日本大百科全書(ニッポニカ) 「紀伊長島」の意味・わかりやすい解説
紀伊長島
きいながしま
三重県南部、北牟婁郡(きたむろぐん)にあった旧町名(紀伊長島町(ちょう))。現在は紀北(きほく)町の北東半を占める地域。旧紀伊長島町は、1899年(明治32)長島町として町制施行。1950年(昭和25)に二郷(にごう)村を、1955年に三野瀬(みのせ)、赤羽(あかば)の2村を編入し、1970年に町名を紀伊長島町と改称。長島の名は、中世に伊勢(いせ)神宮に塩を奉納した中嶋御厨(なかじまのみくりや)が転訛(てんか)したもの。2005年(平成17)海山(みやま)町と合併し、紀北町となる。熊野灘(なだ)に面するリアス海岸のため平地に乏しく、集落は湾奥に点在。JR紀勢本線と国道42号(熊野街道)、260号、422号が通ずるが、紀勢本線の全通(1959)までは船が主要交通機関であった。産業は、スギ、ヒノキを主とする紀州林業、ミカン栽培、養鶏、長島港を基地とするカツオ・サバ漁などで、民宿も多い。国のレクリエーション都市計画の指定を受け、城ノ浜地区にホテル、プール、テニスコート、オートキャンプ場などが建設された。温暖多雨の気候に恵まれ、大島の暖地性植物群落(国の天然記念物)、鈴島(すずしま)周辺海域の造礁サンゴ群生地(県の天然記念物)などがある。また、沿岸地域には海鳥が多く生息し、国指定鳥獣保護区の特別保護地区になっている。
[伊藤達雄]
『『紀伊長島町史』(1985・紀伊長島町)』