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武烈天皇 ぶれつてんのう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

武烈天皇
ぶれつてんのう

第 25代に数えられる天皇。「記紀」によれば,在位は 499~506年。名,オハツセワカサザキノミコト。仁賢天皇皇子。母は皇后春日大娘 (かすがのおおいらつめ) 皇女。仁賢天皇の没後,専権をふるっていた大臣平群真鳥 (へぐりのまとり) ,その子鮪 (しび) を誅して即位,大和の泊瀬列城 (はつせのみなき) 宮に都した。『日本書紀』には天皇の凶暴を多く記しているが,これは朝鮮ないし中国の記事などの模倣または混入とみられる。陵墓は奈良県香芝市の傍丘磐杯丘 (かたおかのいわつきのおか) 北陵。

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デジタル大辞泉の解説

ぶれつ‐てんのう〔‐テンワウ〕【武烈天皇】

記紀で、第25代の天皇。仁賢天皇の皇子。名は、小泊瀬稚鷦鷯(おはつせわかさざき)。日本書紀では凶暴な天皇として描かれている。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

武烈天皇 ぶれつてんのう

記・紀系譜による第25代天皇。在位は5世紀末-6世紀初め。
父は仁賢天皇。母は春日大娘皇后(かすがのおおいらつめのきさき)。「日本書紀」によると,大伴金村のはたらきで即位し,都は泊瀬(はつせ)の列城(なみきの)宮。妊婦の腹をさいたり,奇怪な遊びをするなど暴虐をはたらいたという。子はなかった。武烈天皇8年12月8日死去。57歳。墓所は傍丘磐坏丘北陵(かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ)(奈良県香芝市)。別名は小泊瀬稚鷦鷯天皇(おはつせのわかさざきのすめらみこと)。

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朝日日本歴史人物事典の解説

武烈天皇

没年:武烈8.12.8(507.1.7)
生年:生年不詳
5世紀末から6世紀初めの天皇。小泊瀬稚鷦鷯尊。仁賢天皇と春日大娘(雄略天皇皇女)の子。仁賢の死後に即位し,泊瀬列城(桜井市初瀬の周辺)の地に宮を構えたという。『日本書紀』は継嗣がなく,そのために御名代として小泊瀬舎人(『古事記』では御子代として小長谷部)を定めたとし,また,その暴虐ぶりを記す。次の天皇,継体天皇の新しい王統の成立を説くために,中国古典を参考にして創作された悪王とする非実在説が有力であるが,大鷦鷯(仁徳)と対になるその名や御名代設置の記事を持つことから武烈の実在を説く説もある。葬地は香芝市の傍丘磐坏丘陵と伝える。<参考文献>津田左右吉『日本古典の研究』下,井上光貞『日本国家の起源』,和田萃『体系日本の歴史』2

(荒木敏夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ぶれつてんのう【武烈天皇】

第25代に数えられる天皇。和風諡号を小長谷若雀(おはつせわかさざき)命という。仁賢天皇の皇子。この天皇について《古事記》は皇子がいなかったことのほか特記するところがないが,《日本書紀》は女性を裸にして馬と交合させたなどの暴虐な事蹟を多く記している。それらは中国の史書にのべられた夏(か)の桀王(けつおう),殷(いん)の紂王(ちゆうおう)の悪王伝説を粉本としたものと思われる。武烈天皇は系譜上,応神(15代),仁徳(16代)天皇の血をひく最後の天皇とされ,次代は別系の継体天皇が位についた。

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大辞林 第三版の解説

ぶれつてんのう【武烈天皇】

記紀で第二五代天皇、小泊瀬稚鷦鷯尊おはつせわかさざきのみことの漢風諡号しごう。仁賢天皇第一皇子。都は大和泊瀬列城はつせなみき宮。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

武烈天皇
ぶれつてんのう

生没年不詳。記紀によれば第25代の天皇。在位は5世紀末から6世紀初めころ。小泊瀬稚鷦鷯(おはつせわかささぎ)天皇ともいう。仁賢(にんけん)天皇の皇子。母は春日大娘(かすがのおおいらつめ)。泊瀬列城(はつせなみき)宮(奈良県桜井市初瀬)に都した。春日娘子(いらつめ)を皇后としたが太子がなかったので、御子代(みこしろ)として小長谷部(おはせべ)を定めた。『日本書紀』には、この天皇はもろもろの悪いことをして、一つも善いことをしなかったので人民は皆恐れたとして、その凶暴ぶりを記している。はらんだ女の腹を割いて胎児を見たり、人の生爪(なまづめ)を抜いて山いもを掘らせた。人の頭髪を抜いて樹(き)に登らせ、樹を切り倒して殺したり、弓で射落とした。人を池の樋(とい)に入れて流し、矛(ほこ)をもって刺し殺すのを楽しみとしたという。こうした行為の記述は、武烈天皇を国を滅ぼした暴君とするため、百済(くだら)の末多(まつた)王や中国の暴君の桀(けつ)王、紂(ちゅう)王の記事から造作したという説があり、王朝交替論の有力な根拠となっている。治世8年で没し、傍丘磐杯丘(かたおかのいわつきのおか)陵(奈良県香芝(かしば)市)に葬る。[志田諄一]

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