に脱インキ古紙が多量に用いられるようになり,その割合も40%に達している。さらに新聞紙の1m2当りの重量(坪量)は以前は50g以上であったが,木材資源の節減と印刷工程の合理化を目的として世界的に坪量減少の傾向があり,日本でも現在48g/m2から46g/m2の超軽量紙に移行しつつある。新聞巻取紙は単一品種として作る紙ではもっとも量が多いので抄紙機も大型で,幅8.58mの紙を毎分1000mの速度で生産することができる。

書籍,雑誌などの印刷用として作った紙で,表面に塗料を塗っていない非塗工紙と塗布した塗工紙に分かれる。前者には印刷用紙,グラビア用紙その他と,筆記・図画用紙がある。印刷用紙は化学パルプの使用量で分類し,100%,70%以上,40%以上,およびそれ未満の紙をA,B,C,Dと格づけしている。化学パルプの使用量が少ないほど白色度や耐久性が低く,低級紙となる。グラビア用紙は雑誌のカラー印刷用の紙で,塡料を比較的多量に使用し,スーパーカレンダーがけして表面を平滑に仕上げてあり,塗工紙に近い印刷適性をもった紙である。筆記・図画用紙はサイズがよくきいた筆記性のよい紙の総称で,ボンド紙,小切手用紙,フールスキャップ,ノート用紙,ケント紙図画用紙がこれに含まれる。塗工印刷用紙はクレーとか炭酸カルシウムなどの鉱物性顔料と接着剤を含む塗工液または合成樹脂を原紙の片面または両面に塗って紙表面の平滑性を改善し印刷効果を高めた高級紙である。塗る量の多寡により品質に相違があり,アート紙は片面の1m2当り20g前後の塗工液を塗り乾燥したのちスーパーカレンダーがけして強い光沢をつけた最高級の印刷用紙であり,写真版や原色版などの高級網版印刷に使用する。コート紙は日本の特殊品名であり,塗布量は10g/m2前後と少なく,原紙の表面の凹凸も完全にはなくならず,品質的にアート紙に劣る。軽量コート紙はさらに塗布量が5g/m2前後と少なく,塗工紙の中でもっとも低品質の紙である。

印刷用紙が印刷を目的として表面平滑性を重視するのに対し,包装用紙は強度に重点を置き,包装に使う紙の総称である。重袋(じゆうたい)用両更(りようざら)クラフト紙はセメントや飼料,農産物などの重量物の包装袋に用いる紙で,未さらしクラフトパルプを原料としたじょうぶな紙である。厚さは0.1mm以下であるが15cmの幅があれば大人1人の体重を支えることができる。湿ったときにも強度が保たれるようにメラミンや尿素樹脂を添加して作るものもある。未さらしクラフト紙が茶色であるのに対し,さらしクラフト紙は白色であり印刷効果があるのでデパート,商店の包装紙,手さげ袋などに用いられる。茶封筒や片面だけつやを出したハトロン紙などもクラフト紙である。

薄葉紙は,坪量が40g/m2以下,和紙では20g/m2以下の薄い紙をいう。グラシン紙は,化学パルプを長時間叩解後カレンダーがけし,圧縮して作った紙で,通気性が低い半透明の性質をもっている。菓子や食品の包装,容器の内張りなどに用いる。ライスペーパー,インディアペーパーは化学パルプのほかに綿や麻も使用し,多量の塡料を加えて不透明度を高くした薄紙で,ライスペーパーは巻タバコの巻紙として用い,20g/m2前後の軽い紙である。タバコの葉と燃焼速度が同じになるように作られている。インディアペーパーは辞典や聖書などに用いる印刷用薄葉紙で,薄くてしなやかであるが丈夫な紙である。その他,カーボン原紙,コピー用紙,タイプライター用紙など薄くて丈夫な紙には麻が50%から100%用いられている。

家庭で一般に使用する10g/m2程度の薄い紙で,化学パルプまたは古紙を原料とし柔らかな肌ざわりの良い性質をもった紙である。日本では1960年まではちり紙が家庭用薄葉紙の3/4以上を占めていたが,生活様式の変化にともなって現在ではティッシュペーパー,トイレットペーパーがその位置を占めている。これらの紙は薄くても強度を出すためにパルプ繊維が一方向に並ぶ傾向のある丸網抄紙機で作り,乾燥中に紙に細かいしわをつけて柔軟性をもたせている。したがってティッシュペーパーは縦方向と横方向の強度差が3倍以上あるものが多い。その他生理用紙,タオル用紙,紙おむつ,ワイパー用紙は紙の吸水性を利用している。

