改訂新版 世界大百科事典 「日中漁業協定」の意味・わかりやすい解説
日中漁業協定 (にっちゅうぎょぎょうきょうてい)
1975年日本国政府と中華人民共和国政府との間で締結された,漁業資源の保存とその合理的利用および安全操業等に関する協定。中国沿岸,東海(東シナ海),黄海は太平洋戦争以前から中国を基地とする日本の機船底引網漁業が行われ,戦後も西日本の同漁業にとって主要漁場として注目されていた。太平洋戦争の敗戦後マッカーサー・ライン内操業に限定された日本漁業は,サンフランシスコ講和条約によってマ・ラインが撤廃され,以後多数漁船の出漁が行われたが,中国による銃撃事件が頻発した。それは,講和条約が中国との戦争状態を終結させるものではなく,1950年12月中国軍政委員会が設定した底引網漁業禁止区域を侵犯したという理由によるものであったが,朝鮮戦争後の厳しい国際情勢をも反映していた。国交未回復状態下にあり,日本の底引網漁業者を母体とする民間漁業団体によって,55年中国との間に日中漁業民間協定が締結された。その主要な内容は,(1)中国政府の設定した軍事警戒区域,軍事航行禁止区域に日本漁船は立ち入らない,(2)中国政府が定めた機船底引網漁業禁止区域においては日本は自主的に操業を抑止するというもので,これにより安全操業が確保された。この民間協定は3年間継続されたが,58年の長崎国旗事件を契機として無協定状態となり,63年再び日中漁業民間協定が締結され,政府間協定の発効まで継続された。この民間協定の基本路線は政府間協定にもほぼ継承されるところとなった。
政府間協定は,72年日中国交回復に伴って日中漁業交渉が開始され,75年妥結,発効した。その主要な内容は,(1)協定水域は黄海北部の中国側の軍事警戒ラインおよびそれより南の機船底引網漁業禁止ライン以東,ならびに台湾北部の軍事作戦ライン以北の東海,黄海とする,(2)協定水域内外に2ヵ所の休漁区域と底引網4ヵ所,巻網2ヵ所の保護区域が設定され,協定水域の出漁漁船の機関馬力制限と保護区域は機船底引網,機船巻網各漁業別の操業隻数,漁期,網目,機船巻網の集魚灯光力などを規制する,(3)日本側の日中漁業協議会,中国側の中国漁業協会との両国民間団体の間に,安全操業,事故処理等についての民間取決めを締結し実施する,(4)漁船の海難等の緊急事態は政府援助が供与され両国の指定4港への避難が認められる,(5)日中漁業共同委員会を設置し協定の実施状況の検討が行われる,などである。77年の米ソ両国による200カイリ漁業専管水域の実施により各国も200カイリの排他的水域を設定したが,日本も77年に同様のいわゆる200海里水域法(正称は漁業水域に関する暫定措置法)を制定した(1977年5月公布,7月施行)。しかし日中両国には日中漁業協定により200カイリの排他的水域は適用されず,同年に中国の200カイリ水域内において日本は約17万tの漁獲を行ったと推定され,一定の漁業権益の確保が行われた。
日中新漁業協定
国連海洋法条約の発効に伴う日中新漁業協定がまとまり,1997年11月両国間で署名された。新協定では同条約に基づいて画定する200カイリの排他的経済水域(EEZ)が重なり合って線引きが困難な海域(北緯30°40′と北緯27°線の間で,両国から東西52カイリを除く)を暫定水域とし,日中両国が共同規制措置を導入する。両国間で領有権問題を抱える尖閣諸島(中国名・釣魚島)を含む北緯27°以南は現状維持とし,EEZの境界画定交渉は継続することとなった。
執筆者:米田 一二三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報