デジタル大辞泉
「建勲神社」の意味・読み・例文・類語
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たけいさお‐じんじゃたけいさを‥【建勲神社】
- 京都市北区紫野北舟岡町にある神社。旧別格官幣社。祭神は、織田信長とその子信忠。明治二年(一八六九)明治天皇が発意し、翌年に創建。「建勲(けんくん)さん」とよばれ、親しまれている。
けんくん‐じんじゃ【建勲神社】
- 京都市北区紫野北舟岡町にある建勲(たけいさお)神社の別称。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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建勲神社
けんくんじんじや
[現在地名]桜井市大字芝
旧芝村藩陣屋跡の西に稲荷神社と並んで鎮座。織田信長を祭神とし、俗にシンチョコ(信長公)さんと称す。もと陣屋南東の池端に祀られていたが、明治二九年(一八九六)現在地に移された。社前の石灯籠に「応永廿八年為道舜 奉造立木屋御宝前石灯籠 十月十三日施主御□」の銘がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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建勲神社 (たけいさおじんじゃ)
京都市北区に鎮座。織田信長をまつり,子の信忠を合祀する。一般に〈けんくんさん〉と呼ばれる。1869年健織田神の神号を賜り,翌年東京の織田子爵邸に創祀され,のち現社名に改称された。75年別格官幣社に列せられ,信長が葬られた大徳寺の南の船岡山に社殿の造営が命ぜられた。80年船岡山の山麓に社殿が完成し,東京より遷座。鎮座祭が執行されたが,さらに1910年中腹の現社地へ遷座した。例祭は7月1日。特殊神事として信長の入京を記念し武者行列を従え渡御する船岡大祭(10月19日)がある。宝物に信長の義元左文字刀(重文)がある。
執筆者:宝来 正彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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建勲神社(たけいさおじんじゃ)
たけいさおじんじゃ
京都市北区紫野北船岡町に鎮座。織田信長・信忠(のぶただ)を祀(まつ)る。信長が戦国の群雄を平定ののち、朝儀を復興、伊勢(いせ)の神社また諸社の修造に努めた功を追彰、1869年(明治2)神社創建を宣下され、翌年東京織田邸内に社殿を造営した。75年別格官幣社に列し、ゆかりの現社地を賜ったことで80年現社地に移転、翌年その子信忠を配祀(はいし)した。例祭7月1日。
[鎌田純一]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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建勲神社【たけいさおじんじゃ】
京都市北区紫野の船岡山に鎮座。通称〈けんくん〉。旧別格官幣社。織田信長をまつる。1880年に造営,1910年現地に移転。例祭は7月1日。ほかに船岡祭(10月19日)。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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建勲神社
けんくんじんじゃ
京都市北区に鎮座する元別格官幣社。「たけいさお神社」ともいう。織田信長を主神とし,信忠を配祀。例祭7月1日。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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