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通度寺 つうどじT'ongdo-sa

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

通度寺
つうどじ
T'ongdo-sa

韓国,慶尚南道梁山郡下北面芝山里にある寺。霊鷲山と号する。新羅善徳王 15 (646) 年に慈蔵律師の開基舎利塔には開山が唐から持帰った仏舎利を納めている。

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デジタル大辞泉の解説

つうど‐じ【通度寺】

韓国、慶尚南道梁山郡にある寺。山号は霊鷲山。朝鮮三大寺の一。646年、新羅(しらぎ)の慈蔵が創建。1592年、文禄の役堂舎焼失したが、のち復興。トンドサ。

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世界大百科事典 第2版の解説

つうどじ【通度寺】

韓国,慶尚南道梁山郡下北面霊鷲山にある曹渓宗の寺。海印寺松広寺とともに韓国三大寺刹の一つ。新羅の善徳女王(在位632‐646)のころ,入唐した慈蔵律師が請来した舎利を奉安して舎利塔を建て,金剛戒壇を設けて創始された。また《三国遺事》によれば,慈蔵が請来した《大蔵経》1部400箱を納めたという。舎利塔の金剛像,十二支神像や大雄殿基壇の蓮花文浮彫は創建時を伝える。大雄殿は1641年の再建になり,背後の舎利塔の拝殿として大雄殿内には仏像をもたず,大棟をΤ字形にして東正面を妻入とする珍しい形式をもつ。

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大辞林 第三版の解説

つうどじ【通度寺】

韓国、慶尚南道梁山郡にある寺。646年慈蔵の開基。1592年、文禄の役で焼失、後に松雲惟政が再興。もと朝鮮三大寺の一、朝鮮三一本山の一。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

通度寺
つうどじ

韓国(大韓民国)、慶尚南道梁山市にある寺。山号を霊鷲山(りょうじゅさん)といい、旧朝鮮三十一本山の一。慈蔵(じぞう)の開基。慈蔵は、643年(新羅(しらぎ)、善徳女王12年)3月、唐五台山より帰国し芬皇(ふんこう)寺に住していたが、646年善徳女王とともに当山に上り金剛戒壇を築いた。その中に石函(せっかん)・石床(せきしょう)をつくり、上に3種の函を重列したが、一函には唐より将来の三色舎利4枚、一函には歯牙(しが)1枚、残り一函には頂骨指節数十片を安置し、さらに、貝葉(ばいよう)経文を納め蓋石(ふたいし)をし、戒壇を荘厳(しょうごん)し、同時に大雄殿、寂滅(じゃくめつ)宮、法堂(ほうとう)なども創建されたと伝える。通度寺の名号は、当山の気象が西域(せいいき)・インドに通ずるからだとも、また通方度人の意であるとも、あるいは慈蔵が戒壇をつくり通受度牒(つうじゅどちょう)を行ったためともいう。のち、1377年4月に海寇(かいこう)で、1592年に日本軍の兵火によって堂舎焼失するなど災厄を受けたが、重修が行われ、1704年には性能が舎利塔を修造し、以後各王が堂舎を増造し、寺門は隆盛した。寺宝には、『金字法華経(ほけきょう)』『三蔵西行路程記』、金剛杵(こんごうしょ)、青銅香炉(こうろ)、旧印刷木版などがある。[里道徳雄]

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