神話上、皇室の祖神とされる
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天皇の地位の標識として、歴代の天皇の受け継いだ三つの宝物。八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)をいう。『日本書紀』(720成立)ではこれらを「三種宝物」、『古語拾遺(しゅうい)』(807成立)はこのうちの鏡と剣を「二種神宝」とよぶ。神器の語が一般化するのは南北朝以降である。
[直木孝次郎]
記紀の伝承によると、八咫鏡は、天照大神(あまてらすおおみかみ)が天石窟(あめのいわや)に入ったとき、八百万(やおよろず)の神々が計って天香久山(あめのかぐやま)の鉄をとってつくり、草薙剣は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が出雲(いずも)で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したとき、尾の中からみいだして天照大神に献じたもの、八尺瓊勾玉は、天照大神が天石窟に入ったとき八百万神が玉祖命(たまのおやのみこと)に命じてつくらせた、という。天照大神は天孫降臨すなわち孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を高天原(たかまがはら)から葦原中国(あしはらのなかつくに)に天下(あまくだ)らせるとき、この三種の神器を授け、そのうち八咫鏡については、わが魂として祭れといった。三種の神器は神武(じんむ)天皇の即位以後は宮中に安置されたが、崇神(すじん)天皇のとき八咫鏡を宮中から出して倭(やまと)の笠縫邑(かさぬいのむら)に祭り、垂仁(すいにん)天皇のとき伊勢(いせ)に移し伊勢神宮に祭った。景行(けいこう)朝、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征に際し、伊勢斎宮の倭姫命(やまとひめのみこと)より草薙剣を授かって携行し、帰途尾張(おわり)に置いた。記紀にみえる以上の伝承により、八咫鏡は伊勢神宮の、草薙剣は熱田(あつた)神宮の神体であるとする信仰が生じた。この伝承に従えば、八尺瓊勾玉だけが宮中に残ったことになるが、『古語拾遺』によれば、崇神朝に新たに鏡と剣を模造し、宮中に置いたという。この伝えは、奈良時代の前後、宮中に皇位のしるしとなる神聖な鏡・剣が存した事実と、上述の記紀の伝承を調和させるために生じたのであろう。
[直木孝次郎]
『養老令(ようろうりょう)』の神祇(じんぎ)令に「およそ践祚(せんそ)(天皇の後継者が皇位につくこと)の日、(中略)忌部(いんべ)、神璽(しんじ)の鏡剣(かがみたち)を上(たてまつ)れ」とある。この即位儀礼が史上にみえる確実な例は、690年(持統天皇4)正月における持統(じとう)天皇の即位が最初で、忌部氏が「神璽の鏡剣」を奉ったと『日本書紀』にみえる。ここに玉のことがみえないが、『古語拾遺』は、天孫降臨に際し、天照大神が瓊瓊杵尊に授けたのは鏡と剣の2種であるとする。勾玉がみえないこれらの記事・所伝は、神器を3種とする記紀の所伝と相違する。その矛盾については、(1)玉は神器の一つとして存在したが、身に着ける宝なので、公的儀式のときに献上されなかった、(2)玉がみえないのは、宝としては鏡剣より軽く考えられたからである、(3)神器は鏡剣の2種が正しく、玉を加えて3種とするのは物語のうえでのことである、(4)天智(てんじ)朝に定められた即位儀礼で3種であったが、『飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)』で鏡剣の2種に定められた、などの諸説がある。鏡剣の奉献は、『貞観(じょうがん)儀式』(871~872撰(せん))や『延喜式(えんぎしき)』(927成立)では、践祚のあとに行われる大嘗祭(だいじょうさい)の行事とされるが、『北山抄』(11世紀初成立)によれば、833年(天長10)の仁明(にんみょう)天皇の即位大嘗祭以後、中止された。これらの宝器は奈良時代には後宮の蔵司が保管したが、平安時代ころからは玉と剣は櫃(ひつ)に入れて天皇の身辺に置き、鏡は宮中の賢所(かしこどころ)に安置した。即位に際しての奉献の儀礼は廃れたが、皇位継承に問題が生ずると、神器の保有が皇位の正統性を証明するとして従来以上に重要視され、南北朝時代にもっとも甚だしかった。一般に鏡・剣・玉は古墳の副葬品によくみられ、また記紀には地方豪族が鏡・剣・玉を捧(ささ)げて天皇に帰服する伝承がある。古くから豪族の支配権のシンボルとされていたのであろう。天皇家でも早くからこれらを皇位の標識として所有していたであろうが、2種または3種の神宝として制度化したのは、中国における皇帝権のシンボルである伝国璽の制、とくに唐のそれによるのではないかといわれる。
[直木孝次郎]
