毛髪や髭(ひげ)、あるいは眉毛(まゆげ)をすき整える用具。英語のコームcomb、フランス語のペーニュpeigneにあたり、髪飾りや頭飾りとしても用いられる。
[平野裕子]
櫛は人類最古の化粧用具の一つで、原始時代には手指(手櫛)はもちろん、植物の刺(とげ)、木の枝、魚の骨などがその目的のために使われていたと考えられる。今日的な形状の櫛の起源は古く、最古のものとして、新石器時代の遺跡から骨製、青銅製のそれが発見されている。古代エジプトの遺物には象牙(ぞうげ)、ツゲや黒檀(こくたん)などの堅木でつくった櫛があり、古代ギリシア・ローマでも象牙やツゲでつくった精巧な櫛を使っていた。北欧のゲルマンが使用した青銅、木、骨製の櫛は、柄(え)に多くの細工がみられる。
髪やあご髭が長くなるにつれて、またその仕上げが入念になればなるほど、櫛はますます重要な道具となる。中世に入ると、その素材はさらに豊富になり、装飾性がプラスされ、髪飾りの一種としても使用されるようになる。ルネサンス期には、鉛や銀などの金属製やべっこう製の櫛が登場し、職人によって流行の型を競うまでになった。17世紀になると、婦人の櫛は髪飾りとして欠かせないものとなり、かつらをつけるようになった男性も携行する習わしであった。かつらを中心にした髪形の時代には、金属製の櫛が主流を占めている。しかし18世紀なかばからは、べっこう、象牙、角(つの)、木、骨、金属、セルロイドの櫛が、アメリカを中心に機械生産されるまでになった。
19世紀になると、ギリシアのステファーネ(半月形の頭飾り)をまねた大形の櫛が好まれ始め、1830年代には美しい装飾を施した櫛でシニヨン(後頭部の髷(まげ))を飾るのが流行した。背の高い大形の装飾櫛は19世紀に通ずる特色である。19世紀末から20世紀初頭にかけて、髪の横櫛と後ろ櫛が分化し、ほかにもさまざまな櫛が誕生した。これらはのちに夜会服の頭飾りとして残されてゆく。しかし1920年のボブ(婦人の断髪)と、それに続くシンプルな髪型が流行してくると、髪飾りとしての櫛はしだいに姿を消す。
[平野裕子]
わが国で櫛が発見されるのは縄文土器時代からで、青森県八戸(はちのへ)市の是川(これかわ)遺跡から出土したものが最古とされる。5、6世紀ごろ盛んにつくられた人物埴輪(はにわ)の女子像のなかに、島田髷の素形の額の生え際に櫛を挿している像がみられる。また文献資料としては『古事記』や『日本書紀』の神話伝説のなかに、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉国(よみのくに)で櫛を折る話があり、櫛の歯を折って火をともしたり、櫛を投げ捨てる習俗のあったことがみられる。当時の櫛は現代のような横櫛ではなく、竹ひごを縦に並べて、その中央を熱して折り曲げ、それをつる草を使って束ねたものである。飛鳥(あすか)・奈良時代、仏教文化が盛んになったころの遺跡である経塚からは、竹ひご製とまったく同じ形をしたもので金属にめっきをした櫛が出土している。
縦櫛から横櫛に変わるようになったのは、中国文化の模倣が盛んとなった平安時代に入ってからで、櫛の材質も唐木に加えて牙(きば)類も用いられ、それらは手箱に納めるのが普通であった。櫛で髪をすく姿は国宝『源氏物語絵巻』にみられるが、櫛の発達は、垂髪よりも結髪にさまざまの変化がおこって、髷が結われるようになる江戸時代に入ってからである。もちろん櫛は木を挽(ひ)いてつくるが、この櫛挽きの絵は室町時代の『七十一番職人尽』にみられる。櫛が工芸化してくるのは江戸中期からである。その材質も象牙(ぞうげ)、鹿角(ろっかく)、鶴骨(かくこつ)、べっこう、唐木、ガラスのほか金銀銅、真鍮(しんちゅう)などの金属であり、あるいは蒔絵(まきえ)、象眼(ぞうがん)、真珠、ガラス玉、めのう、サンゴ玉を棟にあしらったものもできた。実用にはツゲの木櫛が用いられ、整調用に毛筋立て、鬢(びん)出し、鬢櫛、三つ櫛、すき櫛があり、その形も棟の変化により政子(まさこ)形、三日月、半月、角(すみ)切り、利久(りきゅう)櫛などさまざまである。その挿し方も、遊里での二枚櫛に始まって、職人の女房にはあだな横櫛、あるいは櫛巻きというもっとも簡単な結髪法さえ行われた。櫛を挿した女の美しさがいわれたのは江戸末期までで、明治から昭和にかけて束髪が行われるようになって、飾りとしての櫛はしだいに日本髪とともに衰退していくが、子供の間では、カチューシャといわれるゴムの輪櫛が大正まで流行した。断髪とともに、櫛は挿すものでなく、身だしなみとして利用されるにすぎなくなった。
