水売(読み)みずうり

精選版 日本国語大辞典 「水売」の意味・読み・例文・類語

みず‐うり みづ‥【水売】

[1] 〘名〙 近世、江戸で夏の頃涼しげに飾った屋台をになって「ひやっこい、ひやっこい」と呼び、白砂糖寒晒粉団子を入れた冷水を売り歩いたもの。ひやみずうり。《季・夏》
※俳諧・野の錦(1767)「水売の声こぼし行日の盛」
[2] 歌舞伎所作事。常磐津。二世桜田治助作詞。三世岸沢古式部作曲。初世藤間勘十郎振付。文化一〇年(一八一三)江戸森田座初演。七世市川団十郎の八変化舞踊閏茲姿八景(またここにすがたのはっけい)」の一つ。

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改訂新版 世界大百科事典 「水売」の意味・わかりやすい解説

水売 (みずうり)

水を入れた桶をてんびん棒などで担いだり荷車に積んで飲料用の水を売り歩く商売をいう。

日本では水屋ともいった。水道が普及する以前は,水はもっぱら井戸に頼るしかなかったが,水質の悪い所や井戸に遠い家では水を1荷いくらで水売から買った。明治のころ,東京の下町あたりではだいたい1荷1銭くらいで朝夕2回定期的に買う家が多かったようである。井戸の便のよい家でも,涸水時には水が濁るので水こし用の甕を台所において使ったし,またふだんでも洗顔後の水をまき水に使うなど水をたいせつに扱っていた。また,江戸時代には,本所・深川地区では井戸水の塩分が多く飲用に適さないので,飲用水を運水船で運搬し1荷4文で売る商売があった。これは呉服橋の側の竜の口に江戸城を流れてくる神田・玉川両上水の余った水を外濠に落としている水があって,この水を売ったのである。また本所・深川以外の上水道の普及している地域でも,上水の最終地点に1間四方の水溜が設置してあり,近くに井戸のない家では,この水溜場まで飲料水をくみに行かねばならなかったが,この運搬を商売にした水売もあった。

 こうした飲料用の水を1荷いくらで売る水売とは別に,夏季に〈ひゃっこいひゃっこい〉などと口上を述べながら,砂糖入りと称する冷水を1杯4文くらいで売る冷水(ひやみず)売という商売もあった。容器は冷味のあるスズシンチュウなど金属製の水呑を用いたらしいが,〈水売の砂糖なんだか知れぬなり〉と皮肉られたように砂糖とは別のもので甘味をつけていたようであり,またいくら木陰で売ってもなまぬるい水になってしまったものが多かったようである。
執筆者:

年間雨量が平均500mm程度しかなく,水の便や水質の悪い華北地方では,旧中国時代,人々は飲料水や用水を井戸に求め,一輪車に桶を載せて水を運ぶ商人から買うことが多かった。飲料水は必ず煮沸したものを用いた。この水売を〈倒水的〉と呼ぶが,北京の倒水的は,ほとんど山東省の出身者によって占められていたという。だが,水道の普及した都会では,現在,倒水的の姿を見ることはなくなっている。
執筆者:

水道のまだなかった時代,乾燥地域を主とする中東・イスラム社会でも水を売り歩く商売があった。サッカーsaqqā’(アラビア語)と呼ばれ,大きな樽を荷車に載せ,馬やロバに引かせて歩き,注文があると,ヤギの皮で作ったキルバという皮袋に,樽に取り付けた蛇口から水を注いで届ける。呼声としては〈ヤー・アワド・アッラー〉というのがあるが,アワド`awaḍとは〈埋合せ〉の意で〈アッラーの神から水代はちょうだいするから,いくらでもいい安くしておくよ〉といったほどの意味となろう。水売はお得意の家に水を運ぶたびに戸口に線を1本ずつ引いて勘定したり,事前に20個ほどの青いガラス玉を渡しておいて,1キルバ(皮袋)ごとにその玉を受け取って清算するというふうだったという。水道の普及とともに水売の姿は消えたが,預言者の生誕祭(マウリド)のときなど人出のあるときには,昔ながらにキルバを肩にかけて水を売り歩く姿が今日でも見られる。〈紺屋の白袴〉をアラブでは〈水売に嫁いでのどを渇らす〉という。
執筆者:

