釣針で魚を捕ること。魚釣り,釣魚(ちようぎよ)ともいう。狩猟とともに人間が生活の糧を得るための手段として石器時代にすでに行われていたことは,遺跡から出土する釣針や銛(もり)によって明らかである。釣針や銛を利用するほか,徒手(素手)で魚を捕る方法もあり,いまは魚を捕って生計を営む人を専門漁業者,魚を釣って楽しむ人を遊漁者(釣人)と区別している。
歴史
日本
日本では《古事記》に,櫛八玉(くしやたま)神が海人(あま)に大量のスズキを釣らせたこと,山幸彦(やまさちひこ)が兄の鉤(つりばり)を海中に失う話などが記述されているが,趣味としての釣りが盛んになったのは江戸時代に入ってからであろう。寛文年間(1661-73)ころから江戸を中心に釣りが盛んになり,いくつかの流派が生まれた。元禄時代(1688-1704)には江戸本所竪川の置材木の上に金屛風を立て,吉原の傾城(けいせい)の髪を釣糸に金銀象眼の釣りざおで小魚を釣った大名もいた。その後も釣りの人気は上昇を続け,文化・文政(1804-30)から天保年間(1830-44)にかけて隆盛をきわめた。津軽采女正(うねめのしよう)が1723年(享保8)に書いた釣魚秘伝《河羨録(かせんろく)》は,東京湾品川沖のキス釣場から神奈川側にいたる詳細な釣場,天候の見方,さお,針,おもりなどについて3巻にまとめたもので,釣りが発達していたことを示している。玄嶺老人《漁人道しるべ》(1770),里旭の丘釣手引草《闇のあかり》(1788)なども趣味の釣りの入門書で,釣具商の名譜や流派を明記した釣針なども紹介している。
明治時代に入るとはでな釣りは姿を消すが,ますます一般化し大衆のものとなっていった。石井研堂《釣師気質》(1906)は当時の釣りブームを物語っている。そして昭和時代には松崎明治《釣技百科》(1942)という,日本でははじめての釣入門百科が登場する。釣りの雑誌は1917年に季刊《つり》,翌年に月刊《釣の趣味》,33年週刊《釣魚ニュース》が発刊されている。第2次大戦中はタンパク源補給を目的とした〈経済的の釣り〉〈釣魚報国〉が唱えられたりしたが,敗戦後の落着きをみせはじめた1951年に東京都釣魚連合会が誕生し,つづいて日本へら鮒釣研究会,全日本磯釣連合会など全国組織が続々と結成され,釣人口は増加の一途をたどった。
釣りがなぜ人気を集めるのか。人間には狩猟本能があるからだという説もあるが,レジャーとしての釣り,スポーツとしての釣りは,自然の中で,のんびりと楽しむことが大前提になっている。山あいの渓流でのヤマメ,イワナ釣り,清流でのアユ釣り,田園風景を背景にしたマブナ釣り,海のイシダイやシマアジなどの磯大物釣り,船に乗って沖の魚を追うなど,いずれも自然の中での作業であり,しかもそれぞれ特徴をもっている。こうした多彩な釣りのなかからどれかを具体的に選ぶにあたっては,釣場の環境を第1条件にして,そのなかで釣れる魚を求めるか,あるいは対象とする魚の大小,引きの強弱を基準にするかの二つの面から判断できよう。
外国
ヨーロッパでは1496年にイギリスで出版された狩猟の本にバーナーズJuliana Bernersという修道女が釣りの手引きを書いたのが釣りの本の最初とされる。現在,釣りの聖書ともいわれる《釣魚大全》はイギリスのI.ウォルトンの書いたものだが,この初版は1653年。このころには,趣味の釣りとしての位置が明確に打ちだされ,マナーなどについても厳しい注文がだされている。
中国では古王朝周代の太公望の名が有名で,釣人の代名詞ともなっている。太公望は渭水で釣りをしていたが,あるとき3日間何も捕れず,腹立ちまぎれに帽子をたたきつけると,異形の人が現れ,その指示どおりするとフナとコイが釣れたといい,すでに釣りが楽しみで行われていたことをうかがわせる。唐の張志和は烟波釣徒と号し,釣好きの詩人だったというように,釣りで知られる人は多い。現在の中国でも釣りの人気は大きい。
こうした趣味の釣りが,スポーツとして扱われだしたのは欧米が早い。欧米では魚族保護対策が確立され,それを前提としての釣りがあるため,魚を釣るには,一定のルールに従うことになっている。このルールには,魚の体長,尾数などの制限がある。この制限内で一日を楽しくすごすことは,他のスポーツと同じであるという解釈である。日本でも淡水魚を釣るには,漁業権の設定された河川,湖沼がほとんどだから,遊漁料(入漁料)を支払わなければならない。また魚種によって,解禁,禁漁期間,稚魚保護のための体長制限も決められている。しかし,海区における釣りには,まだこうした徹底した規制,保護対策はほとんどみられない。
