楠瀬喜多(読み)クスノセ キタ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「楠瀬喜多」の解説

楠瀬 喜多
クスノセ キタ


生年月日
天保7年9月9日(1836年)

出生地
土佐国弘岡(高知県)

経歴
車力人夫頭袈沙丸儀平長女。小山興人の塾で漢学を学ぶ。安政元年(1854年)土佐藩剣道指南役楠瀬実と結婚、剣道・薙刀を学び、かたわら鎖鎌も修得した。明治7年夫と死別したのちは、時事に奔走板垣退助に共鳴し、立志社民権運動に参加、自ら壇上に立ち民権家壮士と共に阿波讃岐などに遊説した。河野広中杉田定一頭山満などの同志の面倒を見、“人権婆さん”として知られた。晩年潮江村の寺に託居、念仏三味の余生を送る。

没年月日
大正9年10月18日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「楠瀬喜多」の意味・わかりやすい解説

楠瀬喜多 (くすのせきた)
生没年:1836-1920(天保7-大正9)

民権運動家。日本最初の婦人参政権要求者とされている。高知の運送業袈沙丸(けさまる)儀平の長女。土佐藩士楠瀬実と結婚,1872年(明治5)に夫を失い子もなく,以後立志社演説会に出入りし板垣退助らと交友する。女戸主として納税の義務を果たしていたが,78年の高知県区会議員選挙にあたり投票権のないのは不当として県庁に抗議文を出した。土佐州会の結成など地方自治の気運があるなかでの行為で,〈民権ばあさん〉と呼ばれた。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「楠瀬喜多」の意味・わかりやすい解説

楠瀬喜多【くすのせきた】

自由民権運動家。高知県生まれ。日本最初の婦人参政権要求者といわれる。高知藩の剣道指南役であった夫に死別した頃より立志社演説会を傍聴するようになり,河野広中ら民権活動家と交友。女戸主として納税していたにもかかわらず,1878年の高知県区会議員選挙で投票を拒否されたため税金を滞納,県庁に抗議文を出し,内務省にまで意見書を提出して〈民権ばあさん〉の異名をうけた。

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朝日日本歴史人物事典 「楠瀬喜多」の解説

楠瀬喜多

没年:大正9.10.18(1920)
生年:天保7.9.9(1836.10.18)
明治期の民権運動支援者。高知城下に生まれた。明治7(1874)年,夫に先立たれてのち,寡婦で通した。立志社の民権運動に共感して支援,10年代初頭には全国から有力な民権運動家が板垣退助らを訪ねて高知に滞在したが,後年有名になった河野広中,杉田定一,頭山満ら多くの民権運動家を親身になって世話し,「民権ばあさん」の愛称を得た。潮江村要法寺で念仏三昧の余生を送ったという。

(福地惇)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「楠瀬喜多」の解説

楠瀬喜多 くすのせ-きた

1836-1920 明治時代の自由民権運動家。
天保(てんぽう)7年9月9日生まれ。土佐高知藩剣術指南役の楠瀬実と結婚し,明治7年死別。10年代の高知で板垣退助らの民権運動に共鳴して,立志社を支援。河野広中(ひろなか),頭山満(とうやま-みつる)らの活動家からしたわれ,「民権ばあさん」とよばれた。大正9年10月18日死去。85歳。土佐(高知県)出身。

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367日誕生日大事典 「楠瀬喜多」の解説

楠瀬 喜多 (くすのせ きた)

生年月日:1836年9月9日
明治時代の女性民権家
1920年没

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