中国の宋・元代の代表的な民窯。狭義の磁州窯は河北省の観台鎮,彭城鎮周辺の古窯をさすが,河北,河南,山西,山東の華北一帯で広く焼かれている。ざっくりとした陶胎に厚く白化粧を施した上に搔落しや鉄絵,三彩で文様を描いており,陶枕にとりわけ魅力あるものが多い。唐時代,河南省の鞏県(きようけん)窯,宝豊窯などで三彩,白磁,黒釉磁が生産されており,この伝統が磁州窯に受けつがれ北宋,金,元,明,清,そして今日まで日常の雑器を中心に生産を行っている。北宋期の磁州窯は白釉,白釉刻花,白釉黒搔落しなど彫りの深い作品が多く,地文に竹管文で埋めた魚子(ななこ)文がみられるのもこの時期である。北宋後期から金代になると唐三彩の流れを受けついだ宋三彩,白釉地に赤や緑で絵付を行った宋赤絵などが生産されている。金代には白釉地に鉄彩を施したものや,鉄絵で花鳥や物語を描いたもの,全面に黒釉をかけた河南天目といわれるものを生産している。磁州窯系の焼物は遼の領域内の乾瓦窯や林東窯でもつくられ,華南の江西省吉州窯,広東窯にも影響を与え,各地で白釉鉄絵の焼物がつくられた。金代の白釉鉄絵の普及はやがて元時代の青花を生みだす基盤になったともいわれている。
執筆者:弓場 紀知
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中国の代表的な陶窯で、広狭両義に大別される。狭義には河北(かほく/ホーペイ)省磁県一帯に広がる古窯址(し)をさし、邯鄲(かんたん/ハンタン)市郊外の観台鎮(かんだいちん)、東艾口(とうがいこう)村に北宋(ほくそう)(960~1127)時代のすばらしい窯址が発見されており、磁県彭城鎮(ほうじょうちん)窯は現在でも磁州窯の伝統を守っている。製品の特色は、灰白色、黄白色の陶胎に純白の化粧土をかけて透明釉(ゆう)を施す白釉陶にあり、観台鎮窯では白地黒掻(か)き落し法で文様を表す典型的な白釉陶が焼造されており、ほかに白釉緑彩、白地線彫り、白掻き落し白地鉄絵を中心とし、黒褐釉陶や緑釉陶、翡翠(ひすい)釉陶を焼き、華北の民間雑窯の象徴的存在となっている。
一方、広義には、こうした華北陶を焼造した窯の総称である。すなわち河南(かなん/ホーナン)省を中心に、山西(さんせい/シャンシー)、陝西(せんせい/シャンシー)、安徽(あんき/アンホイ)、山東(さんとう/シャントン)、河北省と広大な地域に窯は分布しており、活動時期は晩唐(9世紀)に始まり、北宋に最盛期をつくった。窯によって起伏消長は異なるが、山東省の淄博(しはく)窯、博山窯、山西省の平定窯、河北省の磁州窯などは現代まで存続する代表的な窯である。
[矢部良明]
『長谷部楽爾著『陶磁大系39 磁州窯』(1974・平凡社)』
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
… 華北諸窯でも宋代には盛んに陶磁器生産を行っている。なかでも河北省の定窯,磁州窯,陝西省の耀州窯,河南省の鈞窯が名高い。華北の宋代のこれらの主要な窯は唐代に始まるといわれるが,本格的な陶磁器の焼造は北宋以降である。…
※「磁州窯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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