旻(日本)(読み)みん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「旻(日本)」の意味・わかりやすい解説

旻(日本)
みん
(?―653)

7世紀前半の学問僧。新漢人(いまきのあやひと)旻、日文(にちもん)とも記す。608年(推古天皇16)に小野妹子(おののいもこ)、南淵請安(みなみぶちのしょうあん)、高向玄理(たかむこのくろまろ)らとともに遣隋(けんずい)留学僧として中国に渡り、632年(舒明天皇4)に帰国。仏教はもとより、天文にも通じ、中臣鎌子(なかとみのかまこ)(藤原鎌足(かまたり))や蘇我入鹿(そがのいるか)などに周易を講じていたという。645年(大化1)蘇我本宗滅亡後の新政権では、高向玄理とともに国博士(くにはかせ)となり、十師の一人でもあり、新政府の顧問的な立場であったらしい。650年(白雉1)に穴門(あなと)(長門(ながと)国)から白雉が献上されると、その祥瑞(しょうずい)としての意義を奏している。とくに孝徳(こうとく)天皇の信頼が厚く、653年の病にあたっては「もし法師今日亡なば、朕(ちん)従ひて明日亡なむ」と勅し、死にあたっては皇極(こうぎょく)上皇、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)らとともに弔使を遣わしている。のち、その菩提(ぼだい)を弔うために川原(かわら)寺に仏像を安置したという。

[佐藤宗諄 2017年10月19日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android