月山城(読み)がっさんじょう

  • がっさんじょう グヮッサンジャウ

百科事典マイペディアの解説

島根県安来市広瀬月山に築かれた中世から近世初頭にかけての山城富田(とだ)城・月山富田城ともいう。戦国大名尼子(あまこ)氏居城で,平安末期に平景清(かげきよ)が築いたとの伝承がある。鎌倉中期から,出雲国守護佐々木氏の一族富田氏が支配したが,月山城が城としての機能を果たすのは南北朝内乱期においてであろう。伯耆国・美作国に隣接するという立地条件から政治的・軍事的に重視されるとともに,中国山地の鉄の生産と流通を掌握するうえでの拠点となった。15世紀中頃以降,出雲国守護京極(きょうごく)氏の守護代として尼子氏が城を管理していたと考えられる。戦国期の尼子氏は大内氏,ついで毛利氏と争い,1566年毛利元就軍の包囲攻撃を受けて開城。1569年から翌年にかけて,城の奪回をめざす尼子氏の復興戦があったが,失敗に終わっている。毛利氏は毛利元秋や吉川(きっかわ)広家らを城主としたが,1600年の関ヶ原の戦ののち出雲・隠岐2国で24万石を与えられた堀尾忠氏(ただうじ)が月山城に入った。忠氏は城の整備などを行ったが,慶長年間(1596年−1615年)堀尾氏が松江城に移ったため廃城となった。城跡は国指定史跡。麓の飯梨(いいなし)川(富田川)の河川敷には2.5kmに及ぶ富田川河床(とだがわかわどこ)遺跡があり,1666年に起きた大洪水によって消滅した戦国期から江戸初期の城下町遺構とされている。

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世界大百科事典 第2版の解説

島根県能義郡広瀬町の月山に築かれた中世の山城。富田(とだ)城ともいい,戦国大名尼子氏の居城であった。平安時代末に悪七兵衛景清が築いた城という伝承があるが,南北朝時代には出雲国守護山名氏のもとで勢力のあった佐々木富田氏の居城であったと考えられる。室町時代以降は,守護京極氏の守護代として近江国より入国し,のちに戦国大名となった尼子氏の居城となったため,この城は山陰の中心的な城としての地位を占めることになった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

鎌倉期~江戸初期の城。島根県安来(やすぎ)市広瀬(ひろせ)町富田(とだ)にあり、富田城ともよばれ、富田月山城、月山富田城などともいう。城は平安末期、藤原景清(かげきよ)によって築かれたともいわれるが伝承の域を出ない。鎌倉期出雲(いずも)守護として入った佐々木義清(よしきよ)が築き、佐々木氏が大迫(おおさこ)城を本拠とするようになってからは、守護代の尼子(あまご)氏が守っていた。尼子氏の入城は、応永(おうえい)年間で、持久(もちひさ)のときといわれている。尼子氏は経久(つねひさ)のとき佐々木京極(きょうごく)氏を追放し、その孫の晴久(はるひさ)の代には出雲を中心とする山陰11か国を領する戦国大名に成長した。1565年(永禄8)から翌年にかけて、3万5000余の毛利元就(もうりもとなり)の大軍に攻められ落城し尼子氏は滅亡した。のち毛利氏の城代(じょうだい)が入ったが、関ヶ原の戦いののち、堀尾吉晴(ほりおよしはる)が入城した。しかし、吉晴は新しく松江城を築いて移転し、そのため廃城となった。1960年(昭和35)城の麓(ふもと)を流れる富田川の砂防堰堤(えんてい)工事のとき、現在の富田川河床から戦国期の城下町の一部が掘り出された。[小和田哲男]

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