初見は「日本書紀」武烈天皇即位前紀で、「海柘榴市の巷」とある。敏達天皇一四年三月条に「海柘榴市の亭」、用明天皇元年五月条に「海柘榴市宮」とあり、推古天皇一六年八月三日条にも「海石榴市の衢」と記している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
日本古代の市の一つ。《万葉集》に〈海石榴市の八十衢(やそのちまた)〉とあり,《日本書紀》武烈即位前紀に〈海柘榴市巷(ちまた)〉,同推古16年(608)条に難波より大和川を遡上してきた隋使裴世清(はいせいせい)一行を〈海石榴市街(ちまた)〉に迎えたとあるごとく,水陸交通の要衝に立地した。比定地としては,横大路と山辺の道の交点付近の桜井市金屋の集落付近,横大路と上ッ道の交点近くの同市三輪字上市~金屋字上市口付近が考えられるが,前者から後者への変遷も想定しうる。この市には駅館的施設があったらしく(敏達14年紀の亭(うまや),元興寺縁起の長屋),軽市とともに飛鳥の宮への大路の起点的意味をもったと考えられる。また敏達皇后炊屋姫(推古天皇)の宮もあった(用明元年紀)。市の名が示すようにツバキが植えられ,人々も多く集まり歌垣も行われたらしい。平安期には〈椿市〉と表記され,平安中期には,長谷寺参詣のために灯明などを買い整えるところとして栄えたことが,《枕草子》や《小右記》にみえる。
執筆者:栄原 永遠男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…しかし,20世紀になると,新しい店舗が主要街路に沿ってつくられ,その比重が低下した。ギルド商人職人都市広場【坂本 勉】
【日本】
[古代]
《日本書紀》《万葉集》などには,8世紀以前の市として〈餌香市(えがのいち)〉〈阿斗桑市(あとくわのいち)〉〈海柘榴市(つばいち)〉〈軽市(かるのいち)〉などがみえる。このうち〈海柘榴市〉は上ッ道,山辺道と横大路の交点付近に,〈軽市〉は下ッ道と山田~雷~丈六の道との交点付近など主要交通路の結節点に位置し,飛鳥の倭京の北東と南西にあって,これと密接な関係にあったらしい。…
…初めは春の国見と相関したともいうが,ともかく豊作の予祝や感謝と結んだ歓楽であった。場所は,山の高み,野,水辺,また言霊(ことだま)の行きあう衢(ちまた)の市(いち)の広場など,とくに常陸筑波山・童子女(うない)松原(《常陸国風土記》),肥前杵島(きしま)岳(《肥前国風土記》),大和海柘(石)榴市(つばいち)(《万葉集》巻十二。現,桜井市)・軽(かる)(軽市(かるのいち)。…
…市杵島姫はふつう市神としてまつられる。後者の場合,その立地からみて三輪市の起源は古代にさかのぼり,海柘榴市(つばいち)とは別の市ということになる。前者の場合,大神神社の門前市として成立したと考えられる。…
※「海柘榴市」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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