森雅之(読み)モリマサユキ

デジタル大辞泉 「森雅之」の意味・読み・例文・類語

もり‐まさゆき【森雅之】

[1911~1973]俳優。北海道の生まれ。本名、有島行光ゆきみつ有島武郎長男築地小劇場文学座などに参加し、舞台俳優として活躍映画界に進出し「安城家の舞踏会」で注目されると、その後も多く名作に出演した。出演作「羅生門」「雨月物語」「浮雲」など。

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「森雅之」の解説

森 雅之
モリ マサユキ


職業
俳優

本名
有島 行光

生年月日
明治44年 1月13日

出生地
北海道 札幌市

出身地
東京市 麹町区(東京都 千代田区)

学歴
京都帝国大学文学部哲学科〔昭和7年〕中退

経歴
昭和3年劇団築地小劇場に入ったあと文学座、東京芸術劇場、劇団民芸など新劇の舞台で活躍する一方、17年からは映画にも出演。戦後の20年代から30年代にかけての映画での活躍は目覚ましく、知的でニヒル二枚目として好演、色々なタイプの役を演じながら、見事に人間の内部を表現した。戦後の日本映画が生んだ最も知的な二枚目だったとの評もあり、主な出演作品に「安城家舞踏会」「わが生涯のかがやける日」「羅生門」「白痴」「雨月物語」「あにいもうと」「浮雲」「挽歌」「おとうと」などがある。テレビでも「樅の木は残った」などで活躍したが、舞台では47年の民芸の「三人姉妹」が最後だった。

受賞
キネマ旬報賞主演男優賞(昭30年度)「浮雲」 毎日映画コンクール主演男優賞(昭22年度)「安城家の舞踊会」,毎日映画コンクール助演男優賞(昭35年度)「おとうと」「悪い奴ほどよく眠る」

没年月日
昭和48年 10月7日 (1973年)

家族
父=有島 武郎(作家),弟=神尾 行三(「父有島武郎と私」の著者)

親族
叔父=有島 生馬(画家),里見 弴(作家)

伝記
黄昏のダンディズム会いたかった人、曲者天国ひとりごと森雅之―知性の愁い、官能の惑わし風貌談―男優の肖像蝶蘭の花が咲いたよ―演劇ジャーナリストの回想ふたりの夫からの贈りもの 村松 友視 著中野 翠 著市原 悦子 著田中 眞澄,阿部 嘉昭,永井 正敏,佐藤 千広 編尾崎 宏次 著長岡 輝子 著(発行元 佼成出版社文芸春秋春秋社フィルムアート社文芸春秋影書房草思社 ’02’01’01’98’96’88’88発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「森雅之」の解説

森 雅之
モリ マサユキ

昭和期の俳優



生年
明治44(1911)年1月13日

没年
昭和48(1973)年10月7日

出生地
北海道札幌市

出身地
東京市麴町区(現・東京都千代田区)

本名
有島 行光

学歴〔年〕
京都帝大文学部哲学科〔昭和7年〕中退

主な受賞名〔年〕
毎日映画コンクール主演男優賞(昭22年度)「安城家の舞踊会」,キネマ旬報賞主演男優賞(昭30年度)「浮雲」,毎日映画コンクール助演男優賞(昭35年度)「おとうと」「悪い奴ほどよく眠る」

経歴
昭和3年劇団築地小劇場に入ったあと文学座、東京芸術劇場、劇団民芸など新劇の舞台で活躍する一方、17年からは映画にも出演。戦後の20年代から30年代にかけての映画での活躍は目覚ましく、知的でニヒルな二枚目として好演、色々なタイプの役を演じながら、見事に人間の内部を表現した。戦後の日本映画が生んだ最も知的な二枚目だったとの評もあり、主な出演作品に「安城家の舞踏会」「わが生涯のかがやける日」「羅生門」「白痴」「雨月物語」「あにいもうと」「浮雲」「挽歌」「おとうと」などがある。テレビでも「樅の木は残った」などで活躍したが、舞台では47年の民芸の「三人姉妹」が最後だった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「森雅之」の意味・わかりやすい解説

