玉若酢命神社(読み)たまわかすのみことじんじゃ

精選版 日本国語大辞典 「玉若酢命神社」の意味・読み・例文・類語

たまわかすのみこと‐じんじゃ【玉若酢命神社】

島根県隠岐郡隠岐の島町下西にある神社。旧県社。祭神は玉若酢命ほか五柱。上代の開創で、隠岐国総社と称する。若酢大明神。惣社明神。

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日本歴史地名大系 「玉若酢命神社」の解説

玉若酢命神社
たまわかすみことじんじや

[現在地名]西郷町下西 宮前

下西しもにし集落の西方に鎮座する。旧県社。主祭神は玉若酢命。式内社で中世には隠岐国惣社とされ、惣社大明神とも称された。

「三代実録」貞観一三年(八七一)閏八月二九日条に「玉若酢命」とあり、従五位下に叙せられている。「延喜式」神名帳に隠岐国周吉すき郡四座のうちとして「玉若酢タマワカスノ命神社」とみえる。当社は隠岐国府域に存在したところから、中世への移行に伴い国内すべての神社の祭神を併せ祀ることによって、国内神社を統轄する隠岐国衙権力機構の一環としての神社、すなわち隠岐国惣社へと転換したとみられる。その具体的な時期は明らかでないが、諸国の惣社の例と同様に一一世紀末より一二世紀初め頃のことと考えてよいであろう。正和元年(一三一二)八月の玉若酢命神社棟札写(億岐家古文書抄録)には「奉建立惣社御社事、(中略)、被建立既及八十余年」とあり、これによれば旧社殿の建立は正和元年から数えて八〇余年前の承久の乱の直後にあたり、隠岐国司兼守護として着任した佐々木義清のもとで、惣社の本格的な整備が進められたことが推測される。さらに正和の惣社造営は西郷公文大檀那となっていること、聖教泉坊と相語らって道前どうぜん(島前)までも勧進を行っていることが記され、その結果として「小工蓮性坊覚慶宥澄、其外押寄不知人数」とあるようにきわめて多数の人々が造営に携わったと推定されることなどから、惣社が国衙権力機構の行政機関的なあり方から、同時に直接地域社会(おもに西郷地域)に基盤を置く独自の宗教施設へと大きく変質する転機となったことが知られる。

こうした惣社の質的な転換と並行して、その宗教的な権威の向上と再編成が推進され、惣社の神官は新しく国造とよばれるようになったと考えられる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「玉若酢命神社」の意味・わかりやすい解説

玉若酢命神社
たまわかすのみことじんじゃ

島根県隠岐(おき)郡隠岐の島町下西(しもにし)に鎮座。玉若酢命(みこと)を主神として祀(まつ)る。『延喜式(えんぎしき)』に所載され、神階は871年(貞観13)で従(じゅ)五位下。隠岐国の国府の近くにあり、隠岐国造(くにのみやつこ)によって奉斎され、のち隠岐国の総社(そうじゃ)とされた。1872年(明治5)に県社に列格された。例祭日は6月5日。島内8地区の神霊が8頭の馬に乗って本社に集合する御霊会風流(ごれえふりゅう)がある(昔は48地区から48頭の馬で集合)。祠官(しかん)の億岐(おき)氏は倉印や駅鈴を伝来している。境内の巨木「八百杉(やおすぎ)」は国の天然記念物に、本殿、随神門(ずいしんもん)、億岐家住宅は国の重要文化財に指定されている。

[熊谷保孝]


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デジタル大辞泉プラス 「玉若酢命神社」の解説

玉若酢命神社

島根県隠岐郡隠岐の島町にある神社。隠岐諸島、島後の南東に位置し、「延喜式」にもある古社。主祭神は玉若酢命(たまわかすのみこと)。本殿、随神門、社家億岐家住宅は国の重要文化財に指定されている。

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