出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都市左京区修学院(しゅうがくいん)林ノ脇(はやしのわき)にある単立宗教法人の尼寺。もと臨済(りんざい)宗天竜寺派に属した。山号は聖明山。俗に音羽御所(おとわごしょ)ともいう。もと後水尾(ごみずのお)天皇の修学院離宮の正殿で、楽只軒(らくしけん)と号した。1680年(延宝8)天皇が崩御され、遺勅により仏寺となり、皇女朱宮光子(あけみやこうこ)内親王が出家して照山元瑤(しょうざんげんよう)と名を改め、翌年当寺の住持となった。その後3世まで皇女の入住があったが、桃園(ももぞの)天皇の皇女博山(はくさん)尼を最後に寺主は置かれなかった。江戸時代には朱印300石を領して比丘尼(びくに)御所としての格式を保持し、明治維新の際に、一時男僧寺院とされたが、まもなく尼寺に復した。1884年(明治17)寺地の約半分を宮内省に返上。旧寺地の客殿、楽只軒などは現在修学院離宮の茶屋となっている。古来林泉の美をもって知られ、寺宝に紙本墨書林丘寺御手鑑(みてかがみ)(重文)などを蔵する。
[平井俊榮]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…1655年(明暦1)着工され,上皇みずからの構想のもと,59年(万治2)に下の御茶屋,2年後の61年(寛文1)に上の御茶屋の大池ができ,上皇は理想の山荘を完成させた。ただし中の御茶屋は1884年に林丘寺境内の約半分が離宮に編入されたものである。 下の御茶屋は山荘利用の拠点で,寿月観(じゆげつかん)(上皇の御座所)を中心とする諸建築が建ち並び,これに面して小滝からの遣水(やりみず)がめぐって下方の池にそそぐ,小ぢんまりとした庭が作られた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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