精選版 日本国語大辞典 「うめ」の意味・読み・例文・類語
うめ
- 〘 名詞 〙 ( 「みめ(見目)」の変化した語 ) 顔かたち。容貌。器量。
- [初出の実例]「媚(みめ)のよきといふを うめよし」(出典:かた言(1650)四)
バラ科(APG分類:バラ科)の落葉高木。高さ5~10メートルになり、樹皮は暗灰色で堅く、割れ目ができる。葉は互生し、卵形、長さ4~8センチメートルで先はとがる。2~3月、葉の展開に先だって径2~3センチメートルの5弁花を開き、芳香があり、柄はほとんどない。多数の雄しべと1本の雌しべがあり、子房に毛がある。果実は球形、径2~3センチメートルの核果で、一側に浅い縦の溝があり、果面に微毛を密生する。6~7月、黄色に熟す。果肉は酸味があり、中の核は楕円(だえん)形で表面に凹点が多く、果肉と核は密着している。中国中部の原産で、日本で野生化したものとされている(大分県と宮崎県に自生するとの説もある)。梅は『万葉集』ではウメといい、平安時代以後はすべてムメとよび、現代はウメと称している。ウメは中国語の梅Meiから転化したとも烏梅(うばい)から転化したともいわれている。ウメには異称が多く、好文木(こうぶんぼく)、花の兄(はなのあに)、春告草(はるつげぐさ)、匂草(においぐさ)、香散見草(かざみぐさ)、風待草(かぜまちぐさ)、香栄草(かばえぐさ)、初名草(はつなぐさ)などがある。
[小林義雄 2019年12月13日]
ウメには多数の品種があり、中国から渡来したもののほかに、日本でも江戸時代には品種がつくられ、現代では300種以上ある。花梅は野梅(やばい)系、紅梅(こうばい)系、豊後(ぶんご)系の3系に大別されている。
[小林義雄 2019年12月13日]
野梅系はさらに、野梅性、紅筆(べにふで)性、難波(なにわ)性、青軸(あおじく)性に分けている。
(1)野梅性は枝が細く、葉がやや小形で原種に近い。品種が多く、紅冬至(こうとうじ)は紅色、中輪一重咲きで冬至には咲く。道知辺(みちしるべ)は紅色、大輪一重咲き。酈懸(てっけん)は花弁が退化して小さく、雄しべは長く外に飛び出す。座論(ざろん)は八房(やつぶさ)ともいわれ、白色、中輪八重咲きで雌しべが数本あり、果実が数個固まってつく。香篆(こうてん)は淡白色、中輪八重咲きで枝がねじれて曲がる。このほか、果樹にする白色中輪一重の白加賀(しろかが)、淡紅色中輪一重の養老(ようろう)、白色小輪一重で実の小さい小梅(こうめ)などがある。
(2)紅筆性は花は紅色で、つぼみの先がとがる。紅筆は口紅ぼかしの中輪一重咲き。内裏(だいり)は淡紅色絞り、大輪八重咲き。
(3)難波性は枝が細く、葉は丸みが強く、挿木の可能なものが多い。玉拳(ぎょくけん)は紅白中輪三重で、花底は緑黄色。難波紅(なにわこう)は紅色、中輪八重咲き。浮牡丹(うきぼたん)は淡紅色、中大輪八重咲き。
(4)青軸性は枝や萼(がく)が緑色で花は青白色。緑萼(りょくがく)は青白色、中大輪八重咲き。月影(つきかげ)は青白色、中小輪一重咲き。
[小林義雄 2019年12月13日]
材が赤く、花は紅色が多いが白色もある。紅梅性、緋梅(ひばい)性、唐梅(とうばい)性に分ける。
(1)紅梅性は花は紅色。紅鶴(べにづる)は大輪一重咲き。紅千鳥(べにちどり)は中輪一重で旗弁(きべん)が出る。
(2)緋梅性はとくに花色の濃い系統をいう。緋梅は小輪一重咲き。鹿児島紅(かごしまべに)は中輪八重咲き。
(3)唐梅性は花が下向きにつき、のちに色が薄くなる。唐梅(からうめ)は紅色で赤すじがあり、中輪八重咲き。