第二次世界大戦後の日本において、家庭生活、社会生活を営むうえで、そろえておけば理想的だとされる3種類の耐久消費財をさしていうことば。歴代天皇が受け継ぐ三つの宝物に擬していわれるようになった。それぞれの時代によって変遷があるが、最初のものは、1954年(昭和29)ごろからいわれた電気洗濯機、電気冷蔵庫、電気掃除機である。1950年代後半になると、電気掃除機にかわって白黒テレビが仲間入りし、いわゆる「家電ブーム」をもたらした。1960年代なかばになると、カラーテレビ、クーラー、自家用自動車(カー)が新三種の神器とされた。これらはそれぞれの英語の頭文字をとって、「3C」とよばれた。最近では、デジタルカメラ、薄型テレビ、DVDレコーダーをデジタル三種の神器とよぶ。
[編集部]
天皇の位のしるしとして相伝された三種の宝物,八咫鏡(やたのかがみ),草薙剣(くさなぎのつるぎ),八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の総称。《古事記》《日本書紀》の神代記,神代紀には,天岩屋の物語の中で鏡と玉の,八岐大蛇(やまたのおろち)の物語の中で剣の,それぞれの起源が述べられ,次いで天孫降臨の物語で,これらの宝物を皇祖天照大神が皇孫瓊瓊杵(ににぎ)尊に授け,とくに鏡を大神の御魂代(みたましろ)としてまつるべきことを詔したと記されている。崇神紀には神人同床をおそれた天皇が皇女豊鍬入姫(とよすきいりひめ)命に託して笠縫邑(かさぬいのむら)に移しまつり,次いで垂仁紀には皇女倭姫命をしてさらに伊勢の五十鈴川のほとりに移しまつらせたと見える(伊勢神宮の起源)。景行記,景行紀によれば東征の途次伊勢に立ち寄った日本武(やまとたける)尊はおばの倭姫命から草薙剣を授けられたが,帰途これを尾張の宮簀(みやず)姫のもとにとどめて病没したため,剣は尾張にまつられることとなったという(熱田神宮の起源)。《古語拾遺》によれば鏡と剣を移しまつるに際し模造品を造って宮中にとどめたが,これが後世即位に当たって新帝に献上される〈神璽(しんじ)の鏡と剣〉であるという。伊勢・熱田の神体の鏡・剣と宮中のそれとは元来別のものであったが,それらを統一的に物語る必要から模造品の話が作られたとみる説もある。鏡・剣・玉のセットは古墳の副葬品にも多く見られ,古くより豪族の支配権のシンボルとして重視されたものだが,天皇による国土統一の結果,とくに皇位のしるしとして伝世され,他は排除されることとなった。こうして,神器を保持する天皇が正統な支配者であるとの観念も確立した。
執筆者:黛 弘道
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「古事記」「日本書紀」に伝える,皇位の象徴としての鏡・剣・玉。八咫鏡(やたのかがみ)・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)(草薙剣(くさなぎのつるぎ))・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の三種。鏡・剣・玉は弥生時代以来宝器として尊重され,司祭者的な王権の象徴でもあった。記紀や「古語拾遺」などの所伝では,天孫降臨に際し皇祖天照大神から瓊瓊杵(ににぎ)尊に授けられ,うち鏡・剣は崇神朝に大和の笠縫邑(かさぬいのむら)に,垂仁朝に伊勢神宮に移され,うち剣は景行朝に日本武尊に授けられ,尾張の熱田神宮に安置されることになったという。宮廷においては持統朝以後,神祇令の規定で鏡と剣とが皇位の象徴たる神璽(しんじ)とされたが,平安時代には玉がこれに加わり,神璽と称された。
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…いずれも銅瓦葺入母屋造,ヒノキの素木造で,その中央にあるのが賢所。賢所は三種の神器の一つである神鏡を奉安する所で,平安初期から内裏の温明(うんめい)殿に置かれ,女官の内侍が候したので内侍所(ないしどころ)ともよばれた。その後,里内裏の盛行に伴い,鎌倉末期から温明殿に代わって春興殿に賢所が置かれるようになり,これは江戸時代の京都御所においても踏襲された。…
…例えば,八尋殿(やひろどの),大八洲(おおやしま),八衢(やちまた),八咫烏(やたがらす),八岐大蛇(やまたのおろち),八百万神(やおよろずのかみ)など数が多いことを表すほかに神聖な数とみられていたらしい。8だけでなく,3や5も三世界(高天原,黄泉(よみ)国,現(うつし)国)や三種の神器,イザナミ・イザナキの三貴子,宗像(むなかた)の三女神,五魂(海,川,山,木,草),五十猛(いそたける)神,五部(いつとも)神などの例があり,吉数とみられていた。しかし,《日本書紀》あたりからしだいに大陸文化を尊ぶ風が盛んになって,七夕(7月7日)や重陽(9月9日)の節供のように8に代わって7や9が聖数として重視されるようになり,今日では七五三,三三九度,お九日をはじめとして民俗のうえでは欠くことのできない重要な数となっている。…
…天皇の母建礼門院徳子は入水後救助され,宗盛・清宗父子らは生けどられた。京・鎌倉が深い関心を寄せた三種の神器のうち,鏡は無事,神璽も海中より回収されたが,宝剣は二位尼(清盛の妻時子)が抱いて沈んだままになった。勝報に接した鎌倉の頼朝は,範頼には九州にとどまって平氏旧領の処分に当たり,義経には神器,捕虜を伴って上洛するよう命じた。…
※「三種の神器」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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