明清楽(読み)みんしんがく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

明清楽
みんしんがく

中国の近世音楽の明楽清楽との総称,あるいは明楽曲をも一部に取入れた清楽の日本での俗称。明楽は,明末の乱を避けて寛永6 (1629) 年長崎に亡命した明人之 琰 (双侯) が日本に伝えた明の俗楽。之 琰の曾孫の魏皓 (子明,日本名鉅鹿富五郎) により明和年間 (1764~72) 京都で広められ,宮崎 筠圃,筒井景周ら数百人の門人を擁したという。その後明楽は次第に衰微し,遅れて伝来した清楽に圧倒され,わずかに一部が清楽に吸収されて存続した。明笛 (みんてき) による楽曲の吹奏が広く行われたこともあり,楽曲の数は初め二百余曲あったといい,『魏氏楽譜』の 50曲とその他を加えて六十余曲伝わった。清楽は,文政年間 (1818~30) 清人金琴江が長崎に渡来して,荷塘,曾谷長春らに伝えた清の俗楽で,琴江はのちに京都に出て清楽を広め,宮沢雲山,市河米庵,渡辺崋山ら文人の間に多数の愛好者を得た。一方,天保の初め (30頃) に,清人林徳健も長崎に来て清楽を教え,門下に三宅瑞蓮,穎川春漁ら,春漁の門下に浜地不卜斎,鏑木渓庵らがいて,江戸を中心に栄えた。関東中心の渓庵派は簡素で静かな奏法を特色とし,西国,京坂地方の長崎派は複雑で派手な奏法を特色とする。また,曾谷長春の門下の平井連山,長原梅園の姉妹は,特に大坂に金琴江系の清楽を普及させ,5世竹本春太夫の妻となった梅園は,夫の没後東京に梅園派の清楽を広めた。そのため,大阪における箏曲の明治新曲に影響するところも大きく,また明治中期には清楽器のなかでも特に月琴が愛好されたが,日清戦争後,清楽は急激に衰微し,現在では,長崎に三宅瑞蓮に学んだ小曾根乾堂が伝えたものが,その娘菊に師事した中村キラらによって数曲伝えられている。看看節 (かんかんぶし) や法界節などの俗曲にその名残りがみられる。清楽は大曲小曲合せて約 150曲あった。

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デジタル大辞泉の解説

みんしん‐がく【清楽】

近世に中国から日本に伝来した俗楽。明楽と清楽とを総称したもので、清楽家が明楽をも演奏するようになり、この名称が起こった。日清戦争以後、急速に衰え、現在は長崎市でわずかに伝承されている。→清楽明楽

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世界大百科事典 第2版の解説

みんしんがく【明清楽】

近世日本で行われた明・清両朝楽曲の総称。明楽は17世紀中ごろ,福建省の人,魏双侯(ぎそうこう)(1613?‐90ころ)が長崎に伝え,やがて京都に上って内裏でも奏した。魏双侯の曾孫の魏皓(ぎこう)(字は子明,?‐1774)も1770年(明和7)前後の10年あまりを京都に居住し100人以上の弟子を育て貴族諸侯の愛好を得た。1768年に江戸,京坂で刊行された《魏氏楽譜》には伝来の200余曲中,50を収める。

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大辞林 第三版の解説

みんしんがく【明清楽】

日本で演奏された中国の近世音楽。明楽と清楽を合わせた日本での俗称であるが、内容的にはほとんど清楽。江戸末期から明治中期まで盛んに演奏された。 → 明楽清楽

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

明清楽
みんしんがく

明代末期以降、日本に伝えられた中国の民間音楽。元来、明楽と清楽は別種の音楽であり、伝来の時代も経緯も異なるが、日本では両者をあわせて「明清楽」と称している。また明楽の伝承が衰えたあとでも、その楽曲の一部は清楽のなかに吸収されており、こういった清楽も普通「明清楽」と称する。明治期に家庭音楽として流行した明清楽は、おもに後者のほうをさす。
 明楽は、江戸時代初期に長崎へ渡来した明人魏之(ぎしえん)(のち日本へ帰化して鉅鹿(おおが)氏を名のる)によって伝えられた。之の曽孫(そうそん)の魏皓(ぎこう)は宝暦(ほうれき)(1751~64)末年に京都へ上り、明楽を教授して百余名の門弟を得たといわれる。しかし明楽は一般にはあまり普及せず、清楽の伝来とともに急速に衰えて、『秋風辞』など楽曲の一部がかろうじて清楽に吸収されるにとどまった。一方、清楽は文政(ぶんせい)年間(1818~30)に、やはり長崎へ渡来した清人金琴江らによって伝えられ、渡辺崋山(かざん)などの知名人もこれをたしなんだ。のちに大坂で活躍した平井連山(れんざん)(1798―1886)はこの系統の出である。これとは別に、天保(てんぽう)(1830~44)初年に清人林徳健が長崎に渡来して、穎川春漁(えがわしゅんぎょ)らに清楽を伝授し、この系統は幕末の江戸に広く普及した。
 明楽も清楽も声楽中心ではあるが、そこで用いられる楽器の種類は数多く、明楽では11種、清楽では17種が用いられている。なかでも清楽の月琴はもっとも普及した楽器で、この楽器のための楽譜類も相当数出版されている。清楽の大小200曲余のレパートリーのうち『算命曲』『九連環(きゅうれんかん)』『抹梨花(まつりか)』などは、当時広く愛唱されたものである。しかし、明治の一時期には邦楽、洋楽とともに家庭音楽としての一翼を担っていた清楽も、日清戦争以後急速に衰えて、現在長崎県にレパートリーのいくつかが伝承されているにすぎない。[千葉優子]

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精選版 日本国語大辞典の解説

みんしん‐がく【明清楽】

〘名〙 (明楽と清楽の意から) 中国から伝来した俗楽。本来は明楽と清楽とは別のもので使う楽器も異なるが、日本ではこれを区別せず、明清楽と称している。日本語の歌をうたうものと唐音でうたうものとがある。日清戦争以後はまったくすたれた。→清楽明楽

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世界大百科事典内の明清楽の言及

【日本音楽】より


[第6期]
 洋楽輸入時代(19世紀後期~20世紀初期) 明治時代全期を指す。明治維新により欧米との交渉が開け,洋楽と清楽(前代の明楽を吸収して明清楽(みんしんがく)ともいう)が輸入された。もっとも,洋楽は室町末期にキリスト教とともにキリシタン音楽として伝来し,日本人も習ったりしたが,まもなく鎖国となり,まったく行われなくなった。…

【琵琶】より

…中国では宋代以後,古い形にとらわれずに新しい琵琶様式をつくりあげていった。ことに南部では声楽曲の伴奏用に広く愛用され,語り物としての〈弾詞(だんし)〉になくてはならないものとなり,また明代以後は他の楽器と組み合わされて新しい合奏音楽をつくるのに役立てられた(この合奏形態は日本にも伝えられ〈明清楽(みんしんがく)〉と呼ばれた)。一方,北部ではむしろ独奏楽器として発達し,純器楽的表現のみならず,自然現象を模倣する写実技法を織り交ぜながらフラメンコ風の華麗な技巧をこらした指爪弾法を応用するようになった。…

※「明清楽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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