[小林義雄 2019年12月13日]
豊後性と杏(あんず)性に分ける。
(1)豊後性は枝が太く、葉は大形の丸葉で、表面に毛がある。ウメとアンズの雑種ともいわれ、実をとる品種に豊後がある。谷の雪は白色、大輪一重咲き。武蔵野(むさしの)は淡紅色、大輪八重咲き。
(2)杏性は豊後性に似るが、アンズに近い性質をもち、葉は小形で表面に毛がない。江南所無(こうなんしょむ)は紅色、大輪八重咲き。記念(きねん)は濃紅色、中輪八重咲きで、どちらも遅咲き。
[小林義雄 2019年12月13日]
多くの株になる臥竜梅(がりゅうばい)の古木には、国の天然記念物である宮城県仙台市の朝鮮ウメ、山口県柳井(やない)市の余田(よた)臥竜梅、宮崎県宮崎市高岡町の高岡の月知梅(げっちばい)、宮崎県新富町の湯ノ宮の座論梅(ざろんばい)、鹿児島県薩摩川内(さつませんだい)市の藤川天神の臥竜梅などがある。有名な梅林には、茨城県水戸市の偕楽園(かいらくえん)梅林、横浜市の大倉山梅林、静岡県熱海(あたみ)市の熱海梅林、奈良県の月瀬(つきがせ)梅林、和歌山県みなべ町の南部(みなべ)梅林などがある。
[小林義雄 2019年12月13日]
ウメは砂質の水はけのよい適湿な肥沃(ひよく)地を好む。移植は比較的容易で、10月ごろから翌年の3月ごろまで可能。俗に「サクラ切る馬鹿(ばか)、ウメ切らぬ馬鹿」といわれるが、剪定(せんてい)は冬の間にする。前年に伸びた枝に開花するので新しい枝を伸ばすためにも剪定が必要である。施肥は寒肥として油かすや、化学肥料を与えるが、開花直後に十分施してもよい。
繁殖は一般には接木(つぎき)による。台木は挿木苗も用いるが、発根率が悪いので、実生(みしょう)苗が多く用いられる。実生は、採集した果実の果肉を除き、水洗いして陰干ししたものを砂に混ぜ、乾かさないよう貯蔵し、翌年の早春に播(ま)く。挿木には難波性の白難波や野梅性を用いる。
害虫としては、4~5月にウメケムシ、テンマクケムシとよばれるオビカレハがつく。枝上に糸を張ってテントをつくりその中に群居しているからテントごと除去するか、「ディプテレックス」、DDVP、「スミチオン」の散布が有効である。このころアブラムシがつくので、「エストックス」「エカチン」などの乳剤(1000倍)を散布する。病気には枝や幹につくこうやく病がある。これはカイガラムシと共生するものであるから、5月に「スミチオン」「エルサン」などを散布してカイガラムシを防除し、この病気を防ぐ。
[小林義雄 2019年12月13日]
ウメは古くから庭木、盆栽として観賞され、実を食用や薬に利用してきた。実の酸味はクエン酸とりんご酸、コハク酸、酒石酸などからなる。種子と葉にはアミグダリンがあり、杏仁水(きょうにんすい)の原料にするが、生梅は食べないほうがよい。梅干しは塩漬けにしたウメの実を日に干し、これにアカジソの葉を加えて漬け、赤く染めたものである。塩漬けのときに上がってくる水を梅酢といい、これを水で割って暑気あたりのとき飲む。「梅びしお」は梅干しの肉を裏漉(うらご)しして砂糖を加えたもの。梅酒は実を氷砂糖を加えた焼酎(しょうちゅう)に漬けてつくり、渇きを止め暑気を払うのによいといわれる。このほか、砂糖漬け、のし梅など各種の菓子に利用する。ウメの樹皮または材を梅皮(うめかわ)といい、加賀の梅染め、琉球(りゅうきゅう)の梅染めなどの染料にする。材は緻密(ちみつ)で堅く、粘りが強く、床柱、櫛(くし)、将棋の駒(こま)、そろばん玉、彫刻などに用いる。
[小林義雄 2019年12月13日]