以上の紙は比較的大量に同一用途に用いられるものであるが,その他多種多様の用途に用いられる紙の種類は枚挙にいとまなく,雑種紙A,Bに分類されている。Aには樹脂加工などの紙加工の原紙となるもので,壁紙や写真原紙などはこれに属する。これらの紙は体積の40%以上が空孔であることを利用して,樹脂などでそれを満たし紙の性質を変えたものである。逆に電気絶縁紙は密度が1.2g/m3以上もあり,空孔がない構造のち密な紙質である。Aは長網抄紙機で作られるが,紙ひも用紙,書道用紙,障子紙,紙テープ用紙などは丸網抄紙機で作られ,Bに分類されている。

板紙

段ボール原紙と白板紙でその80%を占めており,日本では古紙パルプの70%を原料として使用している。

新聞巻取紙,印刷用紙,筆記用紙,クラフト紙など三十数種の紙は,JIS(日本工業規格)によって原料,寸法,強度などが規格化されている。その他の紙についてもそれぞれの用途に応じて規定がある場合が多い。取引単位は,一般洋紙の場合は大口取引では連(1連=1000枚),小口取引では連,枚を,板紙の場合は大口取引では重量単位(t),小口取引では束(1束=25kg),枚を用いる。紙の大きさには紙全紙の寸法と,書籍,雑誌,事務用紙などに仕上げた場合の寸法とがあり,前者を原紙寸法(または全紙寸法),後者を紙加工仕上寸法という(表2,3)。

紙は製造原理に起因して縦と横で性質が異なり,裏と表でも異なるものが多い。水に濡れると弱くなるのも欠点であり,長所でもある。和紙は植物繊維と植物粘質だけで作ったもので中性であるが,近代的製紙技術でできた現在の洋紙の大部分はロジンサイズを定着させる際に硫酸アルミニウムを使用している結果酸性を示す。中性ないし弱アルカリ性の紙に比較して酸性の紙は劣化しやすい。正倉院の御物の紙が1000年以上経過して保存されている一方で,100年もたたないうちに崩壊をはじめる紙も出てきた。長期保存のためには紙は低温で乾燥した状態におくことが必要であるが,中性のサイズ剤を使い炭酸カルシウムを塡料に用いた中性紙の製造も行われている。
印刷 →紙・パルプ工業
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図書館情報学用語辞典 第5版 「紙」の解説

主に植物繊維を材料とし,樹脂などを加えた溶液中に分散させて密に絡ませ,漉いてシート状にし乾燥させたもの.したがって厳密にいえばパピルスや羊皮紙は紙ではない.さまざまな用途に用いられるが,最良の書写材料としての地位は現在でも揺るがし難い.中国,後漢の蔡倫の改良を契機として徐々に世界へ広まった.日本では和紙と洋紙に大別される.和紙は楮,三椏,雁皮などの靭皮を原料とし,手漉きで造られていたが,現在は機械漉きのものもある.洋紙はかつてはぼろ布を原料に手漉きされ,近代以降は木材パルプを原料とし,サイズ剤,填剤,色素などを加え機械漉きされる.現在は合成繊維を原料とするものもある.

