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曾我蕭白 そが しょうはく

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美術人名辞典の解説

曾我蕭白

江戸中・後期の画家。京都生。姓は三浦、名は暉雄、暉一・暉鷹とも称する。字は師龍、通称を左近二郎、別号に蛇足軒・鬼神斎・如鬼等。高田敬輔に学ぶが、自ら曾我蛇足十世を名のり室町時代の水墨画を慕う。池大雅とも交友があり、また奇行の逸話を残している。天明元年(1781)歿、51才。

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百科事典マイペディアの解説

曾我蕭白【そがしょうはく】

江戸中期の画家。本姓三浦。曾我蛇足(じゃそく)に私淑して蛇足軒,蛇足十世と号した。京都の商家に生まれ,高田敬輔に学ぶ。曾我直庵・二直庵父子の画風の奇矯さを誇張した個性の強い画風を特徴とし,奇行でも知られた。
→関連項目三重県立美術館

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

曾我蕭白 そが-しょうはく

1730-1781 江戸時代中期の画家。
享保(きょうほう)15年生まれ。曾我蛇足(じゃそく)や曾我直庵(ちょくあん)の画風をまなび,10代蛇足を称した。狩野派の流れをくむ高田敬輔に師事したといわれるがさだかではない。あらあらしい筆致と極彩色の作品で独自の画風を確立した。安永10年1月7日死去。52歳。京都出身。本姓は三浦。名は暉雄(てるお)。別号に蛇足軒,虎道,鬼神斎,鸞山(らんざん)など。作品に「寒山拾得(じっとく)図」「群仙図屏風(びょうぶ)」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

曾我蕭白

没年:天明1.1.7(1781.1.30)
生年:享保15(1730)
江戸中期の画家。本姓は三浦。名は暉雄。蛇足軒,鸞山,師竜など別号が多い。京都の商家に父吉右衛門,母ヨツの次男として生まれ,20歳代末には画家として立つ。高田敬輔に師事し,また曾我派,雲谷派の画法を学んだと記録され,実際の作品もそれを裏付ける。京都知恩寺に伝わる元代の画家顔輝の怪異な人物画「蝦蟇鉄拐図」などを参考にしながら,狂人の表情,獣の手足,乞食の衣を備えた個性的な人物群像を作り出したほか,花鳥画,山水画でも伝統的な題材にデフォルメを加え,細密な着色画から粗放な水墨画まで,卓抜な技法を駆使した奇怪な画風で評判をよんだ。少なくとも2度伊勢(三重県)地方を旅行し,多くの作品と逸話を生み,また播州(兵庫県)にも足跡を残した。禅宗の聖者や高雅な文人を機知的な見立てなどで卑俗な人物にやつす手法には当時の文芸と共通する趣向が働いており,交友のあった松波酊斎ら儒者や禅僧の顔ぶれからも,「奇」や「狂」の精神を尊ぶ明末の陽明学左派の思潮が,その発想法や無頼の行動に影響したらしい。池大雅に親しむ一方で,円山応挙の絵を「絵図」と蔑んだという逸話は彼の文人志向を示す。京都国立博物館に「群仙図屏風」(1764)や菩提寺臨済宗寺院興聖寺のために描いた「寒山拾得図」といった代表作が寄託され,三重県立美術館も重要な作品を所蔵する。また,ボストン美術館にはフェノロサビゲローが収集した多数の蕭白画が伝わっており,玉石混交とはいえ質,量ともに最大のコレクションである。<参考文献>佐藤康宏『若冲・蕭白』

(佐藤康宏)

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世界大百科事典 第2版の解説

そがしょうはく【曾我蕭白】

1730‐81(享保15‐天明1)
江戸中期の画家。屋号を丹波屋あるいは丹後屋という京都の商家に生まれた。本姓は三浦氏。名は暉雄(てるお)。蕭白のほか蛇足軒,虎道,鬼神斎などの号がある。一説に京狩野の流れをくむ高田敬輔に師事したという。29~30歳ころと35歳ころに伊勢地方を遊歴したらしく,津,松坂の寺院や旧家に障屛画などが残り,奇行と風狂な人となりを伝える逸話が記録されている。また38歳ころの播州滞在を物語る作品が伝存する。当時の京都画壇では,中国の文人画に触発された南画と,写生を取り入れた平明な作品を描く円山派とが台頭して,狩野派など既成の流派に対抗していた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

曾我蕭白
そがしょうはく

[生]享保15 (1730) 京都
[没]天明1 (1781).1.7. 京都
江戸時代中期の画家。本姓は三浦。初め狩野派の高田敬輔に師事,のち曾我蛇足に私淑して曾我蛇足10世を名のり,蛇足軒と号した。さらに雲谷等顔 (うんこくとうがん) の画風を学びながら山水,人物,花鳥,故事など漢画の古典的な画題を墨の濃淡によって自由奔放に描写し,独創的な画風を築いた。

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世界大百科事典内の曾我蕭白の言及

【曾我派】より

…画風は雄大で,山水花鳥の大作を残し,狩野,長谷川,海北,雲谷の各派と並び称される。(3)江戸中期の曾我蕭白とその一派 画風的に直庵,あるいは特に二直庵の誇張をまねるところがあり,蕭白は自ら蛇足10世を称したが,今のところ文献的には以上の曾我派との直接的な関連はない。【中島 純司】。…

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