浅根性であるが、実とり用栽培では耕土はやや深くし、春先に凍霜害の少ない所で栽培する。苗は接木により繁殖する。台木は普通ウメの実生(共台(ともだい))を用いるが、アンズ、モモ、スモモなどいずれも相互に接木親和性があり、台木として可能。栽培密度は10アール当り30本内外とし、育成した苗は11月には新根が伸び始めるので、定植は10月から11月初めにするのが望ましい。移植する場合も同様である。一般に自家結実性は低く、品種により0~30%の変異がみられ、また、花粉のほとんどない白加賀などから豊富な紅サシ、玉梅などまで幅がある。品種の選定にあたっては、果実の品質、利用目的と交配結実性、花粉量などを考えて行い、圃場(ほじょう)は開花後の凍結が少ない所がよく、早春の訪花昆虫の飛来を保護する防風林なども配置することが望ましい。
なお、ウメとアンズは類縁性がきわめて近く、純粋ウメ(小梅、青軸、小向(こむかい))から純粋アンズ(平和、新潟大実(おおみ))までの間に一連の雑種性品種があり、アンズ性ウメ(白加賀、長束(なつか)、藤五郎(とうごろう)、豊後(ぶんご))、中間系(養老、紅加賀)、ウメ性アンズ(清水号(しみずごう)、小杏(こあんず))などがある。豊後は大果で有名。また、ウメとスモモの類縁も近く、果皮がウメに似て短毛を密生し、果肉がスモモに似て深紅色で多汁のスモモウメもみられる。昔から、ウメは早春の花として、保健的な食品として、さらに縁起のよい食べ物として庭先をにぎわわしてきた果樹の一つで、このため、変異は多く、多数の品種が出る原因となった。
全国での栽培面積は1万5100ヘクタール、果実生産量は8万6800トン(2017)。結実不安定性のため生産量の年次間変異が大きい。これは、雌しべ発達の不安定性、交雑和合花粉の受粉の有無、開花結実後の凍結害の有無とその程度などが一定しないことによる。実ウメの病気には、黒星病、炭疽(たんそ)病、かいよう病など、害虫にはアブラムシやタマカイガラムシなどが多い。果実生産は和歌山、群馬、奈良、三重、長野、宮城、神奈川などに多い。暖地では白加賀、長束、鶯宿(おうしゅく)、南高(なんこう)などが、寒地では藤五郎、豊後、藤之梅(ふじのうめ)などがよく栽培される。収穫は早生(わせ)種は6月上旬、晩生(おくて)種は6月下旬から7月上旬に行う。
[飯塚宗夫 2019年12月13日]
漢方では未熟な果実を薫製にしたものを烏梅(うばい)といい、有機酸を多量に含有するので、下痢や咳(せき)がいつまでも続くとき、体力が衰えて熱っぽく口が乾くとき、回虫のために腹痛をおこしたときなどの治療に用いる。烏梅にすこし甘味をつけたものは菓子にもなる。また、烏梅はベニバナで布を染めるときの媒染剤としても用いる。日本では核を除いて製したものをふすべうめ(燻梅)と称して烏梅と同様に用いる。未熟な果実を陶製おろし器でおろし、布に包んで絞り、その汁液を浅い容器に移し、毎日日光に当てて水分を蒸発させたり、陶製の容器に入れ弱火で長い時間かけて濃縮したものを梅肉エキスといい、食あたり、下痢、腹痛などの薬として民間でもよく用いられている。これを長期に連用して痛風(つうふう)、高血圧症、糖尿病、胃腸病の人の体質改善に役だてる方法もある。
[長沢元夫 2019年12月13日]
