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江戸半太夫(初代) えど はんだゆう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

江戸半太夫(初代) えど-はんだゆう

?-1743 江戸時代前期-中期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
はじめ説経祭文(せっきょうさいもん)をかたっていたが,江戸肥前掾(ひぜんのじょう)に入門。半太夫節を創始し,江戸堺町で操り芝居を興行した。薩摩(さつま)浄雲以来の江戸浄瑠璃の名人といわれた。隠居して坂本梁雲(りょううん)を名のる。弟子に初代十寸見河東(ますみ-かとう)ら。寛保(かんぽう)3年死去。

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朝日日本歴史人物事典の解説

江戸半太夫(初代)

没年:寛保3?(1743)
生年:生年不詳
江戸前期に活躍した半太夫節(江戸節)の太夫。修験者の子で幼名を半之丞といい,初め説経祭文の上手であったが,江戸肥前掾に師事して浄瑠璃太夫となり,江戸堺町で操り芝居を始めたという(『本朝世事談綺』1734)。その浄瑠璃は半太夫節といわれ,薩摩浄雲以後の江戸での名人といわれた。『声曲類纂』(1847)には,半太夫が興行を一時退転しようとしたとき,これを惜しんだ紀伊国屋文左衛門が2000両の金を貸し与えて続けさせたという逸話がみえる。一段物の稽古本はあるが,完全な正本は残されていない。正徳年間(1711~16)に剃髪して坂本梁雲と称した。享保4(1719)年,休座中の劇場を辰松座に貸して操り興行をやめる。同年刊の段物集『鳰鳥』に,江戸半太夫事坂本梁雲の名で序文を書き,同8年刊の『にほとり万葉集』には,江戸太夫隠居坂本梁雲と記している。その語り物の一部は,弟子の江戸太夫河東(初代十寸見河東)のはじめた河東節に伝承されている。弟子にはほかに,十寸見蘭州,江戸太夫双笠らがよく知られている。なお2代目以降はお座敷浄瑠璃を専門にして,「助六」にだけ歌舞伎出演していたが,その名跡は幕末の7代目で終わっている。

(竹内道敬)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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