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有馬頼寧 ありまよりやす

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

有馬頼寧
ありまよりやす

[生]1884.12.17. 東京
[没]1957.1.10. 東京
大正・昭和期の政治家。1910年に東京帝国大学農科大学卒業,農商務省に入ったが,1917年辞職して母校に戻り,同大学講師,のちに助教授となった。1924年衆議院議員となり,政界に進出。1929年貴族院議員。農林政務次官,産業組合中央金庫(→農林中央金庫)理事長,産業組合中央会会頭などを歴任し,1937年第1次近衛文麿内閣の農林大臣に就任。近衛とともに新体制運動を起こし,1940年には大政翼賛会事務総長となった。終戦を迎えた 1945年,A級戦犯容疑者として拘置されたが翌 1946年釈放。晩年は日本中央競馬会理事長を務めた。競馬の有馬記念有馬頼寧の名前にちなむ。著書に『七十年の回想』(1953)がある。

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デジタル大辞泉の解説

ありま‐よりやす【有馬頼寧】

[1884~1957]政治家。東京の生まれ。頼義の父。東京帝大卒業後、農商務省に入り、大正13年(1924)衆議院議員、昭和4年(1929)貴族院議員となる。昭和12年(1937)には農林大臣に就任。プロ野球球団東京セネタースの創立参画。戦後は中央競馬会理事長となり、「有馬記念」にその名を残す。

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百科事典マイペディアの解説

有馬頼寧【ありまよりやす】

政治家。旧筑後(ちくご)久留米藩主頼万(よりたか)の嗣子。東大農学部卒。農商務省に在職,1924年代議士に当選,政友会に属す。近衛文麿の腹心として第1次近衛内閣の農林大臣,1940年大政翼賛会初代事務総長に就任。
→関連項目有馬氏新体制運動

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

有馬頼寧 ありま-よりやす

1884-1957 大正-昭和時代の政治家。
明治17年12月17日生まれ。有馬頼万(よりつむ)の長男。母校東京帝大の助教授をへて,大正13年衆議院議員(政友会),昭和4年貴族院議員。この間,水平運動,農民組合運動を支援。12年第1次近衛内閣の農相,15年大政翼賛会事務総長。戦後は中央競馬会理事長となり,「有馬記念」に名をのこす。昭和32年1月10日死去。72歳。東京出身。

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世界大百科事典 第2版の解説

ありまよりやす【有馬頼寧】

1884‐1957(明治17‐昭和32)
政治家。旧久留米藩主有馬家の長男。東京生れ。1910年東大農科を卒業し,農商務省嘱託。東大農学科付属農業教員養成所講師,助教授をへて,24年衆議院議員に当選,のち政友会に入党。その間に牧野伸顕らに庇護されて,水平社運動,農民組合運動を援助するなど,華族界の進歩派であった。27年父の死により伯爵を継ぎ,のち貴族院議員となり,研究会に所属。32年農林政務次官,翌年産業組合中央金庫理事長をへて,37年近衛文麿内閣の農林大臣となる。

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大辞林 第三版の解説

ありまよりやす【有馬頼寧】

1884~1957) 政治家。東京生まれ。東大卒。旧久留米藩主頼万の長男。衆議院議員。水平運動・農民解放運動を援助。第一次近衛内閣の農相。競馬の有馬記念は彼の名にちなむ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

有馬頼寧
ありまよりやす
(1884―1957)

政治家。旧久留米(くるめ)藩主有馬家の嫡子として東京に生まれる。学習院を経て1910年(明治43)東京帝国大学農科卒業。農商務省に入り農村各地を視察する。1917年(大正6)辞職。のち東大農科講師、助教授となる。この間、河上肇(かわかみはじめ)、賀川豊彦(かがわとよひこ)らに感銘し、日本農民組合創設や部落解放運動の支援などに尽力する。1924年衆議院議員に当選、政友会に入るが、1927年(昭和2)家を継ぐため授爵(伯爵)、議員を辞し産業組合中央金庫監事となる。1929年貴族院議員(研究会所属)となり、斎藤実(さいとうまこと)内閣の農林政務次官、第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣の農相のほか、産業組合の要職を歴任、近衛の側近として新体制運動を推進した。1940年大政翼賛会初代事務局長となったが翌1941年辞任。帝国水産統制株式会社社長となり政界の表面から身を引いた。敗戦後、国民協同党の創立に参加。A級戦犯として収容されたが不起訴。1955年(昭和30)、日本中央競馬会理事長となる。作家有馬頼義(よりちか)はその子。競馬の有馬記念競走は彼にちなむ。[小田部雄次]
『有馬頼寧著『政界道中記』(1951・日本出版協同株式会社) ▽有馬頼寧著『七十年の回想』(1953・創元社) ▽安田武著『創立期の翼賛運動――有馬頼寧』(思想の科学研究会編『転向』所収・1960・平凡社)』

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世界大百科事典内の有馬頼寧の言及

【新体制運動】より

…おりからナチス・ドイツの電撃戦が成功し,〈バスに乗りおくれるな〉と近衛をかついで強力な政治体制をつくり戦争の拡大に備えようとする動きが各方面で活発となった。近衛側近の有馬頼寧,風見章らは〈高度国防国家の完成,外交の刷新,政治新体制の建設〉をスローガンに国民組織を基盤とする新党を結成し軍部をとりこんでこれを統制することを目ざしたし,陸軍の武藤章軍務局長らは親軍的な一国一党をつくらせようと企図した。これに対して観念右翼や内務官僚は強力新党は幕府的存在になると,国体論をたてにこれに反撃した。…

※「有馬頼寧」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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