中国では6世紀の『斉民要術(せいみんようじゅつ)』に、すでに梅干しや梅酢の作り方などの加工技術や栽培法が記されている。日本に渡来したのは奈良時代以前で、最初の栽培地を長崎県平戸の梅崎とする口伝がある。日本では『懐風藻(かいふうそう)』(751)に初めてウメの名が取り上げられたが、『万葉集』では118首に歌われ、これはサクラの約3倍にあたり、ハギに次いで多い。当時から観梅が行われ、大宰帥(だざいのそち)であった大伴旅人(おおとものたびと)は客人を集めて宴を催したが、そのときの梅花の歌32首が『万葉集』(巻5)に載せられている。『万葉集』には白花だけが詠まれているが、9世紀の『続日本後紀(しょくにほんこうき)』(869)になると紅梅が顔を出す。菅原道真(すがわらのみちざね)は901年(延喜1)に九州の大宰府(だざいふ)へ流されるが、そのおり庭の梅に惜別の歌を詠んで、のちに「飛梅(とびうめ)」の伝説を生んだ。その後、ウメは天満宮や天神様のシンボルとされ、現在に続く。
ウメは7世紀から8世紀にかけて急速に広がったようだが、その品種が著しく増加したのは江戸時代である。1681年(天和1)に出版された水野元勝(もとかつ)の『花壇綱目(かだんこうもく)』には、「梅珍花異名の言」として53の名が列記された。そのなかにはオウバイ、ロウバイ(南京梅)、ユスラウメなどの別種も含まれているが、ほとんどは花ウメの品種である。京都の本草学者松岡玄達(げんたつ)(恕庵)は、ウメを白梅類29品種、紅梅類15品種、雑色類6品種(黄梅(おうばい)、黄金梅、常梅(とこうめ)(不断梅(ふだんばい))、三色梅、二色梅、墨梅(すみうめ))に分類した。その遺稿『梅品(ばいひん)』(上・下2冊)はのちに門人によって刊行された。明和(めいわ)年間(1764~1772)には寒咲きや早咲きの品種も現れ、文政(ぶんせい)年間(1818~1830)には盆栽作りが盛んに行われた。1901年(明治34)小川安村は『梅譜』で、343品種を豊後、難波、摩紅、紅梅(緋梅)、杏、寒梅、紅筆、唐梅、野梅の9系に分類し、以後の分類の基礎をつくった。また江戸時代には、花ウメのほかに梅干しの生産が盛んとなり、各地で梅園が誕生した。なかでも水戸藩主徳川斉昭(なりあき)は、積極的に栽植を奨励して偕楽園をつくった。
ヨーロッパには17世紀末、ドイツの植物学者ケンペルがウメを伝えた。
[湯浅浩史 2019年12月13日]
まっすぐに伸びた梅の若い枝でつくった杖(つえ)には、邪気を払う霊力があるとする俗信がある。新築の家に入居するときや、家の神事の前などに、梅の杖で家の中をたたいて悪気を払ったり、悪魔がついて急に苦しみだした牛の体を梅の杖でたたいて悪魔を追い払ったりする。真言宗の寺院で修法のときに使う散杖(さんじょう)も梅の枝の杖であるという。儀式のときの杖に梅の枝を用いる例もある。奈良県の春日大社(かすがたいしゃ)など、神事の行列の杖にするほか、葬式の野辺の送りに使う地方もある。貴人が地にさした梅の杖が根づいたという杖梅の伝説も、梅の杖に特別な宗教的意義を認める思想が基盤にある。
[小島瓔 2019年12月13日]
『谷口充著『ウメの作業便利帳――結実安定と樹の衰弱を防ぐ』改訂版(2006・農山漁村文化協会)』▽『荒牧麻子監修『「梅」はこんなにからだにいい――梅干し・梅肉・梅酒・梅料理』(講談社+α新書)』
中国原産の落葉小高木で,バラ科サクラ属のウメ亜属に分類される。ムメともいう。中国文化とともに薬木として渡来したもので,奈良時代以前にはすでに植栽され,《万葉集》には多く詠まれていたし,紫宸殿(ししんでん)の前庭に植えられていたが,947年(天暦1)のころにはサクラと替わった。また《万葉集》にウメが詠まれた歌が,鎌倉時代の《新古今和歌集》では,本歌取りでサクラに替えた例があり,ウメからサクラへと日本人の好みの変化が起こったらしい。