ヨーロッパに中世都市が成立すると,多くの呼売人が路上で商売していることが記録されるようになるが,そのなかでも水売の姿は,ひときわ目につく存在となっていた。これは都市の人口増大しはじめて,河川や泉から離れた所にも人が住むようになり,人々が飲料水に不便をきたす状態が生じたことを背景として生み出された商売であった。とくに大きな都市では中世から19世紀まで,給水施設は人口の増大に対応しきれず,きわめて不完全なものであったから,水売は市民の生活にとって不可欠のものであったのである。

 例えばパリでは,水売は13世紀から記録にその姿を現すが,その風姿は19世紀までほとんど変わらない。ブナ材の桶を二つ,肩にかけた革帯で担ぎ,体の前後にある桶と桶の間に枠木を渡して,桶が足にあたるのを防ぐ。桶の水面には水がとびはねないように丸い板が浮かせてある。そして〈à l'eau!〉と独特の売声を街中にひびかせる。とくにパリは給水施設が不十分で,水売が給水泉を独占して市民が水をくめず,警察が水売を裁判にかけるという事態も存在した。しかし水売は建物の5階,6階にまで水を運んだので,市民にはなくてはならないものだった。18世紀には,馬車や荷車に樽を積んだ水売も出現した。

 近代になると,衛生上の問題や交通規制のうえから水売に対する警察の監視がきびしくなった。馬車や荷車の水売の樽には番号をふられた鑑札が付けられることになり,貧民が気軽にこの商売をするわけにはいかなくなる。それでも水道の普及しはじめたロンドンにおいても,水道会社に高い料金を払うより,1日1ペニーで水売から水を買う市民も多かった。この場合,水売は,〈ぐうたらな水道とはわけのちがう,新鮮で楽しい水!〉という売声を響かせたという。
執筆者:

水売 (みずうり)

歌舞伎舞踊の曲名。常磐津。1813年(文化10)6月江戸森田座初演。作詞2世桜田治助,作曲3世岸沢古式部(2世岸沢式佐)。振付初世藤間勘十郎。7世市川団十郎の近江八景八変化所作事《茲姿八景(またここにすがたのはつけい)》の一。江戸時代の夏,日照りが続いて水が乏しくなると,特定の井戸と契約している水屋が,1荷100文ぐらいで売りさばいたり,あるいは砂糖を入れた冷水や,白玉やところてん(心太)も売る風俗を舞踊化したもの。胸のすく水際だった江戸前の舞踊として知られる。
執筆者:

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世界大百科事典(旧版)内の水売の言及

【飲料水】より

…しかし,地域差があるのは当然で,清冽(せいれつ)な湧水や伏流水に富む京都は昔から水のよいことで知られたが,大坂や江戸,とくに海に近い低地帯では井戸水に金気や塩気を含むことも多かった。大坂ではそうした井戸水はもっぱら洗水とし,飲水は水売から清澄な川水を買って使う家が少なくなかった。また,いわゆる江戸っ子が〈水道の水で産湯を使った〉などと自慢したのは,良質の井戸水を知らなかったためともいえるだろう。…

【上水道】より

…中世の集落は一般に小規模であったので,飲料水は市内の湧泉や井戸で賄われていたが,城壁内に高密度居住した都市では,水不足と屎尿(しによう)の始末は深刻な衛生問題となっていた。13世紀に入ると,パリ,次いでロンドンに郊外の丘陵地の湧泉から市壁内まで導水するごく小規模な水道がつくられるようになったが,大半の市民は水売の運んできた河水を買うしかなかった。悪い水が病気をもたらすことは紀元前から知られており,古代エジプト人は日光気曝(きばく),沈殿,布や砂でのろ過,煮沸によって水が浄化されることをすでに知っていた。…

【白玉粉】より

…水でこねて一口大にまるめ,熱湯でゆでたのが白玉だんご(略して白玉とも)で,汁粉に入れるなどして食べる。江戸の町で夏になると〈ひゃっこい,ひゃっこい〉と呼んで歩いた水売りは,冷たい水にこのだんごと砂糖を入れたものであった。求肥(ぎゆうひ)をはじめとして和菓子に多用されるが,《精進献立集》(1824)には,おろしワサビ入りの白玉だんごを吸物に使うことが見えている。…

※「水売」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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