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化学辞典 第2版 「紙」の解説


カミ
paper

植物繊維を水中に分散させた状態からすきあげることで,繊維を互いにからみあわせ,乾燥工程で繊維間結合を生成させてつくったシート状のもの.洋紙では木材繊維を原料とするのに対し,和紙では靭皮繊維を使用する.ここでは洋紙について述べる.紙の一般的な製造には,
(1)こう解
(2)サイジング,
(3)填充,
(4)抄造,
の各工程がある.サイジングは紙のもつ吸水性を適当におさえるために,紙に疎水性コロイド物質(サイズ剤)を加える工程で,これによって,にじみを防止するとともに,油性インキの定着がよくなる.ロジン系サイズ剤を使用する酸性サイズに対し,合成サイズ剤を使用する中性サイズがあり,これを用いた抄紙を中性抄紙という.填充はカオリンタルク,白土,炭酸石灰,硫酸バリウムなどの填料を添加して,紙の不透明性,平滑性,印刷適性,白色度などを改善する工程.抄造は,サイズ剤,填料を添加したのち,水で希釈した紙原料を金網上にすきあげて湿紙としたのち,圧締,熱圧乾燥,カレンダー(ロール間を通して表面を圧密化する装置)による平滑性を付与するまでの工程.紙には原料パルプの種類によって,クラフト紙,サルファイト紙などが,また塗工方法によって,アート紙,コート紙,軽量コート紙,微塗工紙などが,用途によって,印刷用紙,筆記用紙,図画用紙,包装用紙,衛生紙,絶縁紙,ライスペーパー,グラシンペーパーなどがある.ライスペーパーは紙巻きタバコ用の紙で,シガレットペーパーともいい,麻などの靭皮繊維またはこれに化学パルプをまぜて抄紙した薄葉紙をさすが,欧米ではツウソウAralia papiferaの髄を原料にした紙をライスペーパーという.また,厚さのあるものを板紙という.紙の製造には,木材からあらたにつくったパルプとともに,古紙からつくった古紙パルプが多く使用されている.なお,最近では合成繊維を原料として使用するものや,プラスチックフィルムを素材とする合成紙も含めて紙とよんでいる.

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百科事典マイペディア 「紙」の意味・わかりやすい解説

紙【かみ】

植物繊維を水中で薄く平らにからみ合わせ,乾燥したもの。最近では化学繊維紙やポリスチレンペーパーもある。古代エジプトのパピルスや小アジアの羊皮紙が古くから記録材料として用いられていたが,今日の紙の製法は105年,中国の蔡倫(さいりん)の大成といわれ,8世紀中ごろにイスラム圏に伝わり,12世紀にはヨーロッパ各地に普及。日本には7世紀初めに伝来。その後ビーターの発明(17世紀中ごろ),抄紙機の発明(1798年長網抄紙機,1808年丸網抄紙機),木材パルプの使用(19世紀中ごろ)などを契機に大工業として発展。紙は原料や製法の相違から洋紙和紙に大別されるが,両者の区別は必ずしも明瞭ではない。種類はきわめて多く,用途により印刷用紙,包装用紙,障子紙など,原料によりクラフト紙,雁皮(がんぴ)紙など,製法により硫酸紙,パラフィン紙など,厚さ(坪量)により薄葉(うすよう)紙,厚紙,板紙など,紙質により上質紙,中質紙など,外観により擬革紙,布目紙など,産地により美濃紙,ケント紙など,人名により泉貨(せんか)紙,ワットマン紙などの名称がある。→紙・パルプ工業製紙
→関連項目化学繊維紙雁皮紙蔡倫

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「紙」の解説

紙(かみ)

105年頃に後漢の蔡倫(さいりん)が発明したとされるが,実際の使用は前漢以前にまでさかのぼる。原料には,樹皮,竹,麻くず,ぼろ,漁網などが用いられた。4世紀頃から中国全土に普及し始め,宋代以後印刷術の発達とともに大量生産され,官僚機構のなかで文書行政の一環として広く利用された。中国の製紙法は,タラス河畔の戦い(751年)でアラブ軍の捕虜とされた製紙工によってイスラーム世界に伝えられた。サマルカンドバグダードカイロなどの製紙工場では,亜麻(あま)のぼろを用いて各種の紙が生産され,パピルスや羊皮紙(ようひし)に代わる紙の普及はイスラーム文化の発展に大きく貢献した。この製紙法は,12世紀以後イベリア半島をへてヨーロッパに伝えられた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「紙」の意味・わかりやすい解説