落葉の高木で高さ10m余りになり,小枝は細長く,当年枝は緑色で,葉は楕円形または卵形で,長さ4~10cm,幅2~5cm,縁は細鋸歯,葉の面には幼時に短毛があるが,後に落ちて裏面の葉脈に沿ってのみ短柔毛が残る。葉柄は1cm余りで,アンズは2~3.5cmくらいなので区別ができる。幹は黒っぽく,割れ目があり,木肌は硬く,樹皮は強靱である。花は1節に1~2花をつけ,萌芽前の2~4月に開花し,直径2~2.5cmの5弁花。花色は白か淡紅色で香りがあり,花梗は短いかほとんど無梗である。萼筒は浅い。花形には変異が多く,園芸品種には八重咲きや紅花などがあるが,基本種は花弁5枚が平開し,おしべは多く花弁より短い。果実はやや球形で浅い縦の溝があり,細毛があるのが特徴で,6月ころに成熟し黄緑色となる。中に2cmくらいの種子があり,核は硬く,外面に凹溝とハチの巣状の孔穴がある。果肉は食用に使うため,果実用品種はその厚さや質により園芸品種として選別する。原産地は中国の四川省から湖北省あたりで,栽培が古いために明らかでないが,日本にも野生品が九州にあるという。
ウメは用途から食用としての実梅(みうめ)と,花を観賞するための花梅に分けられ,およそ300品種以上の園芸品種がある。またウメの樹形から,普通の立性であるものと,枝がしだれる品種群に区別されるし,さらに系統的には,本来のウメに近いものを野梅系という。
野梅系は小枝が多く,一部はとげ状の枝も見られ,葉も小さい。花色も多くは白花で,紅花でもやや淡いものが多い。挿木でもふやせる性質がある。その品種には冬至,茶青(ちやせい),春日野,寒紅,茶せん梅など,また難波性と呼ぶ難波紅,古郷の錦などがあり,また紅筆(べにふで)性とよぶ,つぼみのときに先端がとがり紅色となる紅筆,内裏(だいり)などの品種もある。青軸性は萼片の緑色である品種群で,緑萼梅,月影などの品種がある。
緋梅系は木質部が赤く,枝を折ると区別することができ,多くは花色が紅花である。その中に花弁の周辺が白く,中心部が紅色の鈴鹿の関があり,これは緋梅系の中では珍しい。唐梅(とうばい)も紅花で,古くからの銘品である。この実生変りで作出された緋梅系の品種は多い。
豊後系は枝が太く伸び,葉が大きく表面に毛がある系統で,花も大輪で淡い紅色が多く,香りは少ない。果実が大きく,梅干しや煮梅に多用される。実梅の豊後梅を代表として,花梅では武蔵野,黒田などは極大輪の品種である。このなかには,萼片が開花とともに反転して,アンズに似るものがある。
アンズ系はウメよりアンズに近縁な品種群で,枝は少し細くなり,葉もやや小さく,表面の毛がない点が異なり,八朔(はつさく),江南所無(こうなんしよむ)などが代表品種である。さらに果実が利用されるものに,前述の豊後梅のほかに,多くの地方品種がある。それらのうち,小さな実を多数つけることで有名な小梅は早生でシナノウメとも呼ばれ,中部地方に多い。ウメの実は未熟のものにはアミグダリンamygdalinを含み,生食すると有毒であるが,梅干し,煮梅,砂糖漬,梅酒などに多く利用されている。また烏梅(うばい)は,未熟果を煙でいぶしたあと天日で乾燥したもので,漢方薬として利用されるし,梅肉エキスも民間薬とされる。さらに梅の酸味はクエン酸やリンゴ酸によるもので,昔は染色の媒染剤に利用された。材は粘りがあって硬く,細工物に利用される。
天然記念物のウメの多くは,幹が横倒れとなったものから再発根して,新しく幹枝を伸ばし大株に生育した臥竜梅(がりゆうばい)が多く,1株が梅林のように茂る。宮崎県の月知(げつち)梅,座論梅,山口県の余田(よた)臥竜梅,鹿児島県藤川天神の臥竜梅が国の天然記念物に指定され,樹齢も何百年という木が残っている。
