築地市場(読み)つきじしじょう//つきじいちば

知恵蔵の解説

築地市場

東京都中央区築地にある日本を代表する卸売市場。東京都が開設する中央卸売市場の一つ。水産物と青果物を扱うが、水産物の取扱量は世界最大規模を誇り、2015年は1日当たり約1600トン、取引金額は同16億円を超え、「魚河岸」の通称を持つ。
関東大震災(1923年)の復興事業の一環として計画され、震災で焼失した日本橋の魚市場などを移転収容して35年に開設された。築地市場に隣接して「場外市場」と呼ばれる問屋街も発達。太平洋戦争による統制期には市場機能が低下したものの、戦後は取扱量を飛躍的に伸ばし、都民らの食を支えてきた。2002年以降、取扱量は減少が続いており、ピークの1987年の半数近くに減ったものの、大勢の観光客が訪れ、特にマグロのセリは外国人観光客に人気がある。一時はマナーの悪い客の増加から見学を中止した時期もあったが、人数を制限するなどして見学受け入れを再開している。
築地市場は、50年代から施設の増築などが行われてきたが、施設の老朽化が進み、23ヘクタールの敷地も手狭になってきたため、80年代から再整備が検討されてきた。当初は現在地での再整備が計画され、1991年から400億円かけて工事を進めたものの頓挫。東京都は2001年に江東区豊洲への移転計画を決めたが、予定地の土壌から環境基準を大幅に上回る有害物質が検出され、汚染対策を進めてきた。移転を巡っては当初から反対も多く、汚染対策などを巡って開場時期が何度も遅れてきた。ようやく16年11月7日の開場が決まったものの、直前の知事選で当選した小池百合子知事が安全性への懸念などを理由に延期を決め、土壌汚染対策の盛り土が主要な建物の下でされていなかったことなども新たな問題として浮上した。築地市場は、豊洲新市場への移転までの間、老朽化施設の補修などを行いながら機能を維持していく方針だが、移転時期はまた見通せなくなった(16年12月5日現在)。

(原田英美  ライター /2016年)

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

築地市場

日本橋にあった魚市場が1935年に移転して開場。老朽化が進み、23ヘクタールの敷地も手狭になったことから、東京都は01年に江東区豊洲地区の東京ガス工場跡地(40ヘクタール)に移転を決めた。08年に環境基準の4万3千倍のベンゼンや860倍のシアン化合物が検出された。都は586億円をかけて土壌を入れ替え、14年12月に新市場を開場する方針。

(2009-10-06 朝日新聞 夕刊 1社会)

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デジタル大辞泉の解説

つきじ‐しじょう〔つきヂシヂヤウ〕【築地市場】

東京都中央区築地にあった卸売市場。東京都が設置する中央卸売市場の一つとして、昭和10年(1935)に日本橋の魚河岸と京橋の青物市場が移転して開場。施設の老朽化・狭隘(きょうあい)化などのため、平成30年(2018)10月に豊洲地区へ移転。→豊洲市場

