中国、春秋時代の斉(せい)の政治家。公子糾(きゅう)(?―前685)の臣下で、糾と桓公(かんこう)との公位争いで糾が敗れたため捕虜となった。しかし、桓公の臣下の鮑叔牙(ほうしゅくが)の推薦で用いられて宰相となった。以後、桓公を助けて富国強兵政策を進め、とくに農業の振興策や、塩、魚などの海産物資源を利用して商工業を振興させる政策を推し進めた。対外政策では、強力な軍隊を背景とし、他国と会盟を結ぶことによって諸侯間で桓公の指導力を発揮させるようにした。とくに紀元前651年の葵丘(ききゅう)(河南省商丘(しょうきゅう)市の西)の会によって、桓公を覇者にさせたが、管仲の死後、桓公は内政、外交両面で指導力を喪失したといわれる。管仲の思想は道徳より経済を重んじ、国民の生活安定を第一義とする点に特色があり、後の法家思想と通ずるところがある。『管子(かんし)』はその著書と伝えられるが、実際は戦国時代以降の人の筆になる部分が多いと考えられている。
[太田幸男 2015年12月14日]
中国,春秋斉の名宰相。名は夷吾,仲は字。今の安徽省の人。はじめ斉の公子糾に仕えた。襄公の死後,君位をめぐる内乱で糾と桓公(かんこう)が敵対し,糾が敗死すると管仲は捕らえられたが,親友の鮑叔牙のつよい推挙によって桓公に用いられ,宰相として国政にあずかることになった。彼の政策は,内政では商業を重視して国を富ませるとともに,国民を軍国主義的に編成して兵力の強大化につとめ,対外的には諸侯の信頼を得ることを第一とした。その結果,斉は強国に発展し,桓公は諸侯と同盟を結んでその盟主となり,衰えた周の王室をもりたてて夷狄の侵入から中国をまもることに成功した。桓公が春秋時代最初の覇者となることができたのは,じつに管仲の力によるものであった。彼の著作と伝えられる《管子》24巻は,もちろん彼1人一時の作ではなく,おそらく戦国から漢代にかけて斉地方の重商主義を主張する学派の人々が彼に仮託してまとめあげたものと考えられる。
執筆者:永田 英正
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?~前645
春秋時代における斉の桓公(かんこう)の名宰相。潁水(えいすい)(河南省)の人。民団を組織し,商業を振興するなど富国強兵策をとって斉を充実させ,桓公を覇者たらしめた。『管子』(かんし)は彼の著書と伝えられる。
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…全86編,うち現存するもの76編。春秋時代の斉国の名宰相管仲の名を書名に冠するが,実際は戦国時代から漢初にかけて管仲の学説に擬して伝承されてきた数群の資料を,漢代(前202‐後220)初期に集成したものであろう。法家的傾向を最も強く有するが,儒家・道家など諸子の学説をも交え,断片的記述の集成になる編が多い。…
…北中国の商家では,諸神とは別に正月2日に財神をむかえ,人々は先を競って財神廟に参詣し,発財招福を祈願すると,〈元宝〉とよばれる馬蹄銀型の紙銭を借りて帰り,翌年これを倍にして返すという風習もあった。妓院では,春秋時代の斉の桓公もしくは管仲を娼業の祖としてまつり,また天津を中心とする北方では,〈胡仙〉とよばれる狐神や〈五大家〉と称される狐,鼬(いたち),針鼠,蛇,鼠の動物神が,巫女や商家のあいだで招財の神として信仰されたことも知られる。【堀 誠】。…
※「管仲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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