漢字の渡来および〈かな〉の成立に先だって,上古の日本にかつて行われたと称せられる文字。〈神字〉と書いて,〈かんな〉とも呼ぶ。そのような固有の文字が存在したとする説は,おそくとも室町時代から神道家の間にひろまっており,江戸時代においては,平田篤胤をはじめ国学者のうちに,その存在を主張する者が少なくなかった。一方,伴信友のように,それを否定する者もあって,議論が沸いたが,明治になって後は,学者としてその存在を信ずるものはほとんど影をひそめるにいたった。ただ,いわゆる愛国者とか軍人などのなかには,昭和年代に入ってさえ,その存在を信ずるものがあって,政治問題にまでも発展しかねない事件を引き起したことがある。
一口に神代文字といっても,そのなかにはいろいろの種類があって,神代文字の存在を支持する人々の間においても,どれを真の神代文字と認めるかについては論の一致をみないが,多くの人々によって最も有力なものとみなされたのは,日文(ひふみ)と呼ばれる一類である。しかしこれは明らかに,朝鮮のハングル(諺文(おんもん))に基づいて作られたものである。日文のほかのものも,結局は,すべて国粋尚古の念から偽作付会されたものにほかならない。古代に固有の文字がなかったということについては,日本の文献自体に古くそれに関する記事があり,神代文字で書かれた古い文献のようなものは一つも残っていないばかりでなく,つぎに掲げるような理由から,その存在は完全に否定することができる。(1)漢字に先だってすでに固有の文字があったとすれば,わざわざ漢字を輸入して日本語を写したり,それから〈かな〉を発達させたりする必要は考えがたい。(2)神代文字はその構成において,かなよりもいっそう進歩した文字とみなされる。かなは音節文字であるのに,神代文字は一種の単音文字である。(3)最後に,これは否定の決め手であるが,神代文字は47音ないし50音しか書き分けない。奈良時代以前にまでさかのぼると,日本語の音節には〈いろは〉47文字では書き分けられない多くの音があり,それらは五十音図のうちには収められないところの音であった。すなわち,いろは歌や五十音図だけでは示しきれないところの音が上代にはあったのである。これらを〈万葉仮名〉ではちゃんと書き分けてその区別を守っている以上,もし神代文字が真に〈かな〉以前のものであったとすれば,少なくとも,もっと多くの字体がなければならないのに,いわゆる〈変体仮名〉にあたるものさえなく,きわめて整然とした統一をもっているのである。
執筆者:亀井 孝
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…仮名創成以前に日本にも文字があったという説が鎌倉時代以降に現れ,江戸時代には,その実例と称するものも提出された。それを神代文字(じんだいもじ)という。しかし,その大部分は,朝鮮の京城で1443年に創案された朝鮮語の表音文字であるハングルに類似するものか,あるいは空想的な創作であるものが多い。…
※「神代文字」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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