橘家円蔵(読み)たちばなやえんぞう[はっせい]

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「橘家円蔵」の意味・わかりやすい解説

橘家円蔵(8世)
たちばなやえんぞう[はっせい]

[生]1934.4.3. 東京
[没]2015.10.7. 東京
落語家本名大山武雄。1952年 7世橘家円蔵に入門,前座名は橘家竹蔵。1955年二つ目に昇進し,橘家升蔵と改名。この頃からラジオで人気が出始める。1965年真打ちに昇進し,5世月の家円鏡襲名。5世立川談志と組んだラジオ番組『談志・円鏡歌謡合戦』(ニッポン放送)は伝説的な番組といわれる。芸能人が大喜利をするテレビ番組『お笑い頭の体操』(東京放送 TBS系)の出演者としても人気を博し,構成も担当した。ほかにもテレビ,ラジオ,コマーシャルに多数出演,「うちの節子が」「ヨイショっと」などの流行語を生んだ。1980年代,談志,3世古今亭志ん朝,5世三遊亭円楽とともに四天王と呼ばれ,軽快なギャグを連発する落語『道具屋』『反対俥』『猫と金魚』などが注目された。また 8世桂文楽のネタ『寝床』『鰻の幇間』などにも挑む。1982年 8世橘家円蔵襲名。

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「橘家円蔵」の解説

橘家 円蔵(7代目)
タチバナヤ エンゾウ


職業
落語家

本名
市原 虎之助(イチハラ トラノスケ)

別名
前名=月の家 円鏡(2代目)(ツキノヤ エンキョウ)

生年月日
明治35年 3月23日

出生地
神奈川県

経歴
著書「てんてん人生」どおり転職をくり返し、大正12年8代目桂文楽に入門、文雀となる。昭和21年月の家円鏡で真打ち。28年7代目橘家円蔵を襲名、渋い芸風にみがきがかかり「お直し」「芝浜」などを得意とした。落語協会派長老。

受賞
芸術祭優秀賞〔昭和53年〕

没年月日
昭和55年 5月11日 (1980年)

伝記
談志絶倒 昭和落語家伝落語―知れば知るほど聞書き七代目橘家円蔵 立川 談志 著,田島 謹之助 写真橘 左近 著山口 正二 著(発行元 大和書房実業之日本社青蛙房 ’07’07’03発行)


橘家 円蔵(4代目)
タチバナヤ エンゾウ


職業
落語家

本名
松本 栄吉

生年月日
元治1年

経歴
人形芝居一座から三遊亭円生(4代目)の門下となる。さん生から明治23年円蔵を名乗り、30年真打ちとなる。明治末から大正期に活躍。38年落語研究会創立の際に発起人のひとりとなる。能弁をもって知られ、落し噺を得意とした。「高尾」「廓の穴」「弥次郎」「首堤灯」などが代表作。品川の円蔵と呼ばれた。

没年月日
大正11年 2月8日 (1922年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「橘家円蔵」の解説

橘家 円蔵(7代目)
タチバナヤ エンゾウ

大正・昭和期の落語家



生年
明治35(1902)年3月23日

没年
昭和55(1980)年5月11日

出生地
神奈川県

本名
市原 虎之助(イチハラ トラノスケ)

別名
前名=月の家 円鏡(2代目)(ツキノヤ エンキョウ)

主な受賞名〔年〕
芸術祭優秀賞〔昭和53年〕

経歴
著書「てんてん人生」どおり転職をくり返し、大正12年8代目桂文楽に入門、文雀となる。昭和21年月の家円鏡で真打ち。28年7代目橘家円蔵を襲名、渋い芸風にみがきがかかり「お直し」「芝浜」などを得意とした。落語協会派長老。


橘家 円蔵(4代目)
タチバナヤ エンゾウ

明治・大正期の落語家



生年
元治1年(1864年)

没年
大正11(1922)年2月8日

本名
松本 栄吉

経歴
人形芝居一座から三遊亭円生(4代目)の門下となる。さん生から明治23年円蔵を名乗り、30年真打ちとなる。明治末から大正期に活躍。38年落語研究会創立の際に発起人のひとりとなる。能弁をもって知られ、落し噺を得意とした。「高尾」「廓の穴」「弥次郎」「首堤灯」などが代表作。品川の円蔵と呼ばれた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「橘家円蔵」の意味・わかりやすい解説

