改訂新版 世界大百科事典 「民窯」の意味・わかりやすい解説
民窯 (みんよう)
民間人が営利を目的に築いた窯で,庶民の需要をみたしたものをいい,官窯に対する呼称である。しかし〈民窯〉の名が実際に使われるようになったのは,昭和初年,柳宗悦らが民芸運動の中で用いて以来で,柳らによれば,用に即し,かつ大量生産が可能な素朴な造形と低廉な価格の,日常雑器を焼造する窯に限定された。したがって茶陶や美術工芸品を焼く窯は含まず,今日〈民窯〉と呼ぶ場合,おおむねこうした民芸の窯をいうのが一般的である。
官窯に対して民窯というとき,中国では宋代に青磁を生産した汝官窯や郊壇官窯に対する,磁州窯系の窯がこれに当たる。また明代の法花,古赤絵,金襴手(きんらんで),芙蓉手,古染付,祥瑞(しよんずい),南京赤絵などを焼成したのも民窯である。朝鮮では李朝中期に,広州(金沙里,分院里)に官窯が置かれたが,朝鮮半島には広く民窯があり,三島手,白磁,染付などが大量に生産された。日本でも三彩や緑釉,白瓷など,また古瀬戸を焼いた窯は朝廷,大寺院などの管理,保護をうけ,官窯的な性格を帯びたが,近世になって藩が殖産興業の一環として奨励,援助した藩窯が現れる。しかし藩窯のなかにも,運営が思わしくゆかず藩が手放して民窯に移行したものも多い。すなわち陶磁器を生産してきた窯の大部分が民窯であり,また1871年の廃藩置県後には,藩窯も存在しなくなったわけである。
こうした中で茶陶や高級美術陶器を焼くものを除き,柳らのいう〈民窯〉の概念に当たるものをあげると,以下の諸窯がある。日本の二大窯業地と呼ばれる佐賀県有田,愛知県瀬戸では,鍋島藩窯を除く有田焼,近世以降の瀬戸焼がともにすべて民窯といえる。そのほか丹波焼,信楽焼,常滑焼,越前焼をはじめ,壺屋焼(沖縄),苗代川焼(鹿児島),小石原焼(福岡),小鹿田(おんだ)焼(大分),砥部(とべ)焼(愛媛),布志名(ふじな)焼(島根),牛ノ戸焼(鳥取),益子焼(栃木),笠間焼(茨城),会津本郷焼(福島),平清水焼(山形)などが民窯として現在も煙を上げている。
執筆者:安住 邦男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報