[遠藤 武]
現在でも、ツゲ製の横櫛、すき櫛、毛筋立てなどが用いられるが、普通使われているのは洋風のコーム類が多い。材質もプラスチックや金属、スイギュウの角(つの)などが使われている。
(1)セット・コーム 髪をとかしたり、セットしたりするために用いる櫛で、横櫛と同じ。櫛の歯の間隔が全面同じものと、半分だけを細かくしたものとがある。
(2)テール・コーム その名のとおり尾(テール)のついたもの。テールで分け目をつけたり、毛束を取り分けたりする。
(3)荒刃 櫛の歯の粗いものをいう。もつれた毛や長い毛束などを、毛先から徐々にほぐすようにとかしていくと、毛髪を傷つけることなく、とくことができる。
(4)その他 逆毛を立てるためのテール・コーム、毛染め用に使われるカラー・コーム、櫛にかみそりの刃のついているレザー・コームなどもある。また、髪に留める飾り櫛として、櫛の歯の上部や柄(え)などに彫刻したものや、宝石、金属、造花、羽毛、リボン、レースなどで飾ったものなど、多種多様である。
[横田富佐子]
櫛は髪を整える道具であると同時に髪飾りの一種である。むしろ元来は飾りの要素が多く、神祭りや呪術(じゅじゅつ)的な儀礼の際に、特定の女性が身に着けるものであった。つまり一種の神聖性を標示するものであり、神信仰の場面では、神の占めたまうものを他と区別するためのしるしでもあった。素戔嗚尊(すさのおのみこと)が出雲(いずも)で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治する話では、人身御供(ひとみごくう)に捧(ささ)げられた櫛名田比売(くしなだひめ)を救うことになっている。櫛名田は奇稲田(くしいなだ)の意で、穀霊に奉仕する巫女(ふじょ)的な性格をもつ女性であったろう。神事・祭礼のとき、神霊がのりうつっているとされる尸童(よりまし)は、頭に櫛をつける例が多いし、櫛を挿すことが既婚を示すという習俗も、主のあることを表現している。櫛を投げることは夫婦縁切りの呪(まじな)いとされ、厄年の人が櫛を道に落とす習俗もある。さし別れや、クシ(苦死)の語呂(ごろ)合わせで普及した俗信であるが、占有を断ち、また災厄を櫛に託して除去しようとするものである。
[井之口章次]
『喜田川守貞著『類聚近世風俗志』(1934・更生閣)』▽『『鵜真似草子・貴志孫太夫稿本』(安政年間・国立国会図書館本)』
髪の毛を整えたり,垢やほこりをとる用具。髪飾としても用いられる。古代の櫛は,縦長で歯の部分がとくに長く(竪櫛(たてぐし)),現在解き櫛として用いる横櫛(横に長い櫛)のように髪の毛をすき整えるには機能的ではない。おそらくヘアピンのように束ねた髷(まげ)を止めるための挿し櫛であったと思われる。種類は木製編歯(結歯)で漆塗りのもの,骨製挽歯(刻歯)のもの,竹製編歯の漆塗りのものなどがある。《古事記》上巻〈黄泉(よみ)の国〉の段には湯津津間櫛(ゆつつまぐし)と記されており,形状は定かではないが文中より察するとやはり竪櫛であろう。奈良時代には,大陸より横櫛形の挽き櫛がもたらされた。《万葉集》に詠まれた〈黄楊(つげ)の小櫛(おぐし)〉はツゲ製の横櫛のことを指している。また,平城宮址からはイスノキ製の櫛が発見されている。正倉院には象牙製の櫛が伝わるが,これは唐からの伝来品であろう。また同じ中国からの舶来品と思われるものに,道明寺天満宮蔵の菅原道真遺愛品と伝えられる象牙製の櫛がある。平安・鎌倉・室町時代では,貴族や武家の調度品の中に化粧道具一式として櫛の遺品を見ることができ,静岡県三島神社蔵(鎌倉時代),愛知県熱田神宮蔵のものなどが知られる。また一方,経塚からも発見されており,和歌山県高尾山経塚(平安時代)からの出土品などが代表的である。近世になると,実用的な櫛以外に飾り櫛がつくられるようになった。女性の髪形が発達し,多様化するに伴って,櫛も加飾され,材質,形などに変化が見られるようになったのである。形状は櫛の基本形である爪形横櫛から,円形の天丸形,棟幅が広く角形で軟らかい曲線をおびた山高形,利休形,細く薄形できゃしゃな糸びん形,寛政形などがあり,装飾法には漆,蒔絵,螺鈿(らでん),象嵌(ぞうがん),透し彫など,また材質は木,べっこう,金属,象牙,ガラスなどが用いられている。
→髪飾
執筆者:橋本 澄子
