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松平乗邑 まつだいらのりむら

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

松平乗邑
まつだいらのりむら

[生]貞享3(1686)
[没]延享3(1746)
江戸時代中期の下総佐倉藩主,幕府老中。乗春の子。大給松平氏の出身。第8代将軍徳川吉宗に重用され享保の改革で活躍。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

松平乗邑 まつだいら-のりむら

まつだいら-のりさと

松平乗邑 まつだいら-のりさと

1686-1746 江戸時代前期-中期の大名。
貞享(じょうきょう)3年生まれ。松平乗春(のりはる)の長男。元禄(げんろく)3年5歳で肥前唐津(からつ)藩(佐賀県)藩主松平(大給(おぎゅう))家3代となる。志摩鳥羽,伊勢(いせ)亀山,山城淀(よど)と移封。享保(きょうほう)8年大坂城代から老中に就任し,下総(しもうさ)佐倉藩(千葉県)藩主となる。6万石。享保の改革に参画,幕府財政の再建にあたる。延享2年老中を罷免され,蟄居(ちっきょ)を命じられた。延享3年4月16日死去。61歳。初名は乗益(のります)。和泉守。著作に「乗邑名物記」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

松平乗邑

没年:延享3.4.16(1746.6.4)
生年:貞享3(1686)
江戸中期の大名,享保の改革後半期の老中。徳川家譜代の大給松平家に生まれる。乗春と奥平昌能の娘の子。元禄3(1690)年遺領6万石を継ぎ,肥前国唐津藩主となる。その後,志摩国鳥羽藩,伊勢国亀山藩,山城国淀藩,と移封を繰り返す。また,享保7(1722)年大坂城代に就任し,左近将監を名乗る。同8年老中となり,下総国佐倉藩(千葉県佐倉市)に移される。そののち同11年の将軍徳川吉宗の放鷹や13年の日光社参,14年の将軍養女竹姫の婚姻といった諸儀式,儀礼を指揮した。元文2(1737)年幕府の農財政の最高責任者である勝手掛老中となり,神尾春央,堀江芳極および「新代官」と呼ばれる農財政官僚群を率いて幕府財政の再建に取り組む。この結果,延享1(1744)年には,享保の改革期における年貢徴収量の最高値をみた。しかし乗邑は翌2年突然勝手掛老中を罷免され,八丁堀の邸宅に蟄居を命じられた。この直接の理由として,幕閣内で彼が専権をふるったことが指摘されているが,その背景に享保改革末期の乗邑の強引な年貢増徴政策に対する朝廷,大名,旗本,町人,農民など諸階層の強い反発や批判があったことは見逃せない。<参考文献>大石学「松平乗邑体制の歴史的性格」(徳川林政史研究所『研究紀要』1981年)

(大石学)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

まつだいらのりさと【松平乗邑】

1686‐1746(貞享3‐延享3)
江戸中期の譜代大名で,享保改革の後半を担当した老中。大給(おぎゆう)松平氏。幼名源次郎・乗益,和泉守のち左近将監。1690年(元禄3)父乗春の遺領肥前唐津6万石を継ぎ,志摩鳥羽,伊勢亀山,山城淀と転じ,1723年(享保8)4月老中に任じ,5月下総佐倉城主となった。37年(元文2)6月勝手掛(かつてがかり)老中となり,勘定奉行神尾春央(かんおはるひで),勘定組頭堀江芳極(ただとう),代官上坂(うえさか)政形らと,有毛検見取法(ありげけみどりほう)による年貢増徴,関東流作場や秣場まぐさば)などの開発と検地,公金貸付政策を実施し,幕府財政を再建した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

松平乗邑
まつだいらのりさと
(1686―1746)

江戸幕府、享保(きょうほう)の改革後半期の老中(在任1723~45)。大給(おぎゅう)松平氏。1690年(元禄3)父乗春(のりはる)の遺領6万石を相続、肥前(佐賀県)唐津(からつ)城主となり、翌年志摩(三重県)鳥羽(とば)城に移封。1700年(元禄13)従(じゅ)五位下和泉守(いずみのかみ)に叙任。10年(宝永7)伊勢(いせ)(三重県)亀山城に移り、17年(享保2)山城(やましろ)(京都府)淀(よど)城主となる。22年かりに大坂城代を命ぜられ、左近将監(さこんのしょうげん)と改称。翌23年老中に登用され、下総(しもうさ)(千葉県)佐倉に移封。従四位下に昇叙。翌年侍従に任官。これから8代将軍吉宗(よしむね)を補佐して享保の改革遂行に敏腕を振るい、とくに37年(元文2)勝手掛を命ぜられて、米価問題などで崩れかけた財政の再建に活躍。45年(延享2)3月には1万石の加増を受けたが、同年将軍吉宗が隠退すると、10月突然加増分を没収、隠居謹慎(きんしん)を命ぜられた。真相は明らかでないが、おそらく改革政治への反感を一身に負わされたのであろう。延享(えんきょう)3年4月16日没。[辻 達也]

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367日誕生日大事典の解説

松平乗邑 (まつだいらのりさと)

生年月日:1686年1月8日
江戸時代中期の大名
1746年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典内の松平乗邑の言及

【勝手掛】より

…22年水野忠之が就任,前年の勘定所勝手方分課に対応し改革を行った。37年(元文2)松平乗邑が任じて年貢増徴を進めた。中絶時には老中月番・合議制により財政が運営され,61年(宝暦11)より常置となり,複数・月番制が多くなった。…

【神尾春央】より

…腰物方,桐間番,腰物方,細工頭,賄頭,納戸頭を歴任し,36年(元文1)勘定吟味役へ進み納戸頭の上席となる。翌年勘定奉行に昇進し,同年勝手掛老中に就任した松平乗邑(のりさと)の下で年貢増徴につとめた。44年(延享1)みずから畿内・中国筋を巡察し,有毛検見(ありげけみ)取法と田方木綿・雑事勝手作法を施行して年貢を増徴した。…

【公事方御定書】より

…上下2巻から成り,主として裁判に関する幕府の基本法であった。編纂は老中松平乗邑(のりさと)のもとに寺社・町・勘定の三奉行を委員としておこなわれ,法律に関心の深かった吉宗自身の意見も随所に反映されている。1742年(寛保2)に一応でき上がり,奥書が書かれたので,一般にこの年を成立の時期とする。…

【佐倉藩】より

…これは53年(承応2)のことらしい。60年(万治3)正信改易後,61年(寛文1)松平乗久(6万石),78年(延宝6)老中大久保忠朝,86年(貞享3)戸田忠昌(6万1000石),1701年(元禄14)老中稲葉正往(10万2000石),23年(享保8)老中松平乗邑(のりさと)(6万石),46年(延享3)老中堀田正亮(10万石,のち1万石加増)が入封するなど,佐倉は南関東の要地として歴代藩主の中には老中となった者が多い。 堀田正亮はさきに改易された正信の弟正俊の孫で,以後堀田氏はここに定着した。…

※「松平乗邑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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