《公事方御定書》(1742)の立法史料集。《公事方御定書》編集のときの諸記録,文書類は評定所に数十冊存したが,年を経て散逸するおそれがあり,また評定所一座が老中から《公事方御定書》各条の意味について下問されたとき,その立法過程にさかのぼって答申するためにも整理・編集する必要があった。発議したのは評定所の吏員で,1754年(宝暦4)老中堀田正亮の下命があり,三奉行主宰で着手された。事業は進捗しなかったが,67年(明和4)老中松平武元の推進により完成した。上下2巻,付録1冊で,《公事方御定書》上下2巻の各条ごとに本文の次に当該規定の来源を示す史料を配列し,付録は《公事方御定書》の追加条文および《御定書ニ添候例書》の編集史料を収めている。《科条類典》そのものは法典ではないが,評定所一座の評議において実際に用いられたことは,《御仕置例類集》などにも見えている。また《公事方御定書》立法に当たっての将軍徳川吉宗の意見もよくうかがえる。奉行のほかは他見を禁じ,1条たりとも抜書きを許さぬ極秘文書であった。伝存する写本ははなはだ乏しく,とくに上巻はそうであるが,《徳川禁令考》後集(1959-60)は,実質的に《科条類典》の全内容を刊行したもので,編集者は巻章節を付し,さらに関連史料を加えている。
執筆者:平松 義郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
「公事方御定書(くじかたおさだめがき)」および「御定書ニ添候例書」の立法資料集で、上下2巻・付録1冊。「公事方御定書」は8代将軍徳川吉宗(よしむね)の積極的関与によって1742年(寛保2)成立したが、立法にあたっての記録文書が散逸するのを防いで保管、参照するために編集された。評定所吏員の発議を三奉行(ぶぎょう)(寺社・勘定・町奉行)が取り上げ、老中(ろうじゅう)松平武元のもとで三奉行が編集を主宰し、1767年(明和4)完成した。「公事方御定書」の解釈適用の基準として評定所において実際に用いられ、三奉行、評定所留役(とめやく)以外にはみせず、一条たりとも書き抜きを許さぬ極秘文書であった。現代においても「公事方御定書」の研究上重要な史料であり、1895年(明治28)司法省刊行の『徳川禁令考』後聚(こうしゅう)は『科条類典』を全録し、さらに関係史料を付加したものである。
[平松義郎]
『法制史学会編『徳川禁令考』全11巻(1959~61・創文社)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…はじめ司法卿大木喬任の命で司法属菊地駿助が,その死後は司法大臣官房庶務課が編纂を担当し,1878年から95年にかけて出版された。前聚6冊,後聚4冊から成り,前聚は幕府の法令を分類収録し,後聚は《公事方御定書》編纂に関する諸資料を幕府が一書にまとめた《科条類典》の各条に関係判例等を付加したほか,《御定書ニ添候例書》《赦律》などの刑事史料を収めている。本書には,当時司法省に所蔵されていた幕府伝来の記録類のように,その後焼失した史料なども入っており,また幕府官撰法令集たる《御触書集成》に欠けている幕末の法令も収集されていて,江戸時代研究の基本史料である。…
※「科条類典」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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