かみ
paper

カセイソーダあるいは石灰を加えて煮沸した植物の繊維を水中に懸濁させ,すき網でこし,乾燥して製品としたもの。洋紙板紙,加工紙,和紙に大別される。製法は,後漢の官吏であった蔡倫が発明したと伝えられるが,製紙技術が中国から他の国々へ伝えられたのは5~6世紀以降のことである。タラス川の戦いで捕虜になった中国人のなかに製紙技術に通じた者がいて,その技術がアラビアに伝わり,隊商の道をたどってバグダード,ダマスカスを経て地中海沿岸に広まり,ヨーロッパへ伝えられたのは 12世紀なかばのこととされる。日本へは7世紀初頭,桑の樹皮からつくられた紙を用いた写本が仏僧たちによってもたらされ,紙の知識が広まった。現在,その用途は筆記用,印刷用,包装用,建材用など多岐にわたり,紙ほど広く用いられている工業製品はほかにないといわれている。

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旺文社日本史事典 三訂版 「紙」の解説


かみ

書写・印刷などのための主材料
世界史的には,後漢の蔡倫 (さいりん) が織物のくずなどを用いてつくったのが最初とされるが,日本には610年高句麗の僧曇徴 (どんちよう) が製紙法を伝えたといわれる。古代においては生産量は少なく,ほとんどが写経の料紙に用いられ,一部が貴族の筆写あるいは戸籍簿の用に供せられたようである。中世では,播磨(兵庫県)の杉原紙,越前(福井県)の鳥の子紙をはじめ美濃紙・奈良紙などが知られ,生産販売の座が結成された例もある。近世になると需要が高まり,奉書・檀紙・鳥の子・美濃紙・塵紙・障子紙などが多くつくられ,越前と土佐(高知県)が最大の産地であった。諸藩も殖産興業の一環として奨励したので,全国的に楮 (こうぞ) ・三椏 (みつまた) が栽培され,冬から春にかけて農閑期の作業として紙すきが行われた。1874(明治7)年に始まる洋紙の製造に押されて従来の手すきによる和紙は衰えたが,伝統的文化財として見直されている。

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旺文社世界史事典 三訂版 「紙」の解説


かみ

植物性繊維を水中でほぐし,たがいにからみ合わせて乾燥・固化させた薄片。図書に使われ,文化の発展を助けた
中国では前漢末からすき紙が行われ,後漢 (ごかん) 半ばの105年に,蔡倫 (さいりん) が樹皮・麻・ぼろ屑などを原料にして紙の製法を改良したといわれる。この製法は,751年唐軍がタラス河畔の戦いで敗れたときに,捕虜の工人によってアラブ人に伝わり,757年サマルカンドに,793年ごろにバグダードに,900年ごろにはエジプトに,11世紀にはアフリカ北岸一帯に,12世紀にはスペインのハチバに工場が建てられ,ヨーロッパに伝えられたという。これとは別に,十字軍兵士が小アジアから伝えた技術でイタリア・フランスにも工場が建てられた。その後,18世紀にオランダのホレンデルの改良で良質洋紙が発達した。

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栄養・生化学辞典 「紙」の解説

 食品の容器にも広く利用される.

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【紙・パルプ工業】より

…新聞用紙や印刷用紙,ティッシュペーパーといった生活関連需要を満たす洋紙と,段ボール箱などの産業用包装資材の原紙となる板紙,および両者の原料であるパルプを供給する工業をいう。パルプを原料として各種紙類を生産する産業を製紙業ないし製紙工業という。…

【長安】より

…苑内には鉄農具の窖蔵(こうぞう)もあった。長安県洪慶村出土の鉄歯車,西安東郊灞橋前漢墓発見の世界最古の紙などは前漢代科学技術の様子を示している。南北朝時代,長安はたびたび北朝の都となったが,その間の資料はわずかに夏の真興6年(424)銘の石馬と石仏像のみである。…

【版画】より

…print(英語),estampe(フランス語),Druck(ドイツ語)がほぼこれに当たる。ふつうはインキ(墨,顔料など)をつけた木版,銅版,石版などによって紙などに印刷されたものをいう。したがって,まったく同一のものが複数あるということは版画の第1の特徴である。…

【本】より

…本は書物,図書とも呼ばれ,最も歴史が長い情報伝達の媒体である。形態的には,自然のままの(たとえば木の葉や竹),または加工した物質的材料(たとえば羊の皮,紙)を選び,その上へ文字や図を筆写または印刷したものを有機的に配列し,保存・運搬に適するよう,その材料の性質が要求する方法でひとまとめにしたものをいう。内容的には,思想または感情の伝達を目的とするもののすべてが含まれる。…

※「紙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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