本来,温暖地でよく育つが,温帯ではアンズ系統の品種を選ぶとよく育つし,実を採るための栽培には実梅を,花を観賞するには開花期も含めてしだれ梅や変化のある品種を含めて選び,鉢植えや庭での2~3本の植栽から梅林のような植栽と,目的により品種をうまく選ぶ。植え付ける適期は11月ころがよく,寒い地方は仮植えして翌春に植え付けて栽培する。苗木の繁殖はおもに実生苗や挿木した苗を台木にして,品種のよいものを2~3月に接木して殖やすと,1年で畑地へ植え出す苗ができる。鉢作りは,盆栽用は野梅が好まれるが,正月用の松竹梅用に作るのは,早咲品種で正月に咲く冬至や寒紅が主である。果樹用では,白加賀が多く,梅酒用にも好まれているが,毎年新品種も生まれているので,高接ぎなどで品種を変えることもできる。
梅の栽培は剪定(せんてい)がたいせつな技術で,冬季の基本剪定と夏の剪定を行うと前年の新しい枝に花がつくし,短枝に実がよくなる。病害は黒星病,炭疽(たんそ)病,菌核病などのほかにも多く,病気にかからぬように注意し,害虫もウメケムシ(オビカレハ)やウメスカシクロハ,ウメエダシャクなどの被害もあるので,防除をして育成することが必要である。
執筆者:中村 恒雄
中国において,ウメが早春の花として観賞され,詩歌の題材とされるようになったのは後世のことで,古くはその果実に関心があり,スモモ,アンズ,モモなどとともに野生の実が採取され,また《詩経》国風の〈摽有梅〉の詩に歌われたように,春の歌垣(うたがき)に際し,男女がウメの実を投げて配偶者を求め,また愛情のあかしとして贈答する風習があった。果実は保存食となり,またその酸味が調味料として用いられたので〈塩梅(あんばい)〉の語もある。熟れかけの実を籠に盛り,煙突の煙でいぶして薫製にしたものを〈烏梅〉として薬用にする。青梅は塩漬にした後に日に乾かしたものを〈白梅〉または〈梅脯(ばいほ)〉という。日本の梅干しに近い。熟れた果肉の汁から製したものを〈梅漿(ばいしよう)〉または〈梅醬(ばいしよう)〉という。干して蜜煮にしたり砂糖漬にしたものは〈蜜餞(みつせん)〉の一種となる。果肉を他の材料と合わせて製した菓子の類を〈梅餅(ばいべい)〉という。さらに梅漿を砂糖湯で薄めた〈酸梅湯〉は夏の清涼飲料として愛好される。
執筆者:沢田 瑞穂
詩歌史のうえで最初にウメを詠じた日本人は葛野王(かどののおう)で,〈春日,鶯梅(おうばい)を翫(はや)す〉という五言詩が日本最古の漢詩集《懐風藻》(751成立)に登載されている。〈聊(いささか)に休仮の景に乗り,苑(その)に入りて青陽を望む。素梅(そばい)素靨(そよう)を開き,嬌鶯(きようおう)嬌声(きようせい)を弄(もてあそ)ぶ。此れに対(むか)ひて懐抱を開けば,優(ゆた)に愁情を暢(の)ぶるに足る。老の将(まさ)に至らむとすることを知らず,但(ただ)春觴(しゆんしよう)を酌(く)むを事とするのみ〉。この第3・4句は白文では〈素梅開素靨 嬌鶯弄嬌声〉と表記し,白梅は白く咲きほころび,美しくかわいいウグイス(鶯)は美しくあでやかに鳴声を立てているの意。〈梅に鶯〉の美学の初登場にもなっている。ところが,よく調べてみると,この詩句は隋の江総という詩人の〈梅花落〉のなかの〈梅花隠処隠嬌鶯〉(梅花は隠処に嬌鶯を隠す)を下敷きにしたパロディにすぎない事実が判明する。