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江木千之 えぎ かずゆき

美術人名辞典の解説

江木千之

官僚。周防生。岩国藩士江木俊敬の長男。幼名吉太郎、号は狂塢。参事官を経て内務省に入り、茨城・栃木・愛知・広島・熊本各県知事、勅撰貴族院議員を歴任。また清浦奎堂内閣文相枢密顧問官皇典講究所長等も務め、日本赤字社・防長教育会にも尽力した。昭和7年(1921)歿、80才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

江木千之 えぎ-かずゆき

1853-1932 明治-大正時代の官僚,政治家。
嘉永(かえい)6年4月14日生まれ。江木仙右衛門の長男。江木衷の兄。文部省をへて内務省にはいり,明治29年から茨城,広島,熊本などの県知事を歴任。この間の37年貴族院議員となり,学制改革にかかわる。大正13年清浦内閣の文相,のち枢密顧問官。昭和7年8月23日死去。80歳。周防(すおう)(山口県)出身。

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朝日日本歴史人物事典の解説

江木千之

没年:昭和7.8.23(1932)
生年:嘉永6.4.14(1853.5.21)
明治大正期の官僚。周防国(山口県)岩国藩士の長男として生まれる。大阪と東京で修学し,大阪兵学寮,松本良順の蘭疇学舎,開拓使仮学校,大学南校,工部省工学寮などを巡った。これらは明治初年の遊学の様相を伝える。工部省の山尾庸三から田中不二麻呂を紹介され文部省に勤務し始める。文部省少書記官,視学官,参事官を歴任し,明治24(1891)年普通学務局長となる。文部省時代に小学校教員心得の制定,小学校令の改正などに尽力する。こののち内務省に移り,県治局長を手はじめに各県知事を歴任する。大正13(1924)年清浦内閣の文部大臣,辞任後に枢密顧問官となる。この間山県有朋系の貴族院議員として活躍し,特に明治後半期から大正中期にかけての学制改革問題では,小松原英太郎,岡田良平らと共に主導的役割を果たした。多くの政府委員になるとともに防長教育会,全国神職会会長,国学院大学学長なども務めている。なお,東京大学社会科学研究所に日記を含む「江木文書」がある。<参考文献>江木千之翁経歴談刊行会編『江木千之翁経歴談』上下

(中野実)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

えぎかずゆき【江木千之】

1853‐1932(嘉永6‐昭和7)
官僚,政治家。号を狂塢。岩国藩出身。1868年(明治1)裁判所見習書記となり,71年早稲田蘭疇学舎,開拓使学校等に学び74年文部省に入る。91年参事官。この間,小学校教則綱領(1881),小学校令(1890)などを起草。93年内務省県治局長,その後,茨城,栃木,愛知,広島,熊本の各県知事を歴任し,治水土木,教育などに尽力する。1904年貴族院勅選議員。24年清浦奎吾内閣の文相を務め,のち枢密顧問官。

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大辞林 第三版の解説

えぎかずゆき【江木千之】

1853~1932) 政治家。旧岩国藩士。文部省参事官となり、小学教則綱領を起草。清浦内閣文相として文政審議会を創設し、文教政策の確立に努力。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

江木千之
えぎかずゆき

[生]嘉永6(1853).4.14. 岩国
[没]1932.8.23. 東京
明治,大正の官僚,政治家。岩国藩士の子として生れ,明治3 (1870) 年大阪兵学寮,さらに蘭疇学舎,開拓使学校,大学南校,修技黌舎などに学んだ。 1874年文部省 13等出仕となり,80年の改正教育令,81年の小学校教員心得,小学校教則綱領,90年の小学校令改正などの立案起草にあたった。 91年普通学務局長を最後に文部省を去り,翌年内務省に移り,県治局長,茨城,栃木,愛知,広島,熊本の各県知事を歴任。 1904年貴族院議員,24年1月文部大臣となり,文政審議会を設置した。同年6月文部大臣を辞し,枢密顧問官となった。晩年は皇典講究所,全国神職会,防長教育会,日本赤十字社などの事業に尽力した。主著『江木千之翁経歴談』 (1933) 。

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世界大百科事典内の江木千之の言及

【歴史教育】より

…この綱領で内容は日本史に限定され,目的については〈務メテ生徒ヲシテ沿革ノ原因結果ヲ了解セシメ,殊ニ尊王愛国ノ志気ヲ養成センコトヲ要ス〉とされ,〈殊ニ〉以下が重視され,必ずとりあげるべき事項として,建国の体制,神武天皇の即位,仁徳天皇の勤倹,延喜天暦の政績,源平の盛衰,南北朝の両立,徳川氏の治績,王政復古があげられた。起草者の江木千之(かずゆき)によれば綱領原案には神武の東征,保元・平治の役,南北朝の乱,維新の役など戦乱に関する事項が多く,これについて明治天皇が後世子孫が乱を思うおそれがあると指摘し,上述のように訂正されたという。ついで教育勅語発布の翌91年の〈小学校教則大綱〉では〈国体ノ大要ヲ知ラシメテ国民タルノ志操ヲ養フ〉ことが目的とされ,10年前の〈綱領〉にあった〈沿革ノ原因結果ヲ了解セシメ〉ることが削除され,科学的な歴史認識の教育がさらに後退した。…

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