釣道具
釣道具の種類については北宋の学者邵雍(しょうよう)の《漁樵問対》から〈釣りに六物あり,一,具わらざれば魚得べからず〉がよく引用されるが,その六物とは釣りざお,釣糸,釣針,うき(浮き),おもり,餌を指している。
釣りざお
西洋では材木でつくった長くて太いものが使われていたが,18世紀には熱帯アメリカ産の弾力のある木を用いた張合せのものや竹製のものがつくられ,格段の進歩を示した。日本では,竹ざおがかなり古くから使われてきたが,それは一本の延べざおだった。携行に便利な継ぎざおはいつ出現したか確定できないが,《河羨録》のなかに,当時江戸で2本継ぎ,3本継ぎが市販されているという記述があり,現在も和ざおとして愛用されている。この釣りざおをつくる職人,つまり竿師の出現は江戸末期のころとされ,1783年(天明3),現在の東京都台東区東上野に泰地屋初代東作が釣具店を開いたのが最初といわれる。第2次大戦後の1954年ごろ,グラスファィバーを応用したグラスざおができ,軽く,耐久力にすぐれ,曲りぐせがつかないなどの利点はさおの歴史を大きく変えた。71年にはカーボンファイバーを素材にしたさおが登場し,グラスより軽く,反発力が強かったため,グラスざおの人気をしのいだ。81年にはタングステンワイヤの外面にボロンを蒸着したフィラメントをさおにつくりあげたボロンざおが製品化され,高感度,高強度,軽量化が一段とすすんだ。
釣りざおの性能には長さと調子がある。長さは釣場の状況と対象魚により使い分ける。調子とは,さおの全長を10等分し,さお先から2ないし3のところで曲がる調子をもつものをそれぞれ八二調子,七三調子あるいは硬調子,先調子という。この比率がさおの中心部に近づき4対6ぐらいのものになると軟調子,胴調子と呼ぶ。針に魚を掛けたときの曲りがいちばん正確な調子だが,先調子ざおは重いおもりに耐え,針掛かりした魚の疾走を止める。軟調子ざおは,曲りが大きいから,細かい糸でのショック切れを防ぎ,さお先の調子で餌を食い込ませるときには,抵抗感を与えないなどの利点がある。こうしたさおの長さと調子は幾通りもあり,対象魚によりアユざお,マブナざお,ヘラブナざおなどと呼ぶものや,応用範囲の広さを示して磯の大物ざお,中小物ざお,渓流ざお,船(海)の深場用ざおなどという。
リールをつけるさおはリールざおというが,リールの機種とのバランスを考えなければならない。リールには両軸受型リール,片軸受型リール,スピニングリール,クローズドフェースリールがある。両軸受型リールは巻きあげる力が強く,糸巻量も多い。大型は水深500mから1000mの深場を船で釣ったり,磯から10kg,20kgあるいはこれ以上の大物を釣るとき,船でのトローリングで100kg級の大物を追うときなどに使われる。片軸受型リールは,巻きあげるスピードが速いものが多く,船からのカワハギや小ダイ釣り,防波堤釣りなどに向く。スピニングリールは,釣糸が,糸巻きから前方にらせん状にでていくので,前の二つのリールとは違う。そして遠投しても釣糸がからまないという特徴をもつため,投釣りにはすべてこれが使われる。クローズドフェースリールもスピニングリールと同じ釣糸の出方をするが,さおに対して上向きにつけ,ルアーフィッシングなどに愛用される。
釣糸
昔はカイコの幼虫の体内からとった繊維を精製したてぐす(天蚕糸)が使われた。その後,セルロースを酸で処理した人造てぐすができ,第2次大戦後は一般にナイロン糸と呼ばれる合成てぐすが普及しているが,伸びの少ないポリエステル系の糸もあり,船釣用として使われる。
糸の太さは,欧米ではポンドまたはkgで表し,静荷重をかけて何ポンド(kg)で切れるかを示している。日本の釣糸は号数で表示され0.1号がいちばん細く,数字が大きくなるにつれ太くなる。リールやさおにつける糸は道糸(ライン)と呼び,針を結ぶ糸ははりす(針素。リーダー)という。特殊な場合を除き道糸が太く,はりすはそれよりも細いものを使う。
釣針
