中国、元末の南曲。42齣(せき)(場)。高明(こうめい)(1305?―80?)作。蔡伯喈(さいはくかい)は父の命令で新婚の妻趙五娘(ちょうごじょう)と別れ上京し、会試に状元(じょうげん)で及第する。牛丞相(ぎゅうじょうしょう)の婿に選ばれ、固辞するが許されず、そのまま牛府で丞相の娘と新婚生活に入る。故郷では飢饉(ききん)が続き、五娘は糠(ぬか)で飢えをしのぎ、舅(しゅうと)と姑(しゅうとめ)に孝養を尽くすが2人とも死ぬ。五娘は髪を売って2人を埋葬し、その肖像をかいて背負い、琵琶を弾き物ごいをしながら夫を尋ねて上京する。いくつかの困難にあい、牛府にたどり着くと、新夫人牛氏の同情を得て夫と対面し、牛氏とともに夫人に認められ団円に終わる。
蔡生と趙女の話は民間の語物に古くから扱われ、金の院本(いんぽん)には『蔡伯かい』の題名がみえ、元曲にも趙女が裳裾(もすそ)で土を運び舅や姑の墓をつくることが引かれている。早期の南曲『趙貞女蔡二郎』は、伯喈が都で官につき、尋ねてきた前妻を馬ではね、彼も雷に打たれて死ぬ。また『張協状元』は、命を救ってくれた貧女と結婚した張協が、出世後、彼女の卑しい身分を嫌い切りつけるが、再婚した相手は皮肉なことに前妻だった話で、身分の卑しい前妻に背き富貴にあこがれるという劇が少なくない。『琵琶記』はこうした温州(高明の故郷)に流行していた劇をもとにして、主人公は故郷の妻や両親を気にしつつ二重結婚の生活を送り、結末も一夫二妻の団円に改められた。民間芸能であった南曲に文人が筆を染めたのは『琵琶記』に始まるといわれ、故郷の窮状と牛府の豪奢(ごうしゃ)な生活を交互に演出し、五娘のけなげな生き方と伯喈の苦悩を対照的に描く構成は、素朴で真実味あふれる歌詞とともに高い評価を受け、明清(みんしん)を通して伝奇(長編戯曲)の手本とされた。戯曲史上重要な作品である。現存テキストは十数種に上るが、『元本琵琶記校注』(銭南揚注、1980・上海(シャンハイ)古籍出版)が便利である。
[平松圭子]
『浜一衛訳『琵琶記』(『中国古典文学全集33』所収・1969・平凡社)』▽『『青木正児全集3 支那近世戯曲史』(1962・春秋社)』
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中国元末につくられた長編戯曲。高明(こうめい)(則誠)の作。南曲(伝奇)最高の傑作。42幕。後漢の蔡邕(さいよう)と妻趙五娘(ちょうごじょう)を題材とし,夫の豪奢と妻の貞節を対比し,当時の士大夫(したいふ)階級を批判したという。
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…その契機を作ったのは,元末・明初の文人高明である。高明は至正年間(1341‐68)の進士であり,詩人としても知られていたが,後漢の蔡邕(さいよう)を主人公とする《琵琶記》を書いた。これが傑作として世間に喧伝されたことから,戯曲に対する従来の価値観に変化をきたすことになった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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