櫛は左右の幅と上下の長さとの比較で竪櫛と横櫛に分かれ,ともに片歯と両歯がある。また製作法では板の一方に歯を刻みだした刻歯式と竹ひごなどを束ねた結歯式とに分かれる。福井県鳥浜貝塚出土の漆塗刻歯式竪櫛は,基部の両端に角状突起を表し,実用性と装飾性をかねそなえ,東アジアで最も古い縄文時代前期に属する。縄文時代の骨製竪櫛も同系統のものだが,歯が太く4~5本にとどまり,基部の装飾に重点がおかれ,飾り櫛と見られる。縄文時代後・晩期の遺跡から竹ひごを束ねた結歯式の竪櫛が発見されるが,これも基部を赤漆で固め各種の文様をほどこす。両者は弥生・古墳時代にも存続する。古墳時代には竹ひごを中央で折り曲げ,両端を歯とし半円形の基部を漆で固めた竪櫛が盛行する。実用に耐えない小型品を棺に散布する場合もあり,一種の魔除け的な性格をももっている。7世紀以降,竹製竪櫛は影をひそめ,ツゲやイスノキの板に薄歯を鋸で挽きだした実用本位の櫛が出現し,近世までひきつがれる。
中国では新石器時代後期の大汶口文化の刻歯式竪櫛が古い例である。象牙に透し彫や宝石を象嵌した飾り櫛である。殷代玉器にも刻歯竪櫛をかたどり,基部に装飾を加えたものがある。戦国時代から漢代には木やべっこう製で,基部が半円形を呈する実用的な刻歯竪櫛が行われる。南北朝時代以降,横櫛が出現し隋・唐では木のほか骨・玉・金属製品があり,ともに薄い歯を挽きだす。新石器・青銅器時代の朝鮮の遺例は明らかでないが,5,6世紀の新羅古墳には確実に木製刻歯式の横櫛が出現している。一方,日本における古墳時代の竹製竪櫛や7世紀からの木製横櫛は,中国,朝鮮の影響をうけて成立したものである。
執筆者:町田 章 ヨーロッパでは,すでに中石器時代から出現したとする説もあるが,確実なのは新石器時代になってからである。当初からさまざまな機能をもったらしい。髪すきや頭飾が第一義だが,ほかにも羊毛をすいたり毛ばだたせる,織機の一部として横糸の目をつめる(筬(おさ)),土器の表面に文様をつけるなどの用途に供された。木ないし骨製で,横櫛,竪櫛がともにあった。スイスの新石器時代の櫛は細い串状のものを束ねて逆U字形に曲げて頭部を緊縛した竪櫛である。青銅器時代になって金属製品も登場した。前4世紀のスキタイの王墓であるソローハ・クルガンから出土した金製の櫛は,断面四角形の長い歯を臥身獅子像のフリーズでつなぎ,頭部に3人の戦士の戦闘場面を彫刻したみごとな作品である。エジプト先王朝時代には象牙製品が愛好された。頭部が長く動物などのシルエットをかたどってあり,縦長で歯は粗い。古王国時代ころには飾りがなくなり,やや横長なものに変化した。この形は地中海地域に広く分布している。
執筆者:山本 忠尚
櫛は串に通じ,神霊の依代(よりしろ)とも考えられた。とくに女性の霊の依る呪物として,上棟式や船霊(ふなだま)にも使われ,《古事記》には素戔嗚(すさのお)尊が奇稲田(くしなだ)姫の姿を櫛に変えさせて,八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したとある。平安時代には天皇が伊勢の斎宮(いつきのみや)になる皇女に別れの櫛を与える風習があったが,民間では櫛を投げて夫婦の縁切りのまじないとしている。
櫛は依代とされる一方で,〈ものもらい〉や〈ひきつけ〉をおこした時になでたり,疱瘡除けに辻に櫛を捨てるなど悪しきものを祓うのにも使われた。その他,櫛は辻占や,神隠しにあった子どもを捜すのにも使われた。また東北地方には女が夜外出する時に,櫛をくわえて行くと魔除けになるという伝承もあった。富山の櫛田神社では,昔大蛇が田植女をのんだ際に女の櫛がのどにかかって死んだので,その櫛を神体として祀っているという。なお,櫛の歯が急に欠けるのは凶事の前兆とされ,また欠け櫛をさすと狐に化かされるともいう。
執筆者:飯島 吉晴
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…《万葉集》巻十一に〈玉桙(たまぼこ)のみちゆき占にうらなへば〉とあり,起源は古代にさかのぼる。辻占は,後に道祖神や塞の神の託宣とされるようになり,江戸時代の《嬉遊笑覧》には,衢(ちまた)に出て黄楊(つげ)の櫛を持って,道祖神を念じつつ,見えて来た人の言葉で吉凶を占うとあり,黄楊と〈告げ〉が結び付き,櫛という呪物も加えられた。夜,花柳界などを中心に占紙を売り歩いた辻占売はこの流れを引く者で,〈淡路島通う千鳥の恋の辻占〉などと呼び声をあげて縁起の良いものだけを売った。…
※「櫛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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