浄土の仏,聖衆や美しい荘厳(しようごん)の有様を描写した絵画や繡帳のこと。変相は大乗経典の内容を絵で表現したもので,それに対する絵解きの文章としての〈変文〉とは表裏の関係にあった。浄土変,浄土図と略称する。阿弥陀如来,薬師如来,弥勒菩薩,観音菩薩といった浄土信仰の隆盛に伴い,西方極楽浄土変,東方薬師浄土変,兜率天(とそつてん)浄土変,補陀落浄土変などが流行した。中国では唐代に盛んに造られ,善導は浄土変相を見て浄土教に帰し,のちにはみずから300余舗の浄土変相を描き,ひとにも制作をすすめたという。敦煌には浄土窟とよばれる多数の石窟があり,約230の西方浄土変をはじめ,およそ70の東方薬師変と弥勒変の壁画が残されているし,スタイン探検隊は20余の浄土変相の絵画を持ち帰った。日本でも,法隆寺金堂に描かれていた四仏浄土変をはじめ,当麻寺の《当麻曼荼羅》など多数の浄土変相が残されている。
→変相図
執筆者:礪波 護
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
仏の浄土のありさまを図に描いたもの。浄土変、浄土曼荼羅(まんだら)などともいう。阿弥陀仏(あみだぶつ)の極楽(ごくらく)浄土、薬師(やくし)仏の東方浄瑠璃(じょうるり)世界(薬師浄土変)、釈迦(しゃか)仏が霊鷲山(りょうじゅせん)で法華(ほっけ)を説いた霊山(りょうぜん)浄土、毘盧遮那(びるしゃな)仏の蓮華蔵(れんげぞう)世界(盧遮那浄土変)、弥勒菩薩(みろくぼさつ)の兜率(とそつ)浄土などがある。浄土変は中央アジアが起源といわれ、敦煌(とんこう)など中国の壁画に盛んに描かれた。日本では阿弥陀浄土変がもっとも多く描かれ、平安時代の『智光(ちこう)曼荼羅』『當麻(たいま)曼荼羅』『清海(せいかい)曼荼羅』は「浄土三曼荼羅」とよばれて有名である。とくに「観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)変相」が朝鮮半島経由で伝わって多数残り、転写されている。法隆寺金堂の壁画は釈迦・阿弥陀・弥勒・薬師の各浄土変相で、奈良時代から各種の浄土変相があったことがわかる貴重な遺品であったが、1949年(昭和24)に焼失、68年にその模写が再現された。
[石上善應]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…浄土思想(浄土教)にもとづいて制作される仏教美術。大乗仏教では釈迦如来のほかにも多くの如来が現れるが,それらの如来はみずからの理想の国土〈浄土〉を建設することを自己の目標とした。このような思想を説く経典を浄土経典と呼び,すでに1世紀ごろには阿閦(あしゆく)如来とその仏国土〈妙喜浄土〉が説かれるが,やや遅れて阿弥陀如来とその仏国土〈極楽浄土〉を説く経典が現れた。このほかにも種々の浄土が存在するが,その中では弥勒菩薩の居所〈兜率天(とそつてん)〉や観音菩薩の居所〈補陀落山(ふだらくせん)〉などが著名であり,これらにまつわる美術も少なくない。…
…経変は中国の敦煌壁画においても,隋~唐に発達し,日本では飛鳥時代の玉虫厨子絵(法隆寺),奈良時代の《法華堂曼荼羅》(ボストン美術館),平安末以降には額絵の《華厳五十五所絵巻》(東大寺)をはじめ,懸幅や絵巻に遺品が多い。(2)浄土教画 阿弥陀如来を中尊とする浄土の極楽図を描いた浄土変相(浄土曼荼羅)は,中国の敦煌壁画など,隋~唐代に盛んに描かれ,薬師や弥勒などの浄土図も出現する(敦煌莫高窟(ばつこうくつ))。この動きは直ちに日本に反映し,奈良時代には大無量寿経による《阿弥陀浄土図》(法隆寺金堂6号壁)や観無量寿経(観経)による織成の《当麻曼荼羅》が制作され,鎌倉時代には,それを祖型とする縮小型の〈観経曼荼羅〉が多数作られ,〈智光曼荼羅〉〈清海曼荼羅〉などの変形もみられる。…
…これら変相図は難解なため絵解きがなされ,絵解文(変文)から発達した俗講文学も流行する。文献によれば,南北朝から唐代にかけて,洛陽,長安の寺院には多くの壁画が描かれていたようで,この壁画隆盛の流れが日本に伝来して,法隆寺金堂壁画の各種浄土変相図に結実した。土壁の壁画は,中央アジアなどの乾燥地ではおおいに発達し,保存もよいが,日本では発達せず,もっぱら板壁が用いられた。…
※「浄土変相」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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