森雅之
もりまさゆき
(1911―1973)

俳優。本名有島行光。父は作家有島武郎(たけお)。札幌市生まれ。京都帝国大学文学部中退。1929年(昭和4)劇団築地(つきじ)小劇場に入団、1932年にテアトル・コメディに入団したが、解散後文学座に参加する。第二次世界大戦後は映画界に転じ、『安城家の舞踏会』『羅生門』『浮雲』などで知的でニヒルな人間像を造形。晩年は劇団民芸から新派、さらにフリーとなり舞台人としても活躍した。二枚目から老け役まで役柄の幅は広く、洗練された演技のなかに人間の深い翳(かげ)を描き、余人の追従できない人間像をつくりあげた。

[水落 潔]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「森雅之」の意味・わかりやすい解説

森雅之
もりまさゆき

[生]1911.1.13. 札幌
[没]1973.10.7. 東京
俳優。本名有島行光。父は作家の有島武郎。成城高校卒業後,築地小劇場に入団。のち京都大学へ進むが中退。以後新劇俳優としてテアトル・コメディ,文学座劇団民芸などの舞台で活躍した。代表作『女坂』『深川年増』『三人姉妹』など。映画には 1942年『母の地図』でデビュー,第2次世界大戦後は映画を中心に活躍。その知的な風貌を生かして,吉村公三郎の『安城家の舞踏会』 (1947) ,黒沢明の『羅生門』 (50) ,『白痴』 (51) ,成瀬巳喜男の『浮雲』 (55) などで実力を発揮,日本を代表する俳優の1人となった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「森雅之」の解説

森雅之 もり-まさゆき

1911-1973 昭和時代の俳優。
明治44年1月13日生まれ。有島武郎の長男。テアトル・コメディ,文学座をへて戦後は劇団民芸などに所属。映画出演は昭和22年「安城家の舞踏会」で注目され,代表作に「白痴」「浮雲」「雨月物語」などがある。晩年は新派に出演。昭和48年10月7日死去。62歳。北海道出身。京都帝大中退。本名は有島行光。

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367日誕生日大事典 「森雅之」の解説

森 雅之 (もり まさゆき)

生年月日:1911年1月13日
昭和時代の俳優
1973年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の森雅之の言及

【新派】より

…水谷八重子もこの劇団に加わったものの,新劇の演出家菅原卓の援助のもとで,滝沢修を相手役として《椿姫》など新劇的な演目に力を入れる時期があった。しかし,他方では文学座から東京芸術劇場,民衆芸術劇場(劇団民芸の前身)と新劇畑を歩んできた森雅之(1911‐73)が花柳を頼んで劇団員と等しい特別参加を続けるという例も生まれた。やがて,花柳は北条秀司の《女将》《太夫(こつたい)さん》《京舞》などの秀作や川口松太郎《銀座馬鹿》などの銀座シリーズで好評を得るようになり,水谷も中野実(1901‐73)の《息子の青春》《明日の幸福》,川口松太郎《皇女和の宮》,三島由紀夫《鹿鳴館》などに自分の芸境を発見するようになっていった。…

【民芸】より

…正式名称は〈劇団民芸〉。1950年,〈民衆芸術劇場〉(1947創立)を解消・発展するかたちで,宇野重吉(1914‐88),滝沢修(1906‐ ),森雅之(1911‐73),岡倉士朗(1907‐59),北林谷栄(1911‐ )らによって創立された。久保栄,三好十郎,木下順二らの創作劇や,A.ミラー《セールスマンの死》,《アンネの日記》,イプセン《民衆の敵》,A.N.アルブーゾフ《イルクーツク物語》などの翻訳劇で地歩を固め,昭和20年代,30年代を通じ,新劇界の中枢的劇団として多くの人々に親しまれた。…

※「森雅之」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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