深野村(読み)ふかのむら

日本歴史地名大系 「深野村」の解説

深野村
ふかのむら

[現在地名]山口市大字仁保下郷にほしもごう

仁保下郷の南、長野ながの村の北に位置し、村内を仁保川が西南へ流れる。山口宰判所属。

京都法勝ほつしよう寺領の荘園であった仁保庄の一部で、貞応三年(一二二四)一一月三〇日付の関東下知状案(三浦家文書)の、仁保庄地頭職を平子重資に安堵した文中に「重綱分深野村」とみえる。徳治三年(一三〇八)四月二五日付の子重頼和与状(三浦家文書)に「すわうのくに仁保のしやうのうち、ふかのゝかう(深野郷)ちとう(地頭)平子右衛門六郎重頼と、かみりやう(上領)のちとう平子彦六郎重有とさうろんす」とあり、また応長二年(一三一二)三月二日の関東下知状(三浦家文書)に「周防国仁保庄下領内深野郷」とみえる。

深野村
ふかのむら

[現在地名]飯南町深野

大石おいし(現松阪市)の西、櫛田くしだ川の左岸にあり、村域南端を櫛田川に沿って和歌山街道が通る。北は白猪しらい(八一九・七メートル)を中心とする山地が続く。地名については「五鈴遺響」に「山野深奥ノ処ニ属邑多シ故ニ名ク」と記されている。代々当村の和歌山藩地士であった野呂家には、中世から明治に至る紙漉業を含む史料が残され、永正四年(一五〇七)松本藤次郎宛北畠国司判物により当地が中世後期には北畠氏の勢力下にあったことが知られる。

深野村
ふかのむら

[現在地名]三重町宮野みやの 深野

宮尾みやお村の北東、北西を大野川、東を三重川の北東流する二本の川に挟まれた台地上にあり、この二川は北東で合流する。東の対岸山奥やまおく(現犬飼町)、北西の対岸は柴山しばやま(現千歳村)。近世を通じ臼杵藩領。慶長二年(一五九七)の三重郷検地帳(渡辺家文書)には深野村分が宮尾村浅水あそうず村と一括された一冊が含まれる。村位は上。同一一年の惣御高頭御帳に深野村とみえ、高二四六石余、下ノ村組に属した。

深野村
ふこうのむら

[現在地名]原町市深野

北長野きたながの村・信田沢しだざわ村の北に位置し、村内を東流する新田にいだ川は東部で南東に流れを変える。北は小池こいけ(現鹿島町)。「奥相志」に「当邑沃土稲梁の美郡中最たり。且つ桑田有り、養蚕を為す者多く繭糸を出す。旧来富戸多し」と記される。明暦二年(一六五六)長野村を分村(相馬藩政史)、天保郷帳には「古者 深野村・竹内新田弐ケ村」と注記される。正保郷帳では田方三三五石余・畑方一五二石余。明暦二年の高八九六石余(相馬藩政史)元禄郷帳によると高五六八石余、ほかに竹内たけのうち新田五三八石余がみえ、現在の字竹ノ内付近に比定される。なお元禄検地高は一千三五六石余、ほかに新田一六〇石余がある(奥相志)。天明三年(一七八三)の家数九七、嘉永元年(一八四八)の家数六二(検地石高収納戸口等調)

深野村
ふかのむら

[現在地名]吉田村深野

東は上山うえやま村、南は曾木そぎ村に接し、北は斐伊川中央を境とし仁多にた(現木次町)毛無けなし山を源流とする深野川が北流して斐伊川に合流する。承応二年(一六五三)の深野村御検地帳では田畑合計一七町二反余・分米二一二石余、屋敷数一六(うち引屋敷六)とある。元禄十年出雲国郷帳では高二七五石余、寛文四年(一六六四)の本田高二五六石余・新田高四石余。寛政四年(一七九二)の飯石郡中万差出帳(県立図書館蔵)によれば高二一三石余、田九町一反余・畑三町七反余、家数四七・人数一九二、牛三九、御役目屋敷一〇軒・御蔵一ヵ所があり、庄屋・年寄・下役人が置かれ、ほかに木挽三人・大工二人、紺屋一軒・小鍛冶屋二軒・紙漉五軒と吉田町田部長右衛門所有の鉄山が三ヵ所ある。

深野村
ふかのむら

[現在地名]室生村大字深野

上笠間かみかさま村の東南に位置する。慶長郷帳にみる村高二〇〇石。近世初期は幕府領(代官藤林市兵衛)。元和五年(一六一九)津藩(藤堂高虎)領となり、廃藩置県に及んだ。「宗国史」に戸数六一、人口二三二、祠に十二所じゆうにしよ権現、寺に西にし坊、庵、馬一、牛五とみえる。この西坊は廃寺となっているが、長谷寺式十一面観音を祀り、光背裏に「永禄七稔甲子卯月吉日 施主菊女敬白 住持実信」以下多数の結縁者の法名が記されている。

集落北方の「城山」に深野ふかの城跡がある。

深野村
ふかのむら

[現在地名]飯高町もり

谷野たんの村の南にあり、当地の東部から北部にかけて櫛田くしだ川が蛇行する。寛永一八年(一六四一)検地帳・元禄一五年(一七〇二)新田畑午改帳(徳川林政史蔵)には、深野・久谷くたに犬飼いぬかいしお柏野かしわの大俣おおまたの六村が一括して書上げられている。明治二年(一八六九)大指出帳(同蔵)によれば、先の六ヵ村の庄屋は大俣村より兼帯とあり、当村の家数二三、人数一三一、産物は煎茶・芋茎・串柿。

深野村
ふかのむら

[現在地名]築城町上深野かみふかの下深野しもふかの

袈裟丸けさまる村の南に位置し、城井きい川左岸の平地および段丘上に立地する。元和八年人畜改帳では家数八一・人数一七一(うち百姓一八・名子四八)、牛二四・馬九。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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