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林丘寺 りんきゅうじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

林丘寺
りんきゅうじ

京都市左京区修学院にある尼寺。聖明山と号する。もとは臨済宗天竜寺派に属していたが,現在は単立宗教法人。後水尾天皇 (在位 1611~29) と皇女のために修学院離宮の中の茶屋仏寺としたもので,代々皇女が入寺した。明治維新後に一部を離宮に返した。美しい庭園で有名であり,御手鑑 (1冊) などを所蔵している。

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デジタル大辞泉の解説

りんきゅう‐じ〔リンキウ‐〕【林丘寺】

京都市左京区にある単立宗教法人(もと臨済宗天竜寺派)の尼寺。山号は、聖明山。修学院離宮の正殿楽只軒(らくしけん)を寺とし、後水尾天皇の皇女光子内親王が出家して入寺したのが始まり。歴代の宸翰(しんかん)高僧墨跡が多く残っている。音羽御所。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

林丘寺
りんきゅうじ

京都市左京区修学院(しゅうがくいん)林ノ脇(はやしのわき)にある単立宗教法人の尼寺。もと臨済(りんざい)宗天竜寺派に属した。山号は聖明山。俗に音羽御所(おとわごしょ)ともいう。もと後水尾(ごみずのお)天皇の修学院離宮の正殿で、楽只軒(らくしけん)と号した。1680年(延宝8)天皇が崩御され、遺勅により仏寺となり、皇女朱宮光子(あけみやこうこ)内親王が出家して照山元瑤(しょうざんげんよう)と名を改め、翌年当寺の住持となった。その後3世まで皇女の入住があったが、桃園(ももぞの)天皇の皇女博山(はくさん)尼を最後に寺主は置かれなかった。江戸時代には朱印300石を領して比丘尼(びくに)御所としての格式を保持し、明治維新の際に、一時男僧寺院とされたが、まもなく尼寺に復した。1884年(明治17)寺地の約半分を宮内省に返上。旧寺地の客殿、楽只軒などは現在修学院離宮の茶屋となっている。古来林泉の美をもって知られ、寺宝に紙本墨書林丘寺御手鑑(みてかがみ)(重文)などを蔵する。[平井俊榮]

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世界大百科事典内の林丘寺の言及

【修学院離宮】より

…1655年(明暦1)着工され,上皇みずからの構想のもと,59年(万治2)に下の御茶屋,2年後の61年(寛文1)に上の御茶屋の大池ができ,上皇は理想の山荘を完成させた。ただし中の御茶屋は1884年に林丘寺境内の約半分が離宮に編入されたものである。 下の御茶屋は山荘利用の拠点で,寿月観(じゆげつかん)(上皇の御座所)を中心とする諸建築が建ち並び,これに面して小滝からの遣水(やりみず)がめぐって下方の池にそそぐ,小ぢんまりとした庭が作られた。…

※「林丘寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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