橘家円蔵
たちばなやえんぞう

落語家。初代は2代三遊亭円生(えんしょう)の前名。2代はその門人の円坊。3代は三遊亭円朝(えんちょう)門下の一朝(いっちょう)の前名。

4代(1864―1922)本名松本栄吉。4代円生門下で、さん生から1890年(明治23)円蔵襲名。驚異的な能弁で評判をとる。品川の師匠とよばれ、門下から5代・6代円生を生む。円蔵の5代目は5代円生、6代目は6代円生の前名。

7代(1902―1980)本名市原虎之助(とらのすけ)。8代桂(かつら)文楽門下で、桂文雀(ぶんじゃく)から月の家円鏡を経て1953年(昭和28)7代円蔵。遊廓(ゆうかく)の妓夫(ぎふ)太郎、幇間(ほうかん)の経験もあり、著書『てんてん人生』を残した。

8代(1934―2015)本名大山武雄。7代円蔵門下で竹蔵、升蔵(ますぞう)、月の家円鏡を経て1982年(昭和57)8代目襲名。マスコミでも大いに活躍した。

[関山和夫]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「橘家円蔵」の解説

橘家円蔵(7代) たちばなや-えんぞう

1902-1980 大正-昭和時代の落語家。
明治35年3月23日生まれ。大正12年8代桂文楽に入門,桂文雀を名のる。その後遊郭の妓夫太郎(ぎゆうたろう),幇間(ほうかん)となる。昭和16年復帰し,月の家円鏡をへて28年7代を襲名。昭和55年5月11日死去。78歳。神奈川県出身。本名は市原虎之助。著作に「てんてん人生」。
【格言など】自分が泣いてから笑ってもらうのです。さんざん自分が泣かされてからでなければ,人様を笑わすことは出来ない(「てんてん人生」)

橘家円蔵(4代) たちばなや-えんぞう

1864-1922 明治-大正時代の落語家。
元治(げんじ)元年生まれ。人形遣いの見習いから4代三遊亭円生に入門し,三遊亭さん生をへて明治23年4代を襲名,「品川の円蔵」とよばれる。立て板に水の能弁で知られ,「弥次郎」「首提灯」などを得意とした。大正11年2月8日死去。59歳。江戸出身。本名は松本栄吉。

橘家円蔵(8代) たちばなや-えんぞう

1934- 昭和後期-平成時代の落語家。
昭和9年4月3日生まれ。昭和27年7代橘家円蔵に入門して竹蔵を名のる。升蔵をへて40年月の家円鏡で真打となる。57年8代を襲名。ナンセンスギャグを連発してラジオ,テレビで活躍。平成18年落語協会相談役。東京出身。本名は大山武雄。

橘家円蔵(2代) たちばなや-えんぞう

?-? 江戸後期-明治時代の落語家。
初代円蔵(2代三遊亭円生)の門人で,円坊,のち花生を名のり,ついで2代円蔵を襲名した。弘化(こうか)の初めから明治10年代にかけて活躍。

橘家円蔵(初代) たちばなや-えんぞう

三遊亭円生(さんゆうてい-えんしょう)(2代)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「橘家円蔵」の解説

橘家 円蔵(7代目) (たちばなや えんぞう)

生年月日:1902年3月23日
大正時代;昭和時代の落語家
1980年没

橘家 円蔵(8代目) (たちばなや えんぞう)

生年月日:1934年4月3日
昭和時代;平成時代の落語家

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の橘家円蔵の言及

【落語】より


[落語研究会結成]
 1897年に春錦亭柳桜が,1900年に円朝,燕枝が死去した東京落語界は,円朝没後の三遊派を統率していた4代円生をも04年に失い,上方落語界の隆盛ぶりを見るにつけても善後策をたてねばならなかった。初代三遊亭円左(1855‐1911)が,本格の噺の確立をめざして,落語・講談速記界の第一人者今村次郎に相談したことから,4代橘家円喬(1865‐1912),初代三遊亭円右(1860‐1924),初代三遊亭小円朝(1857‐1923),4代橘家円蔵(1864‐1922),3代柳家小さん(1857‐1903)とともに1905年に第1次落語研究会結成の運びとなった。こういう芸道精進から東京落語は黄金時代に入った。…

※「橘家円蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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