ほかに,1首全体をつうじて唐の太宗〈除夜〉や王羲之(おうぎし)〈蘭亭序〉などを踏まえた類似語がふんだんに用いられており,はたして,作者がウメの実物を見て知っていたかどうかさえ疑われてくる。葛野王は大友皇子(弘文天皇)と十市(とおち)皇女との間に生まれた長子であるから,天智天皇の孫にも当たり天武天皇の孫にも当たり,持統朝における屈指の教養人だったと考えられる。梅を詠んだこの詩は,日本律令国家体制の最高指導層にある皇族および貴族の抱く文化意識(かれら自身は〈みやび〉と呼んだ)を,先進大国たる中国詩文への模倣をつうじて形象化することのほうに,強い制作動機があった。
《万葉集》にはウメがしばしば登場し,730年(天平2)正月13日に大宰帥(だざいのそち)大伴旅人邸で梅花の宴が開催された折,列席者一同により〈梅花歌三十二首〉が筆録され,さらに後日になって旅人による追加作品4首が採録されたのはその代表である。
梅の花散らまく惜(おし)みわが苑(その)の竹の林に鶯鳴くも(巻五,824) 阿氏(あうじ)奥島
梅の花散り乱(まが)ひたる岡傍(おかび)には鶯鳴くも春片設(かたま)けて(同,838) 榎氏(えうじ)鉢麻呂
梅の花夢(いめ)に語らく風流(みやび)たる花と吾(あれ)念(も)ふ酒に浮(うか)べこそ(同,852) 大伴旅人
この年代に達すると,中国からの渡来植物であるウメは,北九州地方ではすでに盛んに栽培されていたことがわかる。文化史的視点からとくに重要なのは,ウメの実物が輸入されたと同時に,中国流の〈梅花観賞のしかた〉まで享受,学習されたという点である。明らかに万葉知識人たちはウメを教材にして〈みやび〉を学習しようと努めた。これまで,日本の氏族(うじぞく)社会には〈みやび〉などという文化的カテゴリーは存在する余地さえなかった。律令制中央集権政治形態を唐から輸入,移植する過程で,はじめて〈みやび〉に対する認識思考を学んだのである。そのかぎりで,ウメは〈律令支配〉の花であり,〈都市貴族〉の花であった。平安朝漢文学および平安朝和歌においても,梅花観賞が優位を占めたのは当然の理といえる。《古今和歌集》の紀貫之〈ひとはいさ心もしらずふるさとは花ぞむかしのかににほひける〉(巻一春上,42)の〈花〉も梅花をさしていて桜花をさすまでには至っていない。律令機構が弛緩し荘園経済が進行するに伴って,やがて,花の王座としての地位はサクラに譲渡される日がくる。中世になると,五山文学僧のようにウメの詩をやたらに作った例外事例は別にして,ウメはサクラに押されて劣勢を挽回(ばんかい)できなくなった。ただし,近世に入り,庶民間に起こった〈園芸ブーム〉の一翼をになって,庭園花木から鉢植え(盆梅)に及ぶまでのさまざまな観賞用植物の地位を回復し,品種も300余をかぞえるようになり,各地にウメの名所がおびただしくできた。また,元禄年間(1688-1704)ごろよりシソによる着色方法が開発され,梅干しは副食の地位を獲得,ともすれば疲弊しがちな農家の家庭的副業としてウメの植樹が奨励されたりもした。こうなって,ウメの原産地が日本ではないなどとは誰も思わなくなったし,ウメ自身が日本の環境風土に完全に適応したのである。
→梅酢
執筆者:斎藤 正二
