杵屋勝三郎(2代)(読み)きねや・かつさぶろう

朝日日本歴史人物事典 「杵屋勝三郎(2代)」の解説

杵屋勝三郎(2代)

没年:明治29.2.5(1896)
生年:文政3(1820)
江戸末期から明治期にかけての長唄三味線方。初代杵屋勝五郎の門弟であった初代勝三郎の子。前名を小三郎といい,天保11(1840)年に2代目を襲名した。初音(追回し)の馬場のあった江戸日本橋馬喰町に住み,作曲,演奏ともに優れ左右両手ともによく利いたので,「馬場の鬼勝」と呼ばれた。力強く豪快な演奏ぶりであったという。幕末から明治にかけて数多くの作曲を行い,「都鳥」「勝三郎連獅子」「船弁慶」などが知られているが,なかでも「船弁慶」の豪快な持ち味はこの人の演奏にふさわしいものであっただろう。ほかに「菖蒲ゆかた」「喜三の庭」など,当時名人として並び称された3代目杵屋正次郎との合作もある。明治期になってから「船弁慶」や「安達原」など能楽題材を取った作曲がみられるが,これは当時,苦境にあった能楽師たちとの協力によるもので,勝三郎の大きな業績のひとつである。<参考文献>町田嘉章『長唄浄観』

(長葉子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「杵屋勝三郎(2代)」の解説

杵屋勝三郎(2代) きねや-かつさぶろう

1820-1896 江戸後期-明治時代の長唄三味線方。
文政3年生まれ。初代杵屋勝三郎の子。初名は小三郎。天保(てんぽう)11年2代目を襲名。弘化(こうか)2年江戸市村座の立三味線。日本橋馬喰(ばくろ)町にすんで「馬場の鬼勝」とよばれる。演奏,作曲ともにすぐれた。以後勝三郎の名は杵勝(きねかつ)派の家元名として7代をかぞえる。明治29年2月5日死去。77歳。作品に「都鳥」「時雨西行(しぐれさいぎょう)」など。

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