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石谷貞清 いしがやさだきよ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

石谷貞清
いしがやさだきよ

[生]文禄3(1594)
[没]寛文12(1672).9.12. 江戸
江戸時代初期,徳川秀忠,家光,家綱に仕えた幕臣。元和1 (1615) 年大坂夏の陣に従軍し,寛永 10 (33) 年目付となり,甲斐で 1500石を知行。同 14年島原の乱に副上使として従軍した。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

石谷貞清 いしがい-さだきよ

1594-1672 江戸時代前期の武士。
文禄(ぶんろく)3年生まれ。幕臣。島原の乱の鎮圧に板倉重昌(しげまさ)の副将として出陣,原城総攻撃に敗れて負傷し,乱後逼塞(ひっそく)に処せられる。慶安4年江戸の町奉行(北)となり,由比正雪(ゆい-しょうせつ)の乱で丸橋忠弥(ちゅうや)らを逮捕。浪人の救済につとめた。寛文12年9月12日死去。79歳。通称は十蔵,左近将監(さこんのしょうげん)。姓は「いしがや」ともよむ。

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朝日日本歴史人物事典の解説

石谷貞清

没年:寛文12(1672)
生年:文禄3(1594)
江戸前期の旗本,江戸の町奉行。通称は十蔵,官職名は左近将監,父は今川氏の旧臣石谷清定,母は同じく今川氏旧臣の久嶋与平某の娘。徳川秀忠に出仕,大番に属す。大坂の陣に従軍。寛永10(1633)年目付となり,1000石の加増を得て1500石を知行。14年島原の乱のとき上使板倉重昌の副使として現地へ赴き,翌年1月の原城総攻撃の際に重傷を負う。重昌は戦死し総攻撃は失敗,その責任をとって一時逼塞。慶安4(1651)年江戸の町奉行に就任,慶安の変では丸橋忠弥を捕らえた。以後牢人対策に心をくだき,数多くの牢人の任官の世話に当たったという。

(しらが康義)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

いしがいさだきよ【石谷貞清】

1594‐1672(文禄3‐寛文12)
江戸前期の幕臣。町奉行。徳川秀忠・家光・家綱3代に仕える。1633年(寛永10)目付となり,上総,相模,甲斐のうちに1500石を知行。島原の乱には上使板倉重昌に添えられる。51年(慶安4)町奉行となり,慶安事件においては丸橋忠弥らの捕縛にあたった。59年(万治2)辞職。牢人問題に意を用い,1000人にのぼる牢人の仕官を世話したといわれる。【藤井 譲治】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

石谷貞清
いしがやさだきよ
(1594―1672)

江戸前期の幕臣、町奉行(ぶぎょう)。祖父政清は遠江(とおとうみ)(静岡県)に在住、今川氏滅亡期に徳川家康に仕える。通称十蔵。貞清は初め大番、その後目付に進み、1500石。島原の乱に際して、幕軍の主将板倉重昌(しげまさ)とともに副将として出陣、1638年(寛永15)正月、一揆(いっき)軍のこもる原城総攻撃で重昌は戦死、貞清は負傷する。乱後、指揮の責任をとらされ逼塞(ひっそく)。のち江戸の町奉行(北)となる。[煎本増夫]

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世界大百科事典内の石谷貞清の言及

【浪人(牢人)】より

…幕府はこうした事態を憂慮して,幕政の方針を武断から文治へと転換し,浪人の寄住制限を緩和する一方,浪人発生の要因となる大名,旗本の改易にも手心を加えた(世嗣のない者のうち,50歳以内の者には末期養子(まつごようし)を認める)。また,幕閣首脳者による浪人の再仕官の斡旋も行われるようになり,町奉行石谷貞清(いしがいさだきよ)は終生に1000人もの浪人を諸家に世話したという。しかしこの後も,浪人はさまざまな理由によって絶えず発生し,明治に至った。…

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