新島村(読み)にいじまむら

日本歴史地名大系 「新島村」の解説

新島村
にいじまむら

[現在地名]太田市新島町・東本町ひがしほんちよう

太田町の東に位置し、東はうちしま村・山田郡東長岡ひがしながおか村、南は小舞木こまいぎ村。北辺を日光例幣使街道がほぼ東西に通る。弘長二年(一二六二)八月二八日の岩松時兼譲状写(正木文書)に「新田庄にゐしまのうちのさいけとも、とちこせんの所に 願念房のさいけ・同源三次郎入道のさいけ并あまのさいけ」とみえ、娘とち御前に譲渡している。弘安五年(一二八二)一一月一二日の尼真如譲状写(同文書)には「□□□(せんさ)いのかうにゐしまのむらのうちくわんねんハうのちきや(知行)のさいけ」とあり、女子藤原土用王御前に譲り渡している。


新島村
にいじまむら

[現在地名]大島町元町もとまち

島西部のやや北寄り、三原みはら山の北西麓に位置し、北東岡田おかだ村、南は野増のまし村。集落の北にあるまえ浜は、島内では伊豆半島に最も近い浜で、古くから重要な船着場であった。前浜北方の高台は大島に配流となった源為朝が屋敷を構えた地と伝えられ、為朝屋敷跡とよばれる。近世にはこの為朝屋敷跡に代官屋敷が置かれ、本宮三原大明神の神主である当地の藤井氏が地役人を勤めていた。


新島村
にいじまむら

[現在地名]熊谷市新島

幡羅はらおし領に所属(風土記稿)荒川の沖積扇状地上に位置し、北はたま村、南は大里郡石原いしはら村。地内を通る旧中山道の東側にはかつての一里塚があり、樹齢三〇〇年以上、高さ一二メートルの欅の大木がそびえている。宝暦六年(一七五六)の道中絵図には「榎二本づつきづく」とあるが、西側の石原村の一里塚は消滅し、現存する新島の大木も欅である。「風土記稿」に「古玉井村ノ地ナリシヲ、文禄ノ頃新島右近ナルモノ開墾スト云、慶長十三年伊奈備前守検地セシ水帳ニ玉井村新島分ト載」と記される。「武蔵志」には「新島村往古ハ教円島ト云」とあり、京円島とも記される。


新島村
にいじまむら

面積:二七・七七平方キロ

新島と式根しきね島、および小島からなる。大正九年(一九二〇)大島島庁(同一五年大島支庁に改組)の管轄下に入り、新島には出張所が置かれた。同一五年に島嶼町村制が適用され、新島本にいじまほん村・新島若郷にいじまわかごう村の二村が成立。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「新島村」の意味・わかりやすい解説

新島〔村〕
にいじま

東京都大島支庁,新島,式根島から成る村。江戸時代は幕府直轄領で流刑地であった。中心集落の新島は中央低地に位置し,北部に若郷の集落がある。農業漁業が行われ,くさやの干物は特産。西の前浜海岸は伊豆七島でも珍しい白砂の砂浜海岸が続き,夏は海水浴場としてにぎわう。また抗火石 (流紋岩 ) を産出。富士箱根伊豆国立公園に属する。東京,下田,熱海から定期便がある。面積 27.54km2。人口 2441(2020)。

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