仮名草子。2巻。成立は1621-23年(元和7-9)ごろから36年(寛永13)ごろまでの間。木活字本,寛永絵入整版本,寛文版《竹斎狂歌ばなし》,天和版《下り竹斎》など諸版がある。作者は烏丸光広(1579-1638)ともされたが,伊勢松坂生れ,江戸住みの医者磯田道冶(どうや)(1585-1634)説が有力。山城国京都の貧乏医者竹斎が都に望みを失い,下僕にらみの介(すけ)と諸国行脚を志し,なごりの京名所見物を終え,東海道を下って名古屋に3年滞在,とんちの治療で成功したり,井戸に落ちた子を膏薬で吸い出す治療に失敗したりする。さらに途中,名所,古跡を訪れ,江戸ではその繁盛ぶりをたたえ,安住の喜びを歌う。古歌,謡曲,狂言などの文辞を織り込むなど,古典教養からくる啓蒙的態度が色濃い。名所見聞道中案内記に属するが,狂歌を多く織り込んだ同伴形式の滑稽咄でもある。自嘲的かつ反俗的な主人公の像は,近世文芸の無頼性・風狂性の原型をなす。
執筆者:浮橋 康彦
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江戸初期の仮名草子。富山道冶(とみやまどうや)作。上下二巻。1621年(元和7)から23年までの成立刊行。富山道冶(1584―1634)は曲直瀬玄朔(まなせげんさく)門下の医者。本書は、京都に住む藪(やぶ)医者の竹斎が患者もこない生活に見切りをつけ、下僕のにらみの介(すけ)と諸国行脚(あんぎゃ)を思い立ち、まず見納めにと京の名所旧跡を巡ったのち東海道を下り、名古屋に3年間住み、ここで珍妙な療治をして失敗、ふたたび旅に出て江戸に着き、市内を巡覧したのち定住を願うという筋である。人物設定、展開、修辞など狂歌的発想によるパロディーで、当時広く読まれ、模倣作が多く刊行された。また『東海道名所記』など名所記物の原型となった。
[坂巻甲太]
『市古貞次・野間光辰編『鑑賞日本古典文学26 御伽草子・仮名草子』(1976・角川書店)』
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