生没年不詳。記紀によれば第25代の天皇。在位は5世紀末から6世紀初めころ。小泊瀬稚鷦鷯(おはつせわかささぎ)天皇ともいう。仁賢(にんけん)天皇の皇子。母は春日大娘(かすがのおおいらつめ)。泊瀬列城(はつせなみき)宮(奈良県桜井市初瀬)に都した。春日娘子(いらつめ)を皇后としたが太子がなかったので、御子代(みこしろ)として小長谷部(おはせべ)を定めた。『日本書紀』には、この天皇はもろもろの悪いことをして、一つも善いことをしなかったので人民は皆恐れたとして、その凶暴ぶりを記している。はらんだ女の腹を割いて胎児を見たり、人の生爪(なまづめ)を抜いて山いもを掘らせた。人の頭髪を抜いて樹(き)に登らせ、樹を切り倒して殺したり、弓で射落とした。人を池の樋(とい)に入れて流し、矛(ほこ)をもって刺し殺すのを楽しみとしたという。こうした行為の記述は、武烈天皇を国を滅ぼした暴君とするため、百済(くだら)の末多(まつた)王や中国の暴君の桀(けつ)王、紂(ちゅう)王の記事から造作したという説があり、王朝交替論の有力な根拠となっている。治世8年で没し、傍丘磐杯丘(かたおかのいわつきのおか)陵(奈良県香芝(かしば)市)に葬る。
[志田諄一]
第25代に数えられる天皇。和風諡号を小長谷若雀(おはつせわかさざき)命という。仁賢天皇の皇子。この天皇について《古事記》は皇子がいなかったことのほか特記するところがないが,《日本書紀》は女性を裸にして馬と交合させたなどの暴虐な事蹟を多く記している。それらは中国の史書にのべられた夏(か)の桀王(けつおう),殷(いん)の紂王(ちゆうおう)の悪王伝説を粉本としたものと思われる。武烈天皇は系譜上,応神(15代),仁徳(16代)天皇の血をひく最後の天皇とされ,次代は別系の継体天皇が位についた。そうした系譜上の交替のひとつの合理化として,前王朝の最後の天皇を悪玉に仕立てあげたのであろう。
執筆者:阪下 圭八
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記紀系譜上の第25代天皇。5世紀末頃の在位という。小泊瀬稚鷦鷯(おはつせのわかさざき)天皇と称する。仁賢天皇の皇子。母は雄略天皇の女春日大娘(かすがのおおいらつめ)皇女。「日本書紀」所伝では仁賢死後,平群真鳥臣(へぐりのまとりのおみ)が武烈天皇のためと偽って宮を造り,また物部麁鹿火大連(もののべのあらかひのおおむらじ)の女影媛(かげひめ)を得ようとしたところ,真鳥の息子鮪(しび)に姦されたことを知り,大伴金村連(おおとものかなむらのむらじ)に兵をおこさせ,この親子を討った。泊瀬列城(はつせのなみき)に壇場(たかみくら)を設けて即位し,ここを宮にしたという。春日娘子(かすがのいらつめ)を皇后としたが子ができず,皇位継承者が皆無となった。妊婦の腹を裂いて胎児をみたり,人をいたずらに殺すなど,暴虐な性格の持ち主として描かれる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
(荒木敏夫)
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