ウメは古来その気品のある色と香りが賞美されてきたが,ことに菅公(菅原道真)がウメを愛したことから,天満宮の紋章として,その信仰の盛んに行われた地方,たとえば菅家発祥の地である大和をはじめ,近江,美濃,加賀などに広く分布している。文様としても古くから用いられ,《源氏物語絵巻》や,高野山の《赤不動》の衣などにもこれに類するものがみられる。近世は〈松竹梅〉や〈梅に鶯〉などの題材で染織品の模様としてひじょうに多く用いられている。したがって紋所としても種類はきわめて多く,100種以上ある。写実風なもの,梅鉢(うめばち)風の便化したもの,八重梅,裏梅,丸にかこまれた丸梅,丸の中に一部をのぞかせたのぞき梅,上下に向かいあった梅菱(うめびし),梅樹を扱った古木梅や,折枝を文様化した梅枝の丸,はては梅の花をほかのものに擬して便化した梅鶴や梅蝶,個人的な好みをあらわした利休梅,光琳梅など,かぞえきれないほどである。
梅の紋を裏がえした形のもの,つまりまんなかに〈しべ〉のかわりに〈がく〉がついているものを裏梅というが,同じ例は菊,桔梗(ききよう),牡丹(ぼたん)など,ほとんどすべての花紋にみられる。これは一つの紋の原型からいろいろの変化したものを作っていく場合,花紋などにおいてはもっとも普通に行われるところで,表に対する裏という意味で替紋や,あるいは一つの家からわかれた新家や分家の紋所などに用いられることが多いようである。
→紋章
執筆者:山辺 知行
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…天神は地祇(ちぎ)とならび称せられ,前者は天界にいる神と信じられた。養老神祇令では神祇官が天神地祇をまつると規定しており,令の注釈を集成した《令集解(りようのしゆうげ)》によれば,天神とは伊勢・山城鴨・住吉および出雲国造のまつる神であるという。記紀では天つ神は国つ神と併称されている。記紀の天孫降臨の神話は,天皇制の神話上の始原を示すかたちで,天神信仰をとりこんだものである。しかし本来天の神への信仰は日本古代国家の意図によって作られた法や神話にもとづくものではなく,世界のいたるところに多様な形態で認められる。…
… まず古代人の〈花の見かた〉から知っておきたいが,折口信夫の所説(《古代研究・民俗学篇》)にみえる〈奈良朝時代に,花を鑑賞する態度は,支那の詩文から教へられたのである〉という指摘それ自体はあくまで正しい。例えば,日本古典にウメが初登場するのは《懐風藻》においてであるが,これは中国の類書にみえる詩の表現を換骨奪胎して作りあげたものでしかなく,むしろ,このような中国の類書を下敷きにした作詩法をつうじて〈花の見かた〉そのものを学習したというのが真実相であろう。 また,モモが幽冥界の鬼を追っ払うほどの呪力(じゆりよく)をもつとされたり(《古事記》上巻),ハチスの花が美女および恋愛を連想させたり(《古事記》下巻),キクが宮廷特権階級の地位保全を約束するユートピアの花として信仰されたり(《懐風藻》長屋王作品ほか),ヤナギの枝が死者との交霊や農業予祝儀礼のための祭祀用具に用いられたり(《万葉集》),タケが呪具=祭具として用いられたほか,皇子・大宮人の枕詞として使われたりする(《万葉集》)。…
…ドクゼリに含まれるシクトキシンも同様の作用を発揮する。バラ科のアンズ,ウメ,モモなどの種子はアミグダリン,マメ科のライマメ,イネ科植物などはリナマリンなどの青酸配糖体を含有し,腸内細菌の働きで青酸を遊離する結果,チトクロム酸化酵素の活性を阻害し呼吸を止めてしまう。 以上のような有毒植物に対しワラビのプタキロサイドやソテツのサイカシンなどにはいずれも,長期の摂取による発癌性が認められている。…
※「うめ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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