竹斎(読み)ちくさい

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

竹斎
ちくさい

江戸初期の仮名草子。富山道冶(とみやまどうや)作。上下二巻。1621年(元和7)から23年までの成立刊行。富山道冶(1584―1634)は曲直瀬玄朔(まなせげんさく)門下の医者。本書は、京都に住む藪(やぶ)医者の竹斎が患者もこない生活に見切りをつけ、下僕のにらみの介(すけ)と諸国行脚(あんぎゃ)を思い立ち、まず見納めにと京の名所旧跡を巡ったのち東海道を下り、名古屋に3年間住み、ここで珍妙な療治をして失敗、ふたたび旅に出て江戸に着き、市内を巡覧したのち定住を願うという筋である。人物設定、展開、修辞など狂歌的発想によるパロディーで、当時広く読まれ、模倣作が多く刊行された。また『東海道名所記』など名所記物の原型となった。

[坂巻甲太]

『市古貞次・野間光辰編『鑑賞日本古典文学26 御伽草子・仮名草子』(1976・角川書店)』

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デジタル大辞泉の解説

ちくさい【竹斎】

仮名草子。2巻。富山道冶(とみやまどうや)。元和(1615~1624)末年ごろ成立。やぶ医者竹斎が、にらみの介という下僕をに、こっけいを演じながら京から江戸に下る物語。

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百科事典マイペディアの解説

竹斎【ちくさい】

江戸初期の仮名草子。2巻。烏丸(からすま)光広の作とする説もあるが,伊勢松坂生れの江戸の医師磯田道冶とする説が有力。1621年―1636年ごろまでの間の成立で,写本,木活字本,整版本などの諸本がある。京の藪(やぶ)医者竹斎が,にらみの介という郎党をつれて江戸へ下る途中,名古屋で開業したりしながら,さまざまな滑稽(こっけい)を展開する話。啓蒙的色彩も強い。滑稽とともに名所記風な味をもち,《東海道名所記》から《東海道中膝栗毛》まで影響を与えた。
→関連項目黒焼き

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精選版 日本国語大辞典の解説

ちくさい【竹斎】

[1] 仮名草子。二巻二冊。富山道冶作。活字版は元和七~九年(一六二一‐二三)成立。整版本は寛永三年(一六二六)以後同一一、二年までに成立刊行か。やぶ医竹斎と下僕にらみの介の京から江戸までの道中記の形をとり、狂歌的発想や修辞を生かした文体で書かれた滑稽文学。近世流行の道中記物の先駆けで、模倣作、影響作が続出した。
[2] ((一)の主人公の名前から転じて) やぶ医者。〔書言字考節用集(1717)〕

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

竹斎
ちくさい

仮名草子。富山道冶 (とみやまどうや) 作。2巻。元和9 (1623) 年頃成立,寛永1 (24) 年頃刊。『竹斎狂歌ばなし』『下り竹斎』と改題,再版。名所記文学で,後世の文学,特に仮名草子の名所記類に大きな影響を与えた。

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世界大百科事典 第2版の解説

ちくさい【竹斎】

仮名草子。2巻。成立は1621‐23年(元和7‐9)ごろから36年(寛永13)ごろまでの間。木活字本,寛永絵入整版本,寛文版《竹斎狂歌ばなし》,天和版《下り竹斎》など諸版がある。作者は烏丸光広(1579‐1638)ともされたが,伊勢松坂生れ,江戸住みの医者磯田道冶(どうや)(1585‐1634)説が有力。山城国京都の貧乏医者竹斎が都に望みを失い,下僕にらみの介(すけ)と諸国行脚を志し,なごりの京名所見物を終え,東海道を下って名古屋に3年滞在,とんちの治療で成功したり,井戸に落ちた子を膏薬で吸い出す治療に失敗したりする。

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