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福田平八郎 ふくだ へいはちろう

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美術人名辞典の解説

福田平八郎

日本画家。大分県生。初号を素僊・九州。京美工、京都絵専卒。帝展で活躍。初期の写実的で濃厚な質感表現の作品から次第に単純化を深め、明快な色彩、大胆な画面構成で画壇の中心的存在となる。中村岳陵牧野虎雄らと六潮会を結成。芸術院会員・日展顧問。京都絵専教授。大分市名誉市民文化功労者文化勲章受章。昭和49年(1974)歿、82才。

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デジタル大辞泉の解説

ふくだ‐へいはちろう〔‐ヘイハチラウ〕【福田平八郎】

[1892~1974]日本画家。大分の生まれ。装飾的傾向の強い、明快な色面構成の作品で知られる。文化勲章受章。

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百科事典マイペディアの解説

福田平八郎【ふくだへいはちろう】

日本画家。大分市生れ。1918年京都絵画専門学校卒。1921年帝展で《鯉》が特選となり,審査員に推される一方,1930年には中村岳陵山口蓬春らと六潮会を創立。
→関連項目大分県立芸術会館

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

福田平八郎 ふくだ-へいはちろう

1892-1974 大正-昭和時代の日本画家。
明治25年2月28日生まれ。大正10年「鯉(こい)」が帝展で特選。昭和5年中村岳陵らと六潮会を結成。7年「漣(さざなみ)」で注目される。写実を基本としながら装飾性をいかした斬新な色や構図で日本画に新境地をひらく。11年母校京都市立絵画専門学校の教授。36年文化勲章。昭和49年3月22日死去。82歳。大分県出身。号は素僊,九州。

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世界大百科事典 第2版の解説

ふくだへいはちろう【福田平八郎】

1892‐1974(明治25‐昭和49)
日本画家。大分市に生まれる。大分中学校を中退後,画家を志望して京都へ出,曲折を経て1918年京都市立絵画専門学校を卒業,19年の第1回帝展(帝国美術院美術展覧会)に《雪》が初入選,第3回の《鯉》は特選となり,画壇の注目を引くに至る。32年制作の《(さざなみ)》(第13回帝展出品)において,今までの写実一方の画風から脱却,ゆれ動く波紋を描線を使わず,銀地に群青の濃淡で表現した。極端に抽象化しながら装飾性を生かす手法によって,日本画の新しい方向を示した作品として注目される。

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大辞林 第三版の解説

ふくだへいはちろう【福田平八郎】

1892~1974) 日本画家。大分県生まれ。京都市立絵画専門学校卒。簡単な構図により色彩感覚にすぐれた作品を描く。作「漣さざなみ」「鯉」

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

福田平八郎
ふくだへいはちろう

[生]1892.2.28. 大分
[没]1974.3.22. 京都
日本画家。 1918年京都市立絵画専門学校を卒業。翌年第1回帝展に『雪』が入選,以後特選2回,24年から同展審査員。また母校の助教授,教授として 37年の退職まで後進の指導に尽した。 32年帝展出品の『漣』をはじめ,明快で清新な革新的作風が話題となり,47年日本芸術院会員,48年毎日美術賞を受け,61年文化功労者となり,同年文化勲章受章。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

福田平八郎
ふくだへいはちろう
(1892―1974)

日本画家。大分県生まれ。素僊(そせん)、九州と号す。しばしば作品に「馬安」の印を押すが、これは父の馬太郎、母の安の名にちなむもの。京都市立美術工芸学校を経て1918年(大正7)京都市立絵画専門学校を卒業。翌年第1回帝展に『雪』が入選し、以来官展への出品を続ける。21年『鯉(こい)』、翌22年『鶴(つる)』が特選となり、画壇での地位を確立する。以後しばしば審査員を務める一方、30年(昭和5)中村岳陵(がくりょう)、山口蓬春(ほうしゅん)らと六潮(ろくちょう)会を創立した。第二次世界大戦後は日展で活躍、47年(昭和22)芸術院会員、61年文化勲章受章。作品は初め徹底した写生に基づく緻密(ちみつ)な作風を示したが、しだいに装飾的傾向を強め、その明快で大胆な色面構成による画面は、近代日本画のなかで独自の地位をもつ。代表作に『牡丹(ぼたん)』(東京・山種美術館)、『漣(さざなみ)』『新雪』『雨』(いずれも東京国立近代美術館)がある。[榊原 悟]
『矢内原伊作・竹田道太郎著『現代日本美術全集6 福田平八郎』(1973・集英社)』

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