秋の収穫感謝祭。秋ということばは飽食(あきぐひ)の祭りからきているという。春からの農耕を助け稲田を守ってくれた田の神に収穫を感謝し、新穀でつくった神饌(しんせん)、神酒でもてなすのが秋祭である。旧暦の10月をカンナヅキとし神無月などと書いて、俗に神々が出雲(いずも)に出かけて留守だといわれ、人々は物忌(ものいみ)をして慎しむ期間であった。長い物忌のあとに旧暦の11月に収穫祭として霜月祭が行われた。今日の勤労感謝の日のもとになった新嘗祭(にいなめさい)は、収穫祭であると同時に、翌年の種子たる稲の霊を誕生させる儀式でもあった。
古くは日本の収穫祭の時期はもっと早かったと考えられている。日本に稲作が入ってきたころの品種は早稲(わせ)であったようである。日本の稲のルーツに関係の深い中国南西部のミャオ(苗)族は、独特の苗暦に従い、中国太陰暦の10月が苗暦の正月にあたる。また、タイ北西部の少数民族アカは太陽暦で10月ごろ正月を迎えるが、集落ごとに刈り入れと同時に正月となるので、時期はまちまちである。日本の古代も自然暦に従っていたころは、おそらくアカの暦と同様であったであろう。
今日でも、南北に長い日本列島のこととて刈上(かりあげ)祭の時期はまちまちで、東北地方では、三九日といって、旧暦9月、三度の9日を稲の収穫祭にあてているし、関東、中部地方では、旧暦10月10日を十日夜(とおかんや)とよんで収穫祭を行う。子供たちが新藁(わら)で藁鉄砲をつくって地面をたたいて回る。似たような行事を近畿、中国、四国地方では亥子(いのこ)節供とよんで、「亥の子突きの石」で地面をたたいて回る。九州の刈上祭は遅れて、旧暦霜月の子(ね)の日、丑(うし)の日にする土地がある。佐賀県佐賀市富士町畑瀬(はたせ)の東畑瀬では旧暦11月の初子の日を「タナテンジンサン」といって田の天神様、つまり田の神を祀(まつ)る日としている。有名な「奥能登(のと)のあえのこと」は、民間の新嘗祭として知られ、重要無形民俗文化財に指定されている。12月9日(もとは旧暦11月)に、田の神を生ける人のごとく招請し御馳走(ごちそう)する。「あえ」は嘗(あえ)で、饗応(きょうおう)することである。
[萩原秀三郎]
農耕の収穫を感謝する祭り。春祭,夏祭に対して呼ばれる秋季に行われる神祭の総称。春祭は豊作祈願のための予祝儀礼であるのに対して,秋祭は稲作の終りに際して神の恩恵に感謝するもので,全国の各神社において神に初ものと豊富な食物の献供があり,共同飲食が盛大に行われる。旧暦2月から4月の春祭に対し,秋祭は旧暦9月から11月にかけて行われている。宮廷祭祀では,新穀を神に献上する伊勢神宮の神嘗祭(かんなめさい)が旧暦9月(現在は10月),天皇が神に新穀をすすめ感謝の祭りをし,新穀を食する新嘗祭(にいなめさい)が旧暦11月に行われる。一方民間では,田にあって農耕を守った神が,秋の収穫祭を境に人里離れた山に去る山送りの習俗が全国的に残されている。また秋祭は農作業の終了をまって行われるもので,霜月祭がその中心となってきた。古くは旧暦11月が秋祭の季節の中心であったが,のちには秋の物忌開始期にあたる旧暦9月にも多く行われるようになり,明治の改暦後は10月に秋祭が集中するようになった。
執筆者:岡田 荘司
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