日本歴史地名大系 「檜原村」の解説
檜原村
ひのはらむら
多摩川支流
慶長三年(一五九八)の御水帳(武田家文書)では畑・山畠・木原など一千一七六筆、屋敷一八一筆で七七貫六二二文、その内訳は本辻四四貫四八六文・出分二四貫三〇文、屋敷本辻八貫九八三文・同出分一二三文となっており、綿・漆・楮などの記載がある。
檜原村
ひばらむら
戦国時代には檜原峠が伊達氏領(出羽置賜郡)と会津蘆名氏領との境目であり、当地も軍事上の要衝となった。「塔寺長帳」長禄二年(一四五八)八月二四日条には「たてくちへ当所御せい七千余きにて御立候」とみえるが、同年蘆名勢七千余騎が向かった伊達口とは檜原峠のことと思われる。こののち蘆名方として村北西部の
檜原村
ひのはらむら
- 東京都:西多摩郡
- 檜原村
東京都の西端に位置し、多摩川最大の支流
檜原村
ひばるむら
檜原村
ひのはらむら
檜原村
ひばらむら
檜原村
ひばらむら
- 愛知県:常滑市
- 檜原村
南北の丘陵地に挟まれ、村の中央の谷あいを東西に街道が走り、街道の北に集落が発達。街道のやや南を東端の
「寛文覚書」によれば、概高二四四石余、田一五町六反余・畑一町余、家数二一、人数一二三。源敬様御黒印写(徳川林政史蔵)によると、寛永二年(一六二五)に寺尾左馬助の給知であった。
檜原村
ひのきはらむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報