日本歴史地名大系 「日置庄」の解説
日置庄
ひきのしよう
仁安二年(一一六七)正月日の蔵人所牒写(真継家文書)に「河内国丹南郡狭山郷内日置庄鋳物師等」とみえるのが早い。奈良興福寺領日置庄鋳物師が蔵人所供御人となって雑役を免除され、各々短冊を賜り、諸国七道、京中市町、和泉・河内両国の市津を往反して、鉄の売買を行っていた。この文書の年紀について問題が残るが、平安末期の河内鋳物師の状況を伝えるものとされている。また、同年一一月日の蔵人所牒写(同文書)では「河内国丹南郡狭山郷内異名日置住民本供御人番頭」とみえ、蔵人所年預惟宗兼宗が日置庄住人を本供御人・番頭として、諸国散在鋳物師に短冊を配り、これを蔵人所供御人として編成しようとしている。
日置庄
へきのしよう
藤原氏領。のち
日置庄
へきのしよう
日置庄
ひおきのしよう
日置庄
ひおきのしよう
日置庄
ひきのしよう
日置庄
ひおきのしよう
日置庄
ひおきのしよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報