精選版 日本国語大辞典 「松平乗邑」の意味・読み・例文・類語
まつだいら‐のりさと【松平乗邑】
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(大石学)
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江戸幕府、享保(きょうほう)の改革後半期の老中(在任1723~45)。大給(おぎゅう)松平氏。1690年(元禄3)父乗春(のりはる)の遺領6万石を相続、肥前(佐賀県)唐津(からつ)城主となり、翌年志摩(三重県)鳥羽(とば)城に移封。1700年(元禄13)従(じゅ)五位下和泉守(いずみのかみ)に叙任。10年(宝永7)伊勢(いせ)(三重県)亀山城に移り、17年(享保2)山城(やましろ)(京都府)淀(よど)城主となる。22年かりに大坂城代を命ぜられ、左近将監(さこんのしょうげん)と改称。翌23年老中に登用され、下総(しもうさ)(千葉県)佐倉に移封。従四位下に昇叙。翌年侍従に任官。これから8代将軍吉宗(よしむね)を補佐して享保の改革遂行に敏腕を振るい、とくに37年(元文2)勝手掛を命ぜられて、米価問題などで崩れかけた財政の再建に活躍。45年(延享2)3月には1万石の加増を受けたが、同年将軍吉宗が隠退すると、10月突然加増分を没収、隠居謹慎(きんしん)を命ぜられた。真相は明らかでないが、おそらく改革政治への反感を一身に負わされたのであろう。延享(えんきょう)3年4月16日没。
[辻 達也]
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1686.1.8~1746.4.16
江戸中期の老中。下総国佐倉藩主。父は肥前国唐津藩主乗春。和泉守・左近将監・侍従。1690年(元禄3)遺領相続。志摩国鳥羽・伊勢国亀山・山城国淀に転封。1723年(享保8)老中となり,佐倉藩主。37年(元文2)勝手掛。45年(延享2)1万石加増。8代将軍徳川吉宗の享保の改革を支え,農政・財政の責任者だったが,同年吉宗が引退する際,罷免。加増1万石も没収され,隠居・蟄居となった。
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…22年水野忠之が就任,前年の勘定所勝手方分課に対応し改革を行った。37年(元文2)松平乗邑が任じて年貢増徴を進めた。中絶時には老中月番・合議制により財政が運営され,61年(宝暦11)より常置となり,複数・月番制が多くなった。…
…腰物方,桐間番,腰物方,細工頭,賄頭,納戸頭を歴任し,36年(元文1)勘定吟味役へ進み納戸頭の上席となる。翌年勘定奉行に昇進し,同年勝手掛老中に就任した松平乗邑(のりさと)の下で年貢増徴につとめた。44年(延享1)みずから畿内・中国筋を巡察し,有毛検見(ありげけみ)取法と田方木綿・雑事勝手作法を施行して年貢を増徴した。…
…上下2巻から成り,主として裁判に関する幕府の基本法であった。編纂は老中松平乗邑(のりさと)のもとに寺社・町・勘定の三奉行を委員としておこなわれ,法律に関心の深かった吉宗自身の意見も随所に反映されている。1742年(寛保2)に一応でき上がり,奥書が書かれたので,一般にこの年を成立の時期とする。…
…これは53年(承応2)のことらしい。60年(万治3)正信改易後,61年(寛文1)松平乗久(6万石),78年(延宝6)老中大久保忠朝,86年(貞享3)戸田忠昌(6万1000石),1701年(元禄14)老中稲葉正往(10万2000石),23年(享保8)老中松平乗邑(のりさと)(6万石),46年(延享3)老中堀田正亮(10万石,のち1万石加増)が入封するなど,佐倉は南関東の要地として歴代藩主の中には老中となった者が多い。 堀田正亮はさきに改易された正信の弟正俊の孫で,以後堀田氏はここに定着した。…
※「松平乗邑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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