日本大百科全書(ニッポニカ) 「祭囃子」の意味・わかりやすい解説
祭囃子
まつりばやし
祭礼囃子ともいう。神輿(みこし)が御旅所(おたびしょ)に渡御(とぎょ)するいわゆる神幸(しんこう)祭に、付祭(つけまつり)と称して氏子たちが出す山車(だし)(山、鉾(ほこ)、だんじり、屋台など車付きのもの、山笠(やまがさ)、きりこのように担ぐもの、水上では船など諸種の形態がある)、邌物(ねりもの)、底抜け屋台、踊屋台などの運行に、山車上であるいは徒歩で奏する奏楽をいう。おもに笛、太鼓、鉦(かね)からなるが、土地土地によってさまざまである。広義には、そのほか付祭の神賑(にぎわい)に出る獅子(しし)舞の囃子や、神楽(かぐら)殿での神楽囃子なども祭囃子と解されている。
祭礼が華々しく催されるようになったのは平安中期からで、まだ山車もなく、太鼓と鉦鼓(しょうこ)を棒で担いで囃して歩いた。このころはむしろ田楽(でんがく)の躍(おどり)囃子のほうが主流であった。山車の類(たぐい)が永続的に出るようになるのは室町初期の祇園(ぎおん)祭からと推量されるが(『後愚昧記(ごぐまいき)』永和(えいわ)2年〈1376〉6月14日の条の「鉾(ほこ)は常(つね)の如(ごと)し」が初見)、今日の祇園祭の山鉾は応仁(おうにん)の乱後の1500年(明応9)に復興をみたものとほぼ同じで、すでに祇園囃子の初態はうかがえる(1561年〈永禄四〉『耶蘇会士(やそかいし)日本通信』上)。この祇園囃子の発展が各地の祭囃子の展開を促したのである。現行の祇園囃子は、鉦7~8名、笛(能管(のうかん))7~8名、締(しめ)太鼓2~3名で、鉾ごとに曲が異なるため全部で300曲以上にもなり、曲調は洗練されている。大阪地方は天神祭(てんじんまつり)系の地車(だんじり)囃子で笛はないが大太鼓と双盤(そうばん)ですこぶるにぎやかである。関東は天下祭(てんかまつり)とよばれた山王(さんのう)祭、神田(かんだ)祭のいわゆる江戸祭囃子(神田囃子)が普及している。大太鼓、締太鼓(2)、篠笛(しのぶえ)、当(あた)り鉦(がね)からなり、粋(いき)で技巧的な曲が目だつ。江戸中期の享保(きょうほう)(1716~36)に始まった葛西(かさい)囃子が源流で、のちに道化の馬鹿面(ばかめん)踊りがついたため馬鹿囃子ともよばれる。似た編成では埼玉県秩父(ちちぶ)市の秩父屋台囃子が異色であるが、秋田県仙北市角館(かくのだて)町の飾山(おやま)囃子、岩手県奥州(おうしゅう)市の日高囃子などでは三味線が加わる。千葉県香取(かとり)市の佐原囃子では小鼓(こつづみ)、大鼓(おおつづみ)が加わり、神奈川県藤沢市の江の島囃子にはチャルメラさえ加わる。しかし、小編成の例もある。北九州市の小倉(こくら)祇園囃子では笛がなく、太鼓と摺鉦(すりがね)で軽快に奏でる。石川県輪島市の御陣乗(御神事)太鼓は太鼓だけである。なお、例外的であるが、富山県高岡市の御車山(みくるまやま)では素朴ながら雅楽曲になぞらえた曲を奏している。
[西角井正大]
『吉川英史監修・藤本寿一構成『神々の音楽』(1976・東芝EMI)』▽『西角井正大著『祭礼と風流』(1985・岩崎美術社)』