福沢一郎(読み)フクザワイチロウ

デジタル大辞泉 「福沢一郎」の意味・読み・例文・類語

ふくざわ‐いちろう〔フクざはイチラウ〕【福沢一郎】

[1898~1992]洋画家。群馬の生まれ。多摩美大・女子美大教授。フランスに留学し、シュールレアリスムを日本に紹介。独立美術協会の創立に参加、のち美術文化協会を結成。代表作に「よき料理人」「黒人霊歌」など。昭和53年(1978)文化功労者。平成3年(1991)文化勲章受章。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「福沢一郎」の意味・わかりやすい解説

福沢一郎
ふくざわいちろう

[生]1898.1.18. 群馬,富岡
[没]1992.10.16. 東京
洋画家。 1918年に東京大学文学部に入学したが,彫刻に興味をいだき退学朝倉文夫の弟子となった。 23年『酔漢』で帝展初入選。 24年フランスに渡りヨーロッパ各地の古典絵画を見て回るうちに絵画への転向を決意した。初めはルーベンスなどにひかれたが,シュルレアリスム運動に触れて,シャガールキリコエルンストらに傾倒していった。在仏のまま,29年二科展,30年「1930年協会」展,31年独立美術協会展に出品を続けた。 31年帰国とともにシュルレアリスム運動のリーダー的存在となり,39年美術文化協会を結成。 41年コミュニストの嫌疑をかけられて滝口修造とともに8ヵ月間拘禁された。第2次世界大戦後の 46年日本美術会結成を呼びかけ,47年日本アバンギャルド美術家クラブを結成した。 51年サンパウロ・ビエンナーレに出品。 52~54年ヨーロッパと中南米を遊歴,壁画ステンドグラスへの関心を深めた。 57年『埋葬』で日本国際美術展最優秀賞,62年『黒人霊歌』『黒人聖歌』で国立近代美術館賞を受賞。 58年ベネチア・ビエンナーレに出品。歴史や神話などの根底にある人間のたくましさや愚かさをドラマティックに表現する作風を確立した。芸術院会員に選ばれることはなかったが,78年文化功労者,91年文化勲章を受章した。

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20世紀日本人名事典 「福沢一郎」の解説

福沢 一郎
フクザワ イチロウ

大正・昭和期の洋画家 女子美術大学教授;多摩美術大学名誉教授。



生年
明治31(1898)年1月18日

没年
平成4(1992)年10月16日

出生地
群馬県富岡市

学歴〔年〕
東京帝大文学部美術史科〔大正10年〕中退

主な受賞名〔年〕
芸術選奨文部大臣賞〔昭和32年〕,毎日美術賞〔昭和33年〕,国際美術展最優秀賞(第4回)〔昭和42年〕,勲三等瑞宝章〔昭和48年〕,文化功労者〔昭和53年〕,文化勲章〔平成3年〕,群馬県名誉県民〔平成4年〕

経歴
初め彫刻家を志し、大正11年「酔漢」が帝展入選。13年渡仏後、洋画に転向、シュールレアリスムの影響を受けて昭和6年に帰国、その運動の推進者となる。16年瀧口修造と共に共産主義者の嫌疑で拘禁される。文明批評・社会批評の立場から人間を追求する点に特徴があり、哲人画家とも称される。47年以降〈地球絵〉シリーズを制作。また、35年多摩美術大学、39年女子美術大学教授。53年文化功労者。平成2年新設の東京国際美術館(多摩市)に福沢一郎記念室が開館。代表作に「樹海」「牛」「埋葬」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「福沢一郎」の意味・わかりやすい解説

福沢一郎
ふくざわいちろう
(1898―1992)

洋画家。群馬県富岡生まれ。東京帝国大学文学部に在学中、彫刻を習う。1924年(大正13)フランスに留学、絵画に転じてデ・キリコ、エルンストの影響を受けて、二科展、一九三〇年協会展に『嘘(うそ)発見器』ほかのシュルレアリスムの作品を出品。さらに独立美術協会の創立会員となり、31年(昭和6)の第1回展に『よき料理人』など37点を送って同年帰国する。39年美術文化協会を結成し、シュルレアリスム系前衛美術を推進する。第二次世界大戦後は欧米やラテンアメリカをたびたび巡遊。57年(昭和32)の日本国際美術展で『埋葬』が最優秀賞、62年の日本国際美術展で『霊歌』が国立近代美術館賞を受けた。壁画やステンドグラスの制作も多い。91年文化勲章受章。

[小倉忠夫]

『『福沢一郎画集 蟹のよこばい』(1969・求龍堂)』『『福沢一郎作品集1・2』(1987・小学館)』

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改訂新版 世界大百科事典 「福沢一郎」の意味・わかりやすい解説

福沢一郎 (ふくざわいちろう)
生没年:1898-1992(明治31-平成4)

洋画家。群馬県富岡町に生まれる。東京帝国大学文学部を中退,彫刻家を志して1924年渡仏,おりからまき起こったシュルレアリスムの芸術運動に触れて絵画に転向,とくにキリコ,エルンストに深い影響を受けた。31年帰国してシュルレアリスムを日本に移植し,独立美術協会会員に挙げられ,39年美術文化協会を結成して新しい前衛運動を推し進め,社会を風刺した作品を多く発表した。戦後は中南米を旅行し,黒人やメキシコ人をモティーフにヒューマニズムに溢れ,活力にみちた大作を描きつづけ,57年芸術選奨文部大臣賞,翌年毎日美術賞を受賞。その後も旺盛な制作活動を続け,しばしば個展を開いている。78年文化功労賞を受けた。代表作は《他人の恋》(1930,群馬県立近代美術館),《黒人霊歌》(1962,東京国立近代美術館)。
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百科事典マイペディア 「福沢一郎」の意味・わかりやすい解説

福沢一郎【ふくざわいちろう】

洋画家。群馬県生れ。1921年東大文学部を中退し,1924年―1931年フランスに留学。帰国後独立美術協会第1回展に滞欧作を発表し,日本にシュルレアリスム絵画を移入。1939年には美術文化協会を創立。1991年文化勲章。《福沢一郎作品集》全2巻がある。
→関連項目群馬県立近代美術館山下菊二

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「福沢一郎」の解説

福沢一郎 ふくざわ-いちろう

1898-1992 大正-昭和時代の洋画家。
明治31年1月18日生まれ。朝倉文夫に彫刻をまなぶ。フランスに留学,絵画に転じる。帰国後シュールレアリスムを日本に紹介,昭和14年美術文化協会を結成して前衛美術運動の推進役となった。多摩美大,女子美大教授。平成3年文化勲章。平成4年10月16日死去。94歳。群馬県出身。東京帝大中退。作品に「よき料理人」「黒人霊歌」など。

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367日誕生日大事典 「福沢一郎」の解説

福沢 一郎 (ふくざわ いちろう)

生年月日:1898年1月18日
大正時代;昭和時代の洋画家。女子美術大学教授;多摩美術大学教授
1992年没

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