釣針の型は世界で何百種もある。針軸の長いものを長型,短く丸みのあるものが丸型,角張ったものを角型といい,この三つを基本に,対象魚に応じ,就餌性を研究して,さまざまな針が生まれた。対象魚名のついたスズキ針,タイ針,ソイ針というものや袖型,丸型,伊勢尼型などといったものもある。欧米ではこうした複雑な名はない。針の大小は数字で表示されるが,日本では数字が小さいほど小型,欧米はこの逆になる。針は大は小を兼ねない,針の型は迷信にすぎないと断言したのは,釣好きで知られる幸田露伴だが,やはり型の選択も必要だろう。
うきとおもり
うきは対象魚と釣場の流速,波などの条件によってさまざまな形,素材がある。ねらう魚に応じて形と大小を選ぶ。おもりは鉛でつくられたものが主体で,手でちぎって重さを調節できる板おもりから,棒型,角型,球型,ナス型などがある。重さも,日本では1号が3g前後見当となっている。20号は約60g。できるだけ軽いおもりで釣ったほうが,魚の食いはいい。
餌
餌は動物質と植物質に大別する。対象魚によって動物質のミミズ,赤虫(ユスリカの幼虫)や海の環虫類イソメ,ゴカイなどを,また植物質のものではサツマイモ,ジャガイモ,小麦粉などがある。このほかエビ,カニ,シコイワシ,シャコ,サバ,ムロアジ,サンマなども餌にする。最近は南極のオキアミも海釣りの餌として珍重されている。さらに,群泳する習性の魚に対しては,その魚をまず集めるための寄せ餌,集魚剤の効果も大きい。餌は形態と動きが魚の視覚に訴え,水中に溶け出した化学成分が味覚と嗅覚を誘う。餌の昆虫を模した人工のフライ(毛針),小魚を模したルアー(擬餌)を用いることもある。ルアーの場合は音も大いに関係すると思われる。なおアユの友釣はなわばりの習性を利用したもので,餌をつけるのではない。おおむね,魚は産卵前と産卵後に旺盛な食欲をみせる。この時期は魚によって春のものもあれば,秋のものもある。また水温の上昇により食欲旺盛となり,よく釣れるもの,逆に水温低下で餌を活発に求める魚もある。
釣りの種類
釣りを対象魚によって分けると淡水域(川釣り)と海水域(海釣り)になる。川釣りは川の最上流に当たる渓流でイワナ,ヤマメ,その下流でウグイ,アユ,平野部の川や沼ではコイ,フナ,オイカワなどを釣る。水質のいい河川では春,海からアユが上流へと溯上してくる。湖やダム湖には,ウグイ,オイカワ,ニジマス,ヒメマス,ワカサギ,ヘラブナ,コイなどがいる。近年,各釣場とも各種の稚魚,成魚放流が行われ,保護,増殖と失われた釣場復活への動きが活発になっている。
海釣りは,淡水魚に比べて,魚の種類が多く,四季を通じて楽しむことができる。船釣りは,近い航程の釣りを近場の釣り,また水深10~20m付近を浅場釣りなどともいう。シロギス,ハゼ,アイナメ,カレイ,イシモチ,メバルなどが対象魚になる。航程が2時間近くもある釣場に向かうときに遠征釣り,また水深100mから200m前後でクロムツやキンメ,アラなどをねらうときは深場釣りという。さらに水深400mから800mにも及ぶところでアコウやメヌケを釣るのを深海釣りとか超深場釣りという。
磯釣りは中小物釣り,大物釣りに分けられる。石物と釣人が呼んで,大物釣りの代名詞にも使われるのはイシダイ,イシガキダイで,とくに引きの強いイシダイが主役である。このほかヒラマサ,シマアジは,海面近くを回遊しているのをねらうので上物(うわもの)釣りともいい,これも引きの強さと疾走ぶりが釣人の人気を集める。中小物釣りはメジナ,クロダイ,ブダイ,イサキ,サヨリ,メバルなどがあげられる。とくにクロダイは引きも強く全国的に人気がある。メジナは関西でグレとも呼ぶが,これも引き味がいい。
海岸の投釣りはシロギス,イシモチ,カレイが主体である。防波堤にも四季を通じてさまざまな魚が集まってくる。東京湾の防波堤はクロダイ,小アジ,アイナメ釣りが人気だが,土地によってイカが釣れたり,チカ(キュウリウオ科)が数あがったりする。
このほか,欧米から日本に入ってきて,近年人気を集めだした釣りにルアーフィッシング,フライフィッシング,トローリングがある。ルアーフィッシングは金属や木などを素材にしたルアー(擬餌)を用い,日本ではヤマメ,イワナ,ニジマス,ブラックバスなどを釣るもの。フライフィッシングはフライを専用のさおとリールで飛ばして水面に落としヤマメ,イワナなどを釣る。欧米ではサケ,マスの仲間やブラックバスを釣っている。トローリングは,海上をボートでゆっくり走りながら,カジキ,マグロ,シイラ,カツオなどを釣る。
→釣針 →フライフィッシング →ルアーフィッシング
執筆者:松田 年雄