高声で呼ばわりながら商品を売り歩くこと。
ヨーロッパの主要都市では,中世から路上で独特の売声を響かせて,少量の品物を肩から掛け,あるいは小さな荷車にのせて売り歩く細民が,庶民の生活に欠かせない存在になっていた。しだいにその姿が路上から消え始めるのは19世紀後半になってである。
庶民の日常生活に必要なあらゆるものが売られたが,とくに野菜,果物,魚,バター,チーズなどの食料品に酢や香辛料,次いで日用雑貨の商売が盛んであった。それぞれの商売によって異なった特有の音声とリズムの売声があり,その風姿とともに版画に描かれて残されている場合が多く,詩人や年代記作者によってもしばしば取り上げられた。こうした呼売のあり方はヨーロッパの主要都市の間で基本的に異なるものではない。
近代以前の商人ギルドは路上の呼売を白眼視し,それを禁止したり,商売の日時を制限したりしたが,この細民の職業は庶民の日常生活と密着していたので,禁圧することは不可能だった。
19世紀の半ばころになると,大商店の文字による広告と大量販売に呼売の声はしだいに押されるようになる。乗合馬車など交通の発達も呼売たちにとって路上を住みにくいものにしていく。この頃パリでは,呼売が売声を立てなくなったといわれ始める。だがロンドンの場合のように,それがまだ大きな勢力を保っており,3万人から4万人の人びとがこの仕事をやっていたといわれる都市もあった。
→水売
執筆者:喜安 朗
中国の呼売は歴史が古く,種類もまた多い。商品を背負うもの,天秤で担うもの,手押車にのせるものがあり,いろいろな楽器を用い,あるいは商品の名を呼びながら町々を売り歩いた。北京などの例をあげると,造花売(売細花)は〈売綾絹花〉と呼んで歩き,おもちゃ売(売要貨)は糖鑼というドラムをたたき,布売(売布的)はでんでん太鼓を揺らしながら〈湯布冷布〉と呼んで端ぎれを売って歩くといったぐあいであった。また,飴屋はどらを鳴らし,油屋は木魚に似た梆子(ほうし)を打った。このほか,〈売線的〉は糸,針,小間物を売り,〈捏江米人児〉は小箱と長架をかついで,しんこ細工を売る,子ども相手のふり売であり,〈炮羊肚〉は羊の贓物を食べさせる露天商であり,起茶湯(茶湯売),売混沌(ワンタン売),売花生(ラッカセイ売)などがあった。その多くは姿を消したが,サンザシなどの果物を串にさし,飴をまぶした糖胡蘆売は,現在でも見ることができる。
→貨郎児 →貨郎図
執筆者:寺田 隆信
日本ではとくに中世末から都市に呼売商人が多くみられ,また売手だけでなく買手からも呼声が発せられることもあった。狂言《末広がり》に〈いや町表を聞くに,売る物も買う物も呼ばはりさへすれば調(ととの)ふと見えた。ちと呼ばはって見ませう〉とあり,街はそれらの呼声が交錯する空間であった。すでに古代に市で呼声をあげて売る者があったことが《日本霊異記》にみえ,中世の呼売商人の姿は〈職人歌合〉などに多くみられるが,以下では,江戸時代の随筆類にみえる当時の呼売商人の売声のいくつかを紹介する。文化・文政(1804-30)のころ,江戸に1~2人あるいは4~5人で〈藤八,五文,奇妙〉と呼びながら薬を売る者があって〈藤八五文〉の薬として知られた。また鼠取薬売は〈石見銀山ねずみとり薬〉と書いた長さ5尺ほどの幟をもって,京坂では〈猫いらず鼠とりぐすり〉と言い,江戸では〈いたずらものは居ないかな〉とも言った。シャボン玉売は,京坂で〈ふき玉やさぼん玉吹けば五色の玉が出る〉云々,江戸では〈玉や玉や玉や〉,暦売は京坂では〈大小柱暦巻暦〉,江戸では〈来年の大小柱暦とじ暦〉,閏(うるう)月のある暦を売るときはそれに続けて,〈閏あって十三ヶ月の御調法〉と言った。また,飴売もさまざまな売声で人気があった。このように売声は,あきなう品物によって異なっていたが,その土地の者でないと何を売っているのかわからないこともあったという。これらの各種多様な呼売商人の声が,都市の空気をかたちづくっていたのである。
→行商 →振売 →物売
執筆者:村下 重夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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