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

築地市場
つきじしじょう

1935年(昭和10)2月、東京市(当時)が開設する中央卸売市場の一つとして中央区築地地区に開業されて以来、2018年(平成30)10月に移転再整備のため閉場(業務停止)となるまで83年にわたり生鮮食料品における首都の基幹的流通を担ってきた卸売機関である。敷地面積は23万平方メートルあり名実ともに水産物取扱いが中心であった(卸・仲卸の売場面積:3万5100平方メートル)が、青果物も扱っていた(同:1万6500平方メートル)。
 全国の都市に開設される中央卸売市場のなかでも一貫して最大の基幹市場であり続けた(全国取扱量の20%以上を占める)だけではなく、とくに日本橋魚市場からの長い歴史を受け継いだ水産物部においては、その取扱規模、豊富な品ぞろえ、食材としての質の高さや評価機能(取扱従事者の目利き・ノウハウ)等において、世界においても最大級の取扱量を誇り、卓越した水産卸売市場であると認知されていた。いわゆる水産物における「築地(TSUKIJI)ブランド」を発信する魅力的拠点とみなされ、観光スポットとしても注目を集める存在となった。築地市場には全国の産地のみならず、世界各地からも食材が供給され、2017年における水産物取扱いは市場の品目小分類でみても約460品目(青果物部では約170品目)に及んだ。
 築地市場の淵源(えんげん)として上に述べた日本橋魚市場は、近世・江戸時代に庶民の魚河岸(うおがし)として形成され、近代・明治期に入ってさらに集合市場として増加する首都の食料消費に対応する役割を果たしてきたが、1923年(大正12)9月に発生した関東大震災における復興問題や折から公布された中央卸売市場法(1923年3月)による大都市卸売市場整備計画のもとで、当時の「京橋大根河岸青物市場」をも併合して、新たに築地に移転・再建された。仮設・仮営業や調整の時期を経て「東京市中央卸売市場」(当時)としての本格業務開始は1935年2月であった(神田と江東の青果市場もほぼ同時期の開業)。同時に汐留(しおどめ)駅の引込み線として国鉄の東京市場駅も開業した(東京市場駅は1984年(昭和59)まで続いた)。水産物部は淡水、塩干(えんかん)、鮮魚の取扱いや分場業務を順次拡充した。しかし、昭和戦前期、および戦後復興期は戦時経済や食料統制の時代に入り、築地市場流通は十分な開花をみることはできなかった。
 築地市場において卸売市場としての発展がみられるのは戦後1950年以降、とくに日本の高度経済成長期以降である。急速な需要増加を背景に冷蔵庫、活魚施設や低温売場等の整備拡充、鮮魚専用列車の運行(西日本、三陸、山陰等と築地間)、駐車スペースの拡充、電算処理業務開始、おさかな資料館や厚生施設整備等、各種インフラと機械化・合理化の整備が大いに進捗(しんちょく)する。1971年に流通事情の変化を背景とする卸売市場法制定(中央卸売市場法の全面改正)があったが、1980年代後半に取扱いのピークを迎え、水産物年間取扱高は約80万トン/7000億円、1日当り約3000トン/26億円、買出人等の市場入場者は1日4万人を超えるという活況を呈するマンモス市場へと成長した(卸売業者は7社(鮮魚関係4社、塩干関係3社)、仲卸業者はピーク時で1000名を凌駕(りょうが)、売買参加者は380名余)。
 しかしながら、他方で施設の老朽化や狭隘(きょうあい)化が進行し、流通条件や物流事情の変化もあって取扱高の低迷等を余儀なくされ、仲卸業者の休廃業も続くようになった。それらへの対応において、当該市場流通は1980年代から活性化方策や再編整備の問題が検討されたが、さまざまな課題提起や調整を経て、ついに2018年10月に豊洲(とよす)市場への移転と本市場の閉場の運びとなった。なお、築地市場に隣接している、いわゆる「築地場外市場」には小売店や外食店等(約400店舗)が軒を並べ、市民、観光客等に人気のスポットとして発展してきたが、事業者の多くは基本的に繁華街に近い築地地区での営業を継続している。[廣吉勝治]
『田沼武能他著『築地魚河岸』(1985・新潮社) ▽テオドル・ベスター著、和波雅子・福岡伸一訳『築地』(2007・木楽舎) ▽森清杜著『「築地」と「いちば」――築地市場の物語』(2008・都政新報社) ▽中沢新一編『総特集 築地市場』(『現代思想』7月臨時増刊号・2017・青土社) ▽福地享子・築地魚市場銀鱗会著『築地市場 クロニクル完全版1603―2018』(2018・朝日新聞出版) ▽伊藤裕康監修、小松正之著『築地から豊洲へ――世界最大市場の歴史と将来